旅にでる(旅が仕事でない場合)
如何に休暇をとるか。
次郎はよく質問される。旅行に行くなんてよくやすみがとれるなあと。休暇なんて誰にとってもありやしない。ごく普通の社会生活を営んでいる善良な市民にとってはそんなに自由な時間なんてありゃしない。会社勤めのサラリーマンなんて悲劇そのもの、いつも上司の顔色を窺い、ご機嫌をとりながら、ただただ宮仕えの悲哀が身に滲みる。どのようなタイミングで休暇願いを出そうか、脳細胞の全てにこれのみ命じる。やっと貰えた休暇もほんの数日、これでは何処まで行動範囲を広げられるやわかりゃしない。でもたとえ少しでも貰えるだけでもましかも知れぬ。なかには日頃の鬱憤蓄積、この時とばかり爆発するやも知れぬ。前後のよしあし、忘れてしまい、カアットなり、会社に退職願出すやも知れぬ。政府は長期休暇云々とぼやいてはいるが、世知辛い世の中、不況でヒイヒイいっている企業、ただでは企業戦士を解放してはくれぬ。世の中そんなに甘くない。たとえ自由業であっても同じこと。休めばすぐ経済に応える。うえしたダブルでのしかかってくる。会社員より自由といってっも、いろんな柵から、よけい窮屈かも知れない。
仕事を休むのは絶対いや、こういう哲学の方には旅は出来ない。お金をたらふく稼いで、かつまた遊びたいと言うのは、どだい無理な相談だ。お金なんて三途の川の渡し賃さえあれば十分だ。仕事オンリーで人生を過ごすのも、また仕事80%で残りを旅に費やすのこれまた人生である。次郎は後世に美田を残そうなんて少しも考えていない。
要するに、その方の考え次第、何にポイントを置くかによって違ってくる。価値観の差が現れてくる。ものの善し悪しはまた別の問題だ。いづれが正しく、いづれが間違っていると言うような次元の話ではない。一年365日、汗くせ働きづめで、気が付けば過労でぶっ倒れている。これも会社人間、貢献度120%の素晴らしき人生かも知れぬ。また要領よく、休暇を手に入れ旅するも人生、会社貢献度60%で出世もおぼつかないが、自分のやりたいことをやり、平和なマイホームを守るのも、これまた人生である。人それぞれ100人集まれば100種類の考え方、人生があってもいいじゃないか。
カルチャー、それは文化であり教養である。高い学歴、たしかに学識はあるが教養の不足を嘆かざるを得ない人が目に付くようだ。文化と教養は一心同体であるが、一緒に伴わないケースが多々目に付くようだ。最近の高級官僚に見られるがごときは、その最たる実例である。人について言えば、旅は高度な知識(学識)は必要ないが教養が要求される。全て教養ある行為が要求されるのである。ある意味で文化と教養はまた異なるものでもある。教養の伴わない旅は、旅といえるしろものではありえない。
21世紀の情報化時代は目の前、もうすでにカウントダウンに入った。人間の思考は染色体の遺伝子によって左右されるらしい。DNAの構造配列によって決定されるらしい。なんだか味気ない無機質のものだが、もうあと10年もすれば、いや5年もすれば、人間の遺伝子の構造がすべて解読されるようになるらしい。科学の進歩はいよいよ加速度的だ。でもこれでは夢がない。
しかし、脳細胞の働き、心との関連はDNAの解明だけでは決して解決されない。唯物的思想だけが万全でない。10人十色、人間100人よれば100の考え方があるのは当然であるが、このほかに101番目の考え方が存在するという。脳神経系の働き、現象はいかに解決すべしや。この最後の101番目の意見が神の考えだと言うが。賢明なる読者は如何に考えるだろうか。