第一話 夏の高校野球をテレビ観戦して
夏の高校野球もおわって,福岡代表の西日本短大付属高校の優勝となった。決勝戦までずっとつづけてテレビ観戦したが,ほんとに手に汗を握るとはこのことだった。郷里の代表天理高校も善戦したが,ほしいところで負けてしまった。石川星稜高校松井選手の五連続敬遠四球にはほんとに吃驚した。このことにかんしては,賛否両論マスコミから茶の間の話題まで独占したようだが,私には善悪の判断はしがたい。松井選手に新記録めざしてホ−ムランを打たしてやりたいとも思うし,また高知明徳義塾の監督のように勝つためには,こうした作戦も必要かとも思う。いずれにしても星稜松井選手はすごいの一言につき,明徳の選手個人には全く責任の無いことだ。
ところが優勝した福岡西短高の登録選手十五名全員が大阪府下の中学出身者ということであり,また准優勝の千葉拓大弘稜の十五名全員も東京都内の中学出身者ということである。いいところまで勝進んだ公立の鳥取倉吉高校の選手さえも県内出身者はただ一人ということで,残りは大阪,兵庫の中学出身者でしめられている。他の出場高もおおかれすくなかれ同じようなことであるという。あこがれの,夢の甲子園に,郷里の期待と希望をになって登場した学校も郷里出身の選手がすくなくなってきたのは寂しいかぎりだ。リトルリ−グから始り,高校大学,やがてはプロえと野球のエリ−ト集団えの育成も結構だが,アマチュア野球の真髄ともいえる勝負をこえた情熱と根性をもとめるのは,もうすでに無理な世の中かも知れない。
第二話 週休2日制
日本人の働きすぎが世界の世論の批判することになり,時短が大きな問題となってきた。働くことが最高の美徳と教育されてきた我々世代にとって,自由な時間のありすぎるのも,そのつかいみちに苦労するありさまだ。西欧なみに官公庁は土日連休となり,公立病院も土曜日外来休診することとなった。そこでまた土日および夜間の救急診療体制が問題となってきた。当局の御尽力によって,からうじて県内の救急診療体制がはたらいているが,だれも満足したものとは思っていない。外来は休んでも入院患者はいるし,医師だけの問題では解決されない。社会保険診療報酬で時間外等の患者自己負担制の導入などいろいろとくふうされているようだが,こんな小手先の方法では解決されない。私見だが社会保険で土曜日は休日,夜間は全部時間外扱いにすべきだ。医師も人の子,世間なみに土日はゆっくりしたいものだ。
第三話 小中高校週五日制
金融機関から官公庁病院まで土日連休の週五日制となってくれば,小中高も週五日制の導入されてくるのは当然だ。学校の先生も聖職者だが労働者でもある。児童生徒も週休二日制,なんと楽しい夢のあることではないか。私の高校時代も週五日制だった。全部の公立高校が五日制だったかどうかわからないし,この制度がいつにはじまりいつごろまでつづいたのかもわからないが,わが母校はたしかに五日制だった。私は田舎の新制小中学校をでたので,大阪の公立高校に入ったときは,すべてに驚きだった。小学校時代履き物は藁ぞうりか,下駄でほとんどはだし(素足)だった。中学に入ってもせいぜいズック靴で,体育の時間はみんなはだしだった。昭和二十年代のなかごろの当時,私の田舎では校舎にはいるのに下履きを脱ぎ,はだしで廊下を歩き教室に入った(上履きもほとんどのものが使用していなかった)。当然頭はまるがり,ぼうづ頭だった。ところが大阪の高校にはいってみると,みんな革靴をはいているではないか。手には皮製のカバンをもち,しかも男性は大人と同様全員長髪なのだ。革靴のまま校舎にはいり,廊下を歩き教室で授業を受けているのにはほんとにびっくりした。そのうえ土日(毎週)は完全にやすみだった。しかし楽しみといえばミナミにでて二本立ての映画を見るぐらいのものだったが。勿論土曜日はホ−ムル−ムあるいはクラブ活動につくすべき,府教育委員会の指導もあったのであろうが,自由新進の校風の伝統を守る校長さんの指導のもと,われわれ生徒はそれぞれに自分の時間をもつことができた。とうぜんながら当時は熟もないし,受験戦争も今日ほど厳しくはなかった。学校が週5日制になれば,ゆとりある時間をますますクラブ活動に熱をいれ頑張って欲しい。地域でも受入れ体制を考えなければならないだろう。第二第三の岩崎恭子ちゃんがつづくかもしれない。けっして学習熟の栄華をみたくないが,これは無理だろう。
