哲学する小部屋(補遺)


序章 半畳一間の哲学する小部屋

 フランスの詩人ポール・ヴァレリーはかって「はじめに神話ありき」とおしゃった。かの有名なゲーテも「はじめに行いありき」と宣っているが、これらは新約聖書ヨハネ伝冒頭の「はじめにことばありき」にならったものである。アルキメデスが亀よ噛め、噛みきるまで噛めと言った哲学する小部屋。1たす1は何故2でなければならない。3であっては何故いけないのか?ウサギと亀のパラドックス。スタートで出遅れたウサギは永遠にカメに追いつけない。小学生を殺害するばかりでなく、首をはね、おまけに、その生首を中学校の門前にさらすとは、ゾディアックの亡霊じゃあるまいし、精神異常者の仕業とはいえ、世の中どこか狂ってしまった。荒んだ世相、せめてこの密閉された個室、絶対的空間で、一人物事をゆっくりと考え思索したいものである。しゃがみ込めば、思索は脳の隅々まで駆けめぐる、こんな恵まれた思考空間は他には見あたらない。

第一章 世界トイレットぺイパー考

 まず、この絶対的空間について一言を持っていらしゃる三人の偉大なる先人をご紹介いたしたい。世の中ほんとに変わった御人がおられる(小生もその変人の一人かも)。

 東芸大の先生で、軽快なイギリスに関する多数のエッセイで著名な林望先生。この先生は「便器公論に決すべし」(ホルムヘッドの謎)と言っておられる。国宝京都東寺の東司(とうす)は公衆便所のはしりであり、長屋の八っあん、熊さんの利用した汲み取り式(自然吸収式)便所は、長屋の中の一番奥まったところにあり、この時代の扉は上部解放式で完全密閉式ではなかった。いわば外部の人との対話式で、在・不在が外より確認でき、顔を確認しないまでも挨拶ぐらい出来た。不衛生な便所では扉をきちんと閉めて部屋を密閉してしまったら、これは臭いものに蓋をしてしまって、その蓋の中に入るようなものだから、その悪臭たるや耐え難いものである。したがって汲み取り式や地中吸収式の原始的便所では、自然換気流、扉はないほうが自然である。日本流羞恥心のため我が国では下部閉鎖式となっているが、洋の東西では、この逆で下部解放式あるいは上下解放式もあり、また前扉欠落式もあり、このほうが自然換気流の理にかなっている。あなはずかし。

 吾らが尊敬するイラストレイターであり、エッセイストである妹尾河童先生。河童先生の「覗いたシリーズ」のバイタリティには恐れ入った。先生の繊細なイラストはもはや単なるイラストではなく、絵画であり芸術作品である。先生の舞台美術を一度拝見したいと想いながら、いまだその機会に恵まれていない。とにかくこの先生、若者に絶対的人気があって、かつまた、物事にこだわり、執着心が凄い。先生は、ご苦労さんにも日本の有名人宅54軒(人)をもお巡りになり、各家々のトイレをスケッチなさった(河童が覗いたトイレまんだら)。ほんとにご苦労さんでした。有名人には有名人としての、それぞれトイレとしての使用方法、利用方法、考え方もあるものだ。半畳一間とはいわないまでも、東寺東司のようにだたっびろっくなくても、それぞれ有効に思い思いに活用されている。

 最後に登壇いただくは西岡秀雄教授(慶大・東京大田区立郷土博物館長)。本職は地理学あるいは文化人類学の先生でいらっしゃるらしい。林望先生の恩師であり、かつまた、林望、河童両先生の著書の中に登場なさっている。たいへんユニークな教授で、世界中のトイレットペイパーの収集をなさっておられるそうだ。綺麗にスクラップブックに整理・整頓された収集品は、収集期日、場所、状況、材質も詳細に記載され、われらが「開運なんでも鑑定団」によってはどんな評価を受けるか見物である。日本では、後にも先にもただ一回しか開かれなかった、博物館での特別企画展「トイレ考(厠からトイレットへ)」の陰のプランナーでもある。(topに戻る)

