法然院


 3月31日京博に雪舟展(没後500年)を見に行った。最終の日曜日ということで周囲の庭は行列の人で超満員、会場にはいるのに2時間以上待たねばならないらしい。折角の京都諦めて抄録(図録)のみ買って市内の散策に出かけた。ホントに久しぶり銀閣から若王子(南禅寺)まで歩いた。ここも新京極を歩いているようなもので人人で溢れていた。サクラはイイあんばい、満開で最高だった。疎水の流れ、サクラ並木、サクラ吹雪、桜のトンネルとやはり京都はなにか落ち着かせてくれるようだ。

 ここはいわゆる、哲学の小道、散策にはもってこいの場所だ。もっとも京都らしさを感じさせてくれる。むかし、哲学の京都学派、「善の研究」西田幾太郎先生やその門下生達が人生を議論しながら歩いたのだろう。高歌放吟して青春を謳歌したのだろう。吉田山から真如堂、黒谷光明寺の風景は懐かしかった。昔、夜な夜なここら辺りを徘徊したものだ。

 法然院は銀閣を出てすぐに位置し、昔此の辺りに住んでいたので何回となく昼となく夜となく訪れたが、今も昔とちっとも変わっていなかった。静かな参道、茅葺きの山門がデンと突っ立っていた。サクラも良いがモミジもよいだろう。哲学の小道のざわめきは見られない。チョットここまで来ると、ホントに京都らしい落ち着きが見られる。

 此のお寺に河上肇先生のお墓があることは以前から知っていたが、それがどこにあるのかわからなった。何度か捜したが結局わからなたった。今回はお寺の奥さんに聞いてみた。案内を乞う人が多いのだろう用意されていたコピーされた地図を戴いた。なるほどこれでは夜中に来ていては解らないはずだ。地図を片手に探し回った。五重の宝輪塔のまっよこに河上先生の墓があった。きれいな新しいお花が供えられていた。奥さんと一緒に居られるのだろう。横に門下生一同による大きな背の高い石碑が立てられていたが文字は判読できなかった。河上教授は東京から京都にやってきて、理想の世界、実存を説いて実践していったのだろう。先生の世の中に与えた礎は重いものがあるだろう。

 河上教授と西田幾太郎、いつも対比される。難しいことは解らないが、人生の根本、宇宙の原理が議論されたのであろう。西田幾太郎の愛弟子、田中美知太郎先生に教えを乞うたことがある。戦災で顔を負傷されたされた先生を良く想い出す。僕は文字は解ったが内容は理解することが出来なかったままだ。

 此の法然院には河上先生のお墓の外、哲学者九鬼周三等有名人の墓があった。谷崎潤一郎の墓もあった。叶屋でチャイし、永観堂を拝観、野村美術館(茶の湯展・酒と器展)により、南禅寺の山門に昇り街中を見学した。帰り寺の前の瓢亭によって夕食を戴いた。美味しかったが高かった。4/01/02


homeに戻る 随筆・評論に戻る 旅雑学