自分の子供のことで恐縮ですが,ブランドものの衣服・装身具を欲しがって困る。もしも同じ品質・材料のものであれば五十%以上は値段が違うように思う。家中ブランドブランドの氾濫だ。私は梅田の地下街で一千九百八十円にてもとめたCORONA銘の腕時計を愛用しているが,正確無比で有難いことだ。文字盤に万国の国旗がデザインされており,オジリナルはCORUMというスイス製だという。たしかに一見ではよくにている。しかし一方は百万円以上するし,もう一方はたった二千円だ。これがコピ−商品といわれるものかも知れないがわたしにとっては重宝している。子供達は安物買いの銭うしないとわらっているが,ブランド万能ばかりではない証拠がある。
実名をあげてもうしわけないが,こういう話しは実名にかぎる。二十年以上も前にフランスはパリのオ−トクチュ−ルのたちならぶフォ−ブル・サントノレ通りのエルメスの本店にてエナメルのハンドバックを買いもとめた。家内とのはじめての欧州旅行だったので,清水の舞台からとびおりたつもりで買った。当時大学での給料は六万円程度だったのでこのバック一つに約半年分の給与をつぎこんだことになる。家内にとってもこんな高価なものはなかなか使用する機会がないので,年に一回位はだして,からふきして手入れをしていたようだが,約十年まえに初めて使用する機会にめぐりあわせた。友人に誘われて大阪ロイヤルホテルでの菅原洋一のディナ−ショウに参加することになったのだ。男女とも一応正装ということで,家内は十年来あたためていたこのバックを初めて使用することとなったのである。ところが,ところがである。白いドレスにこのバックの黒い色が染んだのである。ビックリ仰天,早速ロイヤルホテルの地下街にあるエルメスのブテッィクにこのバック,汗で黒ずんだ手,よごれたハンカチ−フ,着衣のままのドレスを持込んだ。たしかにこのバックはオジリナルだ。コピ−商品ではない。購入した店にもっていってもらえば,バックは新品と交換するし,ドレスの補償もしますとのことであった。だれがなんぼ高価なものでもバック一つで航空券を購入して,貴重な時間をさいてパリくんだりまででかけられますか。人を馬鹿にするにもほどがある。高価なエルメスの製品にもこんな欠陥商品があるのだ。
数年前にロスアンゼルスの日本人街の一画にあるOKADAYAなるデパ−トでハンチィングワ−ルドのサブザックをもとめた。もともとブランドものの商品を好まないが,自分が使用しないでも子供達でも使うとよいと軽い気持で買ってしまった。息子がハンチングのショルダ−とバックを愛用していたので,対抗意識があったのかもしれない。サブザックは皮製でもせいぜい数万円,ズック製なら数千円のものだが,ハンチングワ−ルドのこのズック製ザックは約2千ドルもした。医師会旅行で東京にいったときに,はじめてこのバックを使用する機会をえたが,車中若い娘さんから”おっちゃん,かっこいいね。それどこでこうたんや?”と声をかけられた。こんなことははじめての経験で,さすがブランドの威力と感心した。この種の形式のバックはまだ日本には輸入されていないとのことだ。ところが,ところがである。ポケットのジッパ−をしめたはずなのに開いているではないか。よくみるとジッパ−は閉じられているが,ジッパ−と本体とのマチがすくなく,ジッパ−の縁にミシンが掛かっていないのだ。ただミシンの掛けられていないのをごまかすために,接着剤ではってあるだけだ。ロスとおなじ資本関係にある横浜岡田屋デパ−トをさがしあて,そこの外国部と交渉のうえとりあえずは修理してもらった。ほんとに頭にきた。高価な品物のわりに修理もあまり満足できるじょうたいではなかった。ところが,ところがである。こんどはポケットにいれたボ−ルペンが半分そとがわに顔をだしているではないか。よくしらべてみると本体にとりつけたポケットの裁断がわるく下側両角に直径一センチ位の穴があいており,これをごまかすためにまたもや接着剤でのりずけされているのだ。もうあきれて抗議するげんきもない。いらいこのサブザックはポケットには筆記用具,扇子等小さなものを入れられること無く,ただのアクセサリ−として使用されている。昔のことで恐縮ですが,日本からアフリカのある国に輸出されたボ−ルペンがインキがでず書けないことが問題となったことをおもいだした。日本の輸出業者はボ−ルペン本来の使用目的のために輸出したものでなく胸のアクセサリ−として輸出したとのことであったが,ブランド商品に夢中になる日本人もあまくみられたものだ。ブランド商品のほとんどは立派な,それなりに価値のあるものかもしれないが,わたしはエルメスとハンチングワ−ルドは遠慮したい。