第二章 鳥浜貝塚

 縄文遺跡鳥浜貝塚(福井県三方)では、ウンコの化石(糞石)が見つかっており、その分析から繊維・種子・花粉・寄生虫が発見され、当時の食事内容・調理方法・季節・健康状態が推測される。タクマラカンのローランの美女は小麦を食していたらしい。5000年の長き眠りより醒めた美女の胃の中から植物の種子が見つかったとのことであるが、調理もせずそのまま食べていたのであろうか?普段は調理していたのが、たまたま数個の種子が原型のまま紛れ込んだのであろうか?また腸管より寄生虫の卵が見つかったり、健康状態も一目瞭然だ。エジプトの木乃伊からも同様の情報が得られることが出来る。鳥浜から見つかった糞石の分布状況から、ここでは現在の東南アジアの川屋に多数みられる自然の川を利用した放流式水洗便所であったらしい。この時代、縄文鳥浜もローランも非常に開放的であったらしく、厠所の存在自体は判明しないが、BC2500年頃のメソポタミアには、すでに人工的水流で処理した水洗トイレが現れてきており、BC1500年代のエジプトの遺跡では、はっきりとした石製の便器らしきものが確認されている。当然エジプトの水洗トイレは宮殿に限定したことで、一般下々には自然放流式、臭気拡散型、周囲隔壁なしであったと容易に推察できる。時代は下がるが、インカ文明のインディオ等の住居跡や木乃伊からも、水洗トイレの存在を確認し得る。 ローマ帝国(都市定住式生活)時代のBC500〜AD300年代になると立派な水洗便所が登場してくるが、哀しいことに、AD476年になってローマ人にかわってゲルマン民族による、ヨーロッパの支配が確立されてくると不幸がやってくる。すなはちトイレ史のうえでは暗黒時代を迎えることになる。

第三章 田舎もののフランス・イギリス

 人類文化の中心となるヨーロッパでは、ゲルマン人達は狩猟あがりの農耕民族の田舎ものであり、決してローマ人のような都会型スマートな民族ではなく、それゆえ個室密閉式のトイレの必要性は全くなく、山や畑やそこらあたりの自然の中で、意のまま、自由奔放にやったので、それはこれで十分でそれ以上なんの思索も必要なかった。イギリスやフランスに近代的水洗便所の登場してくるのはずっと後のAD1800年代以後のことであり、これだけ年代がさがっても、これらのトイレは王侯貴族のためだけのものであったらしい。つい最近まで古い都市では、水が行くぞうと叫びながら、石造りの建物の上えから、ばさっと、前夜の収集物をいれた馬桶のやうな便器を道路に向かってぶちまけたようだ。エジンバラはロイヤルマイルズの400年以上のあの石造りの高層ビルの上から、表の道路めがけてどっと人口滝がやってくるのである。パリはベルサイユ宮殿の綺麗に刈り込まれた広大な庭苑の、あちこちの茂みのなかで、つんとすました淑女が立ったまま用をたっして、やっていたのである。舞踏会用のあのイブニングドレスはもともと、ご婦人用の立ションの便利のように工夫されているのではないかと考えられる。舞踏会の翌日の庭の光景はどんなだっただろうか?不潔感よりなによりも、むしろ思いうかべるだけで滑稽だ。最近ブランド商品の氾濫で、ブランド至上主義に陥り、どうも日本人はコンプレックスに陥っているきらいがあるが、イギリスやフランスなんて、もともとこの程度のもので、伝統ともいうべき文化がないのが普通であり、田舎ものの集団なのだ。(topに戻る)

