インドとタイのハザマ(サダル発カオサン行き U)
インドとタイのオンナ
旅に沈没するのは良く聞く話である。ことに、インド、タイあたりで良く見かける。インドでは宗教的な意味あいでの修業者をサドウーというが、日本人沈没者の中には、精神世界を語り、その風袋から、サドウーと見違えるような御人を多々見かける。髪の毛はのび放題、髭は何年も刈らない。その格好は、まるでオームの麻原彰晃さんだ。日本人・サドウー(日本人沈没者)の多くは、哲学を語り、ヤクに溺れ、無象の世界を放浪し、夢と現実のハザマでさまよっているが、心の心底には、まだまだサドウーになりきれず、あっちえフラリ、こっちえフラリと世俗の怨念を脱し切れていない。しかも、彼らには、人に言われぬ雑念もあるというものだ。まだまだ若い身で、本能の処理もままならず、ただインドの渇いた空気の中、タイの熟れきったあこがれに夢精を掻いているだけである。バンコクと聞いただけで、心はうわずってしまう。心と肉体はどうしても不一致なものとならざるを得ないのだ。まだまだ修業しきれてない、修業のたりない、日本人、にわかサドウーにとって、カオサンはあこがれの天国であるし、羨望の的なのだ。にわか行者のサドウーにとって、バンコクは真、否定しがたい誘惑となって迫ってくる。しかし、タイからやってきた旅行者を掴まえては色々話を聞き出そうとしているが、心の中では蔑視の眼差しという色眼鏡で見ており、自分で気づかない腹立たしさと、ただただうらやましがっているに過ぎない。まことに複雑な様相を呈する。
旅に出て安さを実感するのは、まず食べ物である。路上の屋台(万屋)であるいは屋台村で実体験する。屋台の食べ物は安いし美味しい。土地の人達と同じものを食し、同じ振る舞いをする。高級ホテルの生活だけでは理解しがたい。理解することは不可能だ。衣も住も全く同じ事情だ。それにあっちの方もべらぼうに安い。全く常識外れだ。文化の程度と正比例するようだ。でも、人それぞれ好き好(ず)き、好みの問題もある。なんぼ安くても、好みのあわないものはどうしようもない。日本人にとってはアジア系がまずまず、しかも東南アジア系ならなほ良い。まあ、アジア系以外は敬遠した方がベターだ。アジア系でもインド系は、話は別だ。彼女らは西アジア系であるに違いない。東南アジア系なら言葉が解らなくても相通じるものがあるはずだ。
ハシシの酔いにはそれなりに魅力がある。ハッシシは確実に、すぐさま夢の世界に誘ってくれる。色のついた夢の世界へ。色つきの夢なのだ。宇宙遊泳をしているような、天国を歩いているような、なんとも言われぬまか不思議なものである。身体移動は自由自在、どこえでも飛んで行ける、ほんの瞬間の内に。恐怖もなんにもない恍悦の世界へ。タイムマシーンを好きな方向へ導いてくれる。日頃の疲れは吹っ飛んでしまい、体中から重量が取り除かれたように、体が軽くなった。しかし、飽くまで自意識を超越しており、ドライに乾燥しすぎている。これに対し、アルコールの酔いは生温かい人間の温もりが見られる。前後不覚に酔っぱらってしまっても自意識の枠内のものであり、酔いの先には必ずオンナがある。オンナは精神世界を語らなくても、哲学を論じなくても人間くさく、血の通う暖かさがあればよい。決して美人でなくても、優しく微笑むその顔が望ましい。堪(こたえ)えきれない。
インドの女は整いすぎている。立派な鼻筋、彫りの深い眼瞼、白いつぶらな目、いづれも奇麗すぎる。一つ一つ取り上げればこれほどまとまって美しいものはない。世界でも最高だろう。でも、サリーに隠された腰、脚がいけないのか、どうもほこりっぽく、乾燥しすぎて、ねっとりした、しっとりした生身の生温かさが見当たらない。日本人サドウー(沈没したPIT)にとっても性的魅力に乏しい存在だ。カルカッタのミスターレディは美しく、絵画の中の存在のようであるが、日本人にとっては、今一つぴったりと来ない。興味のないものにとっては、とくにそうだ。売春窟の女性はまるでサラスヴァティ(ヒンズーの神)のような化粧をしており、ベットにデンとふんぞり返り、南極のダッチワイフじゃあるまいし、どうかお自由にというだけで、何の反応もなく無味乾燥の存在だ。豊満なことといい、まるで冷凍黒マグロそのものだ。人間としての感情がわかない。もうすでに超我の世界に突入してしまい、人間意識を超越してしまっているのかも知れない。ガンガーの香りは、それはそれは強烈で人生の実存哲学に迫ってくるが、生身のこの世の存在に直接関わりないものだ。
バンコクという街には、酒とか女とか俗っぽいものが一杯つまっている。カラオケ、ディスコ、バー、ソープランド、マッサージパーラー、舞庁、茶室、コールガール、売春窟、路上のオカマさん、ありとあらゆる所に酒とオンナが満ち溢れている。そのうえ、熟れきったトロけるようなジャックフルーツのニホイが充満している。悟りきれない日本人サドウーにとっては、地獄のような、とろけるような甘い感情と誘惑がある。インドでは味わえない生きもののニホイがする。それはチャオプラヤのニホイであって、けっしてガンガーの香りではない。バンコクのオンナは何の哲学もないが、みように生温かいのである。人間の血がみなぎっており、笑い、悲しみ、飯を食い、恥ずかしがり、けっして美人と言うわけでないが、人間の香りがする。精神世界とは無縁の存在で、ただ、無思に、その日を過ごしているだけに違いないが、みように人間くさく、なま暖かい。相手のリズムに合わせ、跳(と)んだり跳(は)ねたり、ひっついたり、離れたり、まるでゼンマイバネのようで心憎い。まるで全身吸盤だ。この股肱のアリ地獄、一度はまれば抜け出すことはまず不可能というものだ。バンコクにはサドウーを奈落の底に落とし得る不思議な魔力がある。バンコクにはシンハーがあり、魚醤とキッコマンと味の素があり、かつオンナがある。