第五話 コンピュタ−時代
コンピュタ−ほど計算も正確で早いものはない。正確無比とはコンピュタ−のことである。ハ−ドもソフトも年々改良がくわえられ,ずいぶん安くなったし,性能はすこぶる向上した。わたくしの使用しているPC98型パソコンはもう寿命がきたのか二台目の二十メガの外付けハ−ドディスクが故障してしまった。フロッピィディスクのときは,使用後毎回バックアップをとっていたが,ハ−ドディスクになると膨大な資料のため毎回バックアップすることは不可能だ。災害は忘れた頃にやってくるとはよくいったもので,このディスクの修復がどこまでできるのか専門家と相談しなければわからないが,最悪の場合十数年来のデ−タがふっとんでしまうかもしれない。なんとも恐ろしいことだ。コンピュタ−を操作して,わるだくみをする奴がときどき新聞に報道されたりする。コンピュタ−のデ−タ−は正確なのだが,何拾億分の一秒というほんの瞬間の偶然の一致で,他のデ−タ−といれかわってしまう可能性はないのだろうか。わたしが利用しているやうな故障してからあわてるパソコンとことなり銀行等の大型コンピュタ−にはこんな事故がおこらないのだろうか。
もう二十数年も昔のことだった(昭和四十五年)。現在の県看護協会の会長さんであるOさんが,まだ病院の婦長さんをしておられた頃の話しである。彼女は院内の郵便局に数万円のお金を預けいれ通帳に記帳してもらって病棟に帰ってきた。記帳された通帳を点検せずにそのまま詰所まで帰ってきたが,なかをあけてびっくり零が四個でなく八個もついているのだ。どこでどうおこったミスなのかわからないが,彼女はこの通帳をみんなに見せてとくいがっていた。もちろん後日申し出て正しい数字に訂正してもらわれたわけであるが,二十年も前のコンピュタ−ならこんなこともおこったのであらうか。彼女は記念にこの通帳をいつまでも残しておきたいといっておられたが,現在ももっておられるのだろうか。
こんどは最近の話しである。ある金融機関にすこしばかりのお金を預けたのに,引出したように記帳されていた。よく利用する金融機関なので,受付嬢は顔なじみであった。ある日,家内がほんのすこしであるが,預金すべく現金と通帳をもってこの金融機関をおとづれた。いつもは通帳をきちっとみなおすのに,どうしたわけかこのときは通帳の記帳内容を確認せずにかえってきたらしい。二十日ほどたってから,預金を引出しにいったらあるべき預金がないではないか。よく通帳をみると前回の預入と引出しがぎゃくになっているのだ。すべての責任は確認しなかった当方にあるのだが,この受付嬢は前回の預入をよくおぼえてくれており,金融機関側のミスであったことがわかって無事かいけつしたが,もし記憶になかったりしたらどうなったのであらうか。ほかの金融機関のひとの話しでは,こんなことはありえない。コンピュ−タ−処理なので当日の〆があわないのだがということであり二十日ちかくもこんなじょうたいで,いったいこの銀行はどうなっていたのだろうか。県医の情報処理委員会でも個人のIDをいかにすべきか,いつも問題になる。ひとつ間違えればプライバシ−の問題ともからんでくる。
ちかごろ生命保険会社の社員より封書がよくおくられてくる。あなたは生命保険に入っておられるが,現在の契約を解除して,それを下取にして新しくはいりなほしたほうが有利であると。なるほどこの社員のいうやうにしたほうが有利かもしれない。ふつう生命保険は知人にたのまれ加入することがおおいので,担当者がだいたいきまっている。親切ではあるが担当者でないのに,担当者であると称してこういう資料を送付してくるのは,社内での資料が自由に入手できるからだある。他人が社内資料を自由に入手できることは,消費者であるお客にとってきもちいいものではない。お客さん本人の同意がなければたとえ社員であろうとも自由に資料を閲覧出来ないシステムにならないものだろうか。これもコンピュタ−のなせるわざであるが,一つまちがえれば,プライバシ−の侵害ともなりえる。
コンピュタ−は怖い。何事がおこるかわからない。結局コンピュタ−を使うのは,人間であり,人間の注意にまさるものはない。(H4、8記)
(よく読んで下さい。次郎とその父の物語)