第四章 日本の特殊事情

 ことトイレに関しては、日本もあまり自慢の出来るものではない。下水道の発達は先進国では最低だ。日本では江戸以降人糞は貴重な肥料として用いられてきたので、水洗トイレのごとき、もったいない捨て方はわが民族になじまなかった。長屋の熊さんの利用した厠の最終産物は大家さんの所有物であり、金肥としてたいへん大切にされ、たとえ長屋の住人といえども、これを自由に処分する事が出来なかった。肥料として広く用いられた人糞は、貴重品であり大家さんの副収の一つで、その分長屋の家賃は割引されていたようである。しかも哲学する小部屋として考えた場合、それは最高にランクずけされるのではないだろうか?無限空間ではダメであり、半畳一間で有ることが絶対必要である。この大きさのみが、必要・充分な条件である。最近2畳以上あるいはそれよりも広いスペースを用い、書架や電話なんか持ち込んでいる文化人がいる(トイレまんだら)そうだが、これでは絶対ダメだ。なにがなんでも半畳一間でなければならない。

第5章 東南アジア曼陀羅

 フィリッピン・ベトナム・インドネシア・ボルネオの厠所は、ほとんど川縁あるいは川中につくられてあり、ことに養魚場の上の厠所は凄い。鯉・ナマズ・ウナギ等の生存競争なんてものではない。一匹一匹のさかなではなく、魚の群がおおきな、うねりとなって襲いかかってくる。数メートルもはなれているのにお尻はびしゃびしゃになってしまう。最新式、自然流自動ビデである。サイゴン川沿いには、粗末な木造家屋が並んでいる。一定の間隔で、細い桟橋の先に四畳半一間を囲んだだけの小部屋が、サイゴン川に突き出ている。そこで岸を背にしてしゃがめば、それはもう立派な哲学の小部屋である。ここから大型ナパーム弾を叩き込めば、股の遥か下方にある水面は大騒ぎである。黒い陰がどこからともなく集まって、ピチャピチャパクパク、ビチャビチャアップアップ、水飛沫をあげてわれもわれもと、人間様のおこぼれを逃すまいと、大騒ぎである。そして、翌朝にはふたたび我々の胃袋に収まる、食物連鎖なのだ。

 インドネシア、フィリッピンあたりの都会では、水洗便所は故障していることがほとんどだが、それに備えてとなりに水とバケツが用意してある。バケツを水で一杯にし、思い切りよく便器にぶちまけると汚物は流れていく。いわばバケツ式水洗トイレで、ぶちまけかたにもコツがあり、勢いがたりないと、汚物は流れていかない。

 中国、フィリッピン、韓国、沖縄、韓国済州島にはピッグトイレといわれるのがある。トイレの下に豚が飼われており、彼らが排泄物をかたずけてくれる。これも立派な食物連鎖なのだが。用をたしている下で豚がうろうろ動いたりすると、なんとも気が落ち着かない。なかには直接ねらいにくるやつがいて、なめらでもしたらどんな気持ちだろうか?みぶるいがする。よくしたもので、この豚トイレには、通常長さ3米ぐらいの細い竹が用意されており、この竹棒で直接ねらいにくる豚を追い払うことになる。昨夜の豪華な夕餐の上の子豚の丸焼きがここにいた親子のブタの一匹だったりして。(topに戻る) 

第6章 西アジア事情

 インド、パキスタンあるいは中国の一部あたりでは男たちも立小便をしない。礼儀正しいからではなく、慣例としてシャガミコミションをするのである。外で用を足す時も、道ばたにしゃがみ、 クルタと呼ばれるだぶだぶのズボンから、うまく取り出して用をたす。立ち小便ならずしゃがみこみ小便だ。パキスタンの映画館の休憩時間にトイレに行ったとき、 普通の男性用のアサガオが並んでいるのだが、 なんと男達はみな立派な髭をたくわえて、その足下にしゃがみ込んで壁に向かってやっているではないか。私の順番が回ってきて躊躇した。 立って正しい方法(?)でやろうとすると、便器のすぐ横に隣の兄ちゃんの顔がある。 まさに、しぶきのかかりそうな距離で、横目でみずとも、ばっちりである。かといって同じようにしゃがんでやるわけにもいかず、 結局少しすくのを待って済ませた。これがイランへ行くと、男は大抵ジーパンかスラックスをはいているので、パキスタン人のように道ばたでしゃがみ小便をすることが出来ない。従って、男も小便でも必ず四畳半一間を使う。バスで旅をしていると、休憩時間には男性トイレの前に長蛇の列ができる。 バスに乗っている客は男のほうが圧倒的に多い為だが、 日本の公園などのトイレの光景とは全く正反対で、女用はがらがら、男用は長蛇の行列だ。建物の裏に回れば周りは砂漠でだれも見ていない。 私の目には気分爽快、立ちションし放題に見えるのだが、 だれもそのようなことをしようとはせず、じっと順番を待っている。 だれか大でも始めたら大変だろうななどと心配しながら、裏で用を足すと それは、砂漠の砂に一瞬にして飲み込まれてしまった。 ここでは、これは本当に行儀の悪いことなんだろうなあと思われる。インドあたりでは手で直接洗浄した後の手洗いようと、尻洗いように水瓶が置かれていることがよくある。不浄の左手でやるやつだが、しかしこれには、さすがの私も手を出せなかった。

第7章 中国厠所事情 1

 「これを語らずして中国を語るべからず」と言われるほど中国のトイレ事情は複雑怪奇だ。中国へ旅行に行った人は、特に女性の中で、「トイレが汚い、入りにくい、開放的過ぎる」等の理由でもう二度と行きたくないという人がいる。たしかにあまり綺麗でない。しかし30年以上前の事情はほんとにたいへんだった。世界有数の大都市の北京や上海の最新式ホテルでさえ、個室式近代的トイレはまったく見つけることが困難で、当時、利用した近代的ホテルはすべて周囲開放的、人民対話式であった。小生の記憶では北京飯店(玄関入り口でパスポートの提示を求められた)のみ、真ん中閉鎖式ドアのトイレがあったと記憶している。しかし当時は特別のVIPしかこのホテルを利用できず、われわれはただトイレの借用のみでこのホテルを訪問した。天安門付近の公衆トイレは、男女とも、大小共横一列しゃがみこみであったし、北京動物園では男女別単穴式だった。最近では北京・上海等の都会では超近代的、超一流のホテルが林立し、ホテル内でのトイレ問題はほぼ完全に解決された。しかし火車(汽車)のトイレは水洗式だが、昔の我が国ローカル線のごとく、タンクがなく垂れ流しなので、駅に到発着する前後の10分くらいの間、トイレのドアは鍵を閉じられてしまう。

 また、最近では都会の町中のトイレは有料トイレであるが多い。北京の王府井や西単などの繁華街のトイレ(大通りから少し外れた路地に多い)は基本的に有料で、10〜30角を入り口にいる番人(清掃人)に払うとピンクのトイレットペーパーがもらえる。すずめの涙ほどしかもらえず、「これだけで、大丈夫なのか」と心配しつつ中に入る。予想に反して個室密閉式(上下開放型)の比較的清潔なトイレである。有料トイレは番人が常駐しているので掃除が行き届いているらしいが、男子トイレは昔の国鉄の駅や小学校によくあった横一列全員起立式トイレで、こちらは通常、門番がいないのに、われわれ外国人を見つけると、何処からともなく現れて、ピンクのトイレットペーパーを一枚だけくれる。このピンクペイパーは水洗に流すのではなく、隅に設置された汚物缶に入れるものだと思う。さすがに田舎へ行くと有料トイレは見あたらないし、当然ながら番人もいない。無料だ。ラッキーと想うのはまだ早い。その代わりに大きな試練が待ち構えているのだ。勇気のある人は入ってみるとよい。仕切りなど全くなく、悪臭が漂い、昔懐かしいボットン便所あるいは単穴だけの野外トイレを思い出す。空気が乾燥しているせいかこの臭気は強烈だし、呼吸困難に陥る。これでは女性が敬遠するのも理解できる。羞恥心なんてものは、たいへん相対的なもので、その時代により、国により変化するもので、環境によっては、ぜんぜん様子が異なってくる。とはいえ、郷にいれば郷にいるで平気で入る日本女性もいるそうだからたいしたものだ。日本女性はほんとにたくましくなった。(topに戻る)

第8章 中国厠所事情 2

 一般の民家にはトイレのない中国では、住民の苦肉の策として登場したのが馬桶(マートン)である。一見すると漬け物樽のようなもので、蓋をつけ部屋の隅に置いてある。人々はそこで用をたし、中のものがある一定量に達すると、公衆便所あるいは近くの運河に捨てにいく。文化レベルの低いイギリスやフランスの租界では、この馬桶を二階の窓から、通りに向かってぶっちゃけたそうである。

 最近でも、はれた天気のよい日には各家々の日当たりのよい場所に、行列してこの馬桶がほされているのが見ることが出来る。布団干しならぬ馬桶干しは中国では、一般日常的風景で、束子(タワシ)で磨かれた中は思いの外清潔なものだ。

 中国のトイレはドアも仕切も全くなく穴だけのものから、仕切があってもドアのないもの、その仕切の高さも人間の背高けより高いものから、膝ぐらいの高さのものまで様々で、一直線の溝が造られ、そこに跨ってするものものまで千差万別であるが、一般にはドアも仕切も無いことが多い。さあやってくれと穴だけ開けてまっている。いったい用をたすためには、どっち向いて(左右)座る(半中腰)のか?横一列、後(前)は何もない。また国鉄式横一列(大)の場合、待っている人(入り口から入ってくる人に対し)に対しお尻をむけて用をたすのか、それとも反対に対面式なのか、戸惑ってしまう。実際は対面式であったが、公園近くの公衆便所は街灯は言うに及ばず室内灯も全くなく、真っ暗闇でどこからが便器で、人がいるのか、いないのかさっぱり判らない。およその見当をつけてからやったら、その前に人間様が座っていたりして、大変叱られた。中国のトイレの印象は強烈だが、慣れてくると抵抗感も薄れてくる。

 中国のトイレは、また日本の銭湯と同じ庶民の社交の場でもある。勿論太極拳に励む広場や小鳥の鳴き比べする公園なんかは、中国人民の社交場であるには違いないが、トイレも立派な社交場である。用をたしながら、ぺちゃくちゃぺちゃくちゃ会話に花を咲かせている人もいるし、ゆっくり読書に励んでいる人もいるが、尻台が有るわけでなく、長居すると足がしびれてくるし、決して日本のように半畳一間の哲学する小部屋の雰囲気はない。

チベットのポタラ宮殿には空中厠所がある。小も大も、古い日本とまたっく同じ構造なるも、床は細い竹の簀の子(スノコ)があるだけで、張り出した厠所の下は約100米見通しで何もない。放出された物体は放物線をえがきながら、はるかかなたへと飛んでいく。上から見ても石の城壁は黒く汚れていたが、下から冷風が吹き上げてきて気分爽快なるも、ただ足が竦んで長居なんて、もっぱらごめんだ。

第9章 中国厠所事情 3

 香港は中国に返還されたので、すでに中国籍だ。しかし、いまなをイギリス的すこかしこさがのこっている。ペニンスラーホテルは、香港でなくイギリスのしきたりと伝統を代表することで有名である。このホテルにはいわゆるグランド(一階)にはトイレがない(地階にもトイレはない)。あのブランド有名店ブチックのならんだグランドにはトイレがないのだ。しかし一階(二階)に二カ所ぴかぴかの磨きあげられた、清潔感あふれる綺麗なトイレがまっている。ブチック利用のお客は必ずこの二階のトイレを利用することになる。このトイレには昼夜必ず番人が常駐している。普通チップの必要なトイレは洗面台の上に陶製の皿を置き、呼び水するがの如く小銭のコインをすこしばかりばらまいておくものだ。しかしペニンスラーのこのトイレには皿が置かれていない。チップなしOKかとも思うが、小便しているあいだに、やっこさん水道の栓を開けて私を待ちかまえておてり、手で誘導するようにプリーズとのたまう。やむをえず手を洗うと、次の瞬間、真っ白な、きれいにプレスされ清潔そうな手拭きを、ほんとに見事なタイミングでさしだし、またもやプリーズとのたまう。私は手を拭きながら、チップをやろうか、どうしようか考えながらズボンのポッケトの小銭を思い浮かべていたが、結局壱圓(日本円約15円)差し出すことにした。やっこさん黙ってそれを受け取りポケットに入れよった。数時間後またも尿意を催してきた。前立腺も肥大気味なのかどうもオシッコがちかい。部屋に帰ろうか、どうしようかと考えながら再び二階のトイレを利用することにした。このときも番人との間で、前回と同じようなセレモニイがもたれた。ふたたびズボンのポッケトを探ったが、今度は拾圓二枚と五圓硬貨一枚しか見あたらない。やむええず五圓硬貨を渡した。やっこさんサンキューとだけのたまった。こちらの気分はまあまあである。また数時間後ふたたび尿意を催してきた。ふたたびこのトイレを利用し、こんどは拾圓コイン一枚差し出してやった。やっこさんサンキュー・サンキューベリマッチ・マスターとのたまい、すばやい身のこなしで、なんと廊下のドアまで開けてくれた。そして「また来て下さい」とはっきりした日本語でおっしゃった。おもわず笑ってしまったが、気分爽快、新品の如きプレスのきいた手拭きといい、香港滞在中この番人とも親しくなり、このトイレで結局都合壱百七拾壱圓のチップをはずんでしまった。ペニンスラーはサービスがよいのか、悪いのかさっぱり理解できない。部屋の広さは、古いホテルなのでさほど広くないが、二台の洗面台とバスタブ、シャワー室、トイレが付属している。シャボンは一応エルメスブランド(いぜんはブランドリクエストができた)が提供されることになっている。宿泊初日はすべて五個ともエルメス製品が用意されていたが、その内の一個のみ使用して、残りすべてみやげ用に鞄におさめておいた。夕刻部屋に帰ってきてみると、洗面台の二個のみエルメスでほかはすべてMBブランドに代わっていた。三日目には、前日使用中のものが一個のこり、そのほかすべてMBブランドに代わってしまった。それ以後も同様だった。ホテルがセコイのか、わたしがセコイのか、この勝負私の完敗となった。(topに戻る)

最近ML(ChinaTravel)で次のような話だ出た。中国の名の有るホテルのトイレには服務員が常駐して濡れテイシュなど手渡ししてくれました。最近は見かけなくなりましたね。あれは 何なんでしょうね 気の毒な仕事だなと思いましたが。でも有る話しですとホテル一番の実力者とか 或いは 諜報機関の人の可能性が有るそうです。日本人団体客はトイレでは安心して仲間同志で中国の悪口など言うと直ぐ報告されるとか。また女の子と仲良くなるとつい話してしまいますね、目に余ると矢張り通報されるとか。そう言えば 昔 役所の門番は一番偉い人がなると言う話しも有りました 出入りの人を調べてるそうです。
皆さんは心配しないでしょうが「壁に耳あり」でしょうから気を付けたほうが好いでしょう。
変な話しで 対不起。(2009/12/9)トイレの服務員が公安だったという信じられない話だ。

第10章 戸惑いの日式便器  

 日本式トイレも外人から見れば随分とへんてこなものだろう。とくに欧米人にはしゃがみこみ式トイレは奇異に想うだろうし、前後の別を理解できず、うろたえるだろう。西洋式トイレばかりみて生活してくると、日本式トイレでは前後逆の使用方法にならざるをえない。チンかくしでなく、シリかくしとなるのであまり勢い良く飛ばすと室内を汚すことになる。最近もっと奇妙な出来事が起こっている。団体バスなんか駐車している高速道路のパーキングエリアでは男子用と思って、飛び込んだらおばちゃん連中がいっぱい。がまんできず、あわてて飛び込んだかと、そとにでてあらためて確認するまでもなく、そこはまさしく男子用便所、つまり男子用がおばちゃん連中に占拠されてしまったのだ。大のほうの用件なら大変困ったことになる。もし反対に女性用トイレなら、それ痴漢の出現とかで、パトカー出動となりかねない。あなおそろし。雇用機会均等法とか、労働法規も改正になったことだし、でも考えてみれば、ちいさな街の喫茶店やレストランでは男女兼用であり、それが普通でなんらの違和感もない。

 アメリカのトイレの仕切りやドアは、床から背丈以上まで密封されている日本のトイレとことなり、膝から頭位までしかなく上下解放式である。密封個室でなく日本とことなり半個室ということになる。しかもアメリカの便座は非常に高く、日本人のような短足が、この上に座れば足が床にとどかない。ちゅうぶらりんではどこに力をいれたらよいのかさっぱり要領をえない。はずかしいことだが、狭い馬蹄器の便座のうえにのってやったことがあったが、たいへん不安定このうえなかった。

 イギリスは私のつたない経験では、林望先生のお説とまったくことなり、あまりきれいな清潔な印象はない。公衆トイレはなかなか見つけ難いし、たまに見つけてもほとんど有料トイレだ。ドアにコインを入れなければ利用できないし、そのうえ手洗い場までも有料ときたら、こっちまでぷっつん切れてしまう。小便器の朝顔の高過ぎのも気にいらん。背伸びしながらするのでは、安定が悪く、ペニスの先端と汚れた便器が異常接近するのが、おっかないしそれだったら臭気もなにもない、気持ちのよい宇宙空間を利用するのが一番だ。

 フランスももうひとつだ。穴のないトイレには恐れ入った。れっきとしたパリの三つ星クラスのホテルであるにもかかわらず、トイレに穴がなかった。四畳半一間の空間は、単なるタイル張りの平面で、レンガ一枚ぐらいの高さの足台がそれとわかるていどの間隔でおかれており、部屋の隅にぶら下がっている針金を引っ張ると水がでてきて洗いながしてくれる。この針金を引っ張るのにまたコツが必要で、うまく処理しないと汚物を残すことになる。また足台と入り口ドアとのあいだが長く、よいしょと飛ばねばならない。用をたすのもひと苦労である。

 一般にいえることは、トイレに関して比較的開放的な外人が、日式公衆浴場の利用に戸惑うのもおかしなことだ。恥ずかしがるのは理解できても、肌着のまま入浴されては他の客はたまったものでない。トイレではオチンチンぶらぶらオープンで、風呂では肌着着用と言うのでは論理の一貫性が見られない。もともと足し算・引き算のたぐいも出来ないイギリス人やフランス人たちの思考の程度はこの位のものである。

第11章 最高のトイレ・最高の哲学する小部屋                

 京都仁和寺に国宝に指定された建物に上殿の間がある。この部屋の横に殿上人達が使用したのか、厠がみられる。なんとこの厠は畳床であり、便器はウルシ塗りだ。落とし蓋も勿論ウルシ塗りで、これをとってみれば、すこし高床になっており、したのほうに直径4〜5cmの玉砂利が敷き詰められ、穴の真下には一米四方ぐらいの細い竹の簀の子が置かれていた。小の方はそのまま下の方に染み込むが、大の方は簀の子の上に堆積されることになる。勿論ときどきこの簀の子と玉石をとりだしあらっておったと考えられるが、なにぶんにも、中国の田舎の厠所と基本構造は全く同じであるが使用頻度は比較にならない。臭気は全くないし、蓋穴から涼しい、気持ちのよい冷風が吹き込んできて、なんともいえない爽やかの気持ちだ。しばし殿上人の気分にひたれる。むかしむかしの大昔(40年以上前)のことだが、私はこの厠を利用した御人を知っている。むかしのことで時効になっている話だが、勿論当時から使用禁止だった。しかしこの立派な厠は、簡素で、美的感覚は抜群であり、禅的精神の結晶と考えられるが、いかんせんその広さは2畳なのだ。けっして半畳一間ではなかった。最高の厠、かならずしも最高の小部屋ではない。

 半世紀も昔の話だが剣(ツルギ)の室堂にはちいさな天狗の小屋しかなかった。最近では黒部第4ダムも完成、その後観光客がどっとおしかけ、ホテルが出来たり山の様相は一変したが、当時は辺り一面高山植物のお花畑で、ゴミなんか1個たりともみあたらなかった。付近を散策すれば、歩いてきたところが小径となってズーとズーと、いつまでもいつまでもその軌跡を描いている。ここでのキジ打ち場は日本最高である。目の高さは永遠につづくお花畑であり、夜は地球の半球が手のとどく高さにあり、ちょっと手を伸ばし、空に散らばるダイヤモンドをもぎって、ネックレスにでもしたいほどだ。モンゴル、チベット、タクマラカンの夜空もすごい。星数が多い、無数にあるといったようなものでなく、煌めく宝石ダイヤの間に黒くぬけた空が存在するようなものだった。これらはキジ打ち場としては世界最高であり、これ以上のものはあり得ない。こういうところでキジを打てば気分爽快、生きる喜びを直接感ずるが、これは経験者だけに許される最高の幸せである。しかしキジ打ち場としては視界が開かれていることが最低の条件であるが、哲学する小部屋として捉えるとき条件が異なってくる。

 最高の小部屋とは広さは、広からず狭からず、四畳半一間でなければならず、明るさは明るすぎず暗からず、はやり個室密閉式なるも、良く換気され臭気なく、周囲の壁は遠からず近からず、その色明る過ぎずかつうすいブラウンで、なおかつしゃがみ込みでなく清潔な便座があり、分でなく時間単位でねばっても足がしびれることなく、思索は七つの海を超えて、過去から現在・未来まで続いていく、それがわが家のトイレである。                                                                  

(便所・厠・厠所・トイレと四者区別して書いたつもりである)(1997.7.15)


トイレ目次


中国の変化

13年ほど前の話である。この文章を書いたのは1997年ということである。世の中変化が激しい。10年ひと昔といわれているけど10年もすれば変化するのは当然のことである。まして中国の変化は素晴らしい。全く違った国へと変化した。所得格差が激しい、貧富の差が拡張新しい変化をもたらした。とはいえ中国は昔から貧富の差は烈しいのだ。大原(山西省)辺りの豪商(農)の館を見れば一目瞭然だ。街のお金持ちと云うより1国1城の貴族のものだ。ほんの30年前には世界の大都市北京にはトイレが無かったといえば何のことかと疑問に思われるかもしれない。しかし事実なのだった。変な表現だが北京のホテルや街中にはトイレが無かったと言えば誰が信じるだろうか。次郎さんの記憶では北京飯店以外では北京中どこを探してもいわゆるトイレが無かった。これは事実だった。家族で行った北京動物園にはトイレが無かった。御婦人は用を足すのに困った。あったのは二つの小さな穴だけであった。勿論オープンエアでどこからでも丸見え、慣れない日本人は困り果てていた。360度視界を遮るものはない。この頃よく利用した西門飯店やその他のホテルにもトイレは無かった。あったのは隣近所仲好しのニーハオ式トイレだけであった。中国人は日本人ほど羞恥心が無いのだろうかと思った。考えてみればこの方が合理的と云えば合理的だ。臭気も発散される。みんな仲良く用を足しながら和気藹々世間話に夢中になれる。北京オリンピック前後からトイレ事情は完全に一変した。街中の公衆便所は綺麗になったし清潔に変身した。各家庭にも電気が来て部屋が明るくなったしトイレも改修されシャワーも設置されるようになった。もはや薄暗い外灯のもと勉学に勤しむ学生たちの姿もなくなった。勿論この頃(20〜30年前)には詐欺もコソ泥、置き引きもいなかった。偽物もなかった。すべて安心したものだった。最近では暴力的スリ団も現れ、殺傷事件も稀ではない。香港的危険さが輸入された。(2010.07.10)


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