旅行記(travelogue)に思う


 何を今更、とも思うのであるが旅行記と旅案内(旅情報)は全く異なるものである。旅情報はそれなりに、その時点での正確さを要求されるが、旅行記は著者が各地を旅行し、見たこと、ふれたこと、聞いたこと、感じたこと、学んだことを著者の主観のもと、自由に書きつづったものである。実体験の経験がその基礎をなしてはいるが、如何なる方向に向かっていくのかは作者の自由自在であり、その選択権は全く作者に属するものである。当然ながら、主観は拡張、拡大解釈され、とんでもない方向に飛躍していく。作者の主観に基づいて書かれた旅行記は、誇大妄想的表現で有り、マユツバものが沢山入り込んでくる。おもしろ、おかしく書こうとすれば、どうしてもこういう傾向が出てきても止むをえない。たとえマユツバがあったとしても少しの責任もあるわけでない。旅行記なんてもともとそういう性格のものなのだ。読む方も全てそう言う類のものであると先刻承知の上拝読しているに違いない。そういうわけで、実際旅行しなくても旅行記は充分に書けるのである。こういう点において、全く小説も同じ性格のもである。

 「ビルマの竪琴」の竹山道雄さんも、「敦煌」の井上靖さんも、かの地に実際一度も旅したこともなく、立派な作品を残している。終戦間もない昭和23年発表された「ビルマの竪琴」を読んだ人は、誰しもが竹山道雄氏がこの作品をものにしたのは第2次大戦に参戦して書いたものと確信していた。それがどうだろう、竹山道雄氏は一度もビルマに足を踏み入れたことはなかったという。信じられない思いだ。彼の描写は微に入り細にわたり、事細かに述べられ、実際当地の事情に精通している者にとっても、正確でとっても机上の作品であるとは信じられないという。やはり後世に名を残すような作家は想像力豊かで、思考の過程が凡人とは違うようだ。両作品とも映画にもなったが、その風景、地理、風俗、生活習慣は正確無比であったそうな。しかし、今から考えるに、ドイツ文学を専攻して居られた竹山道雄氏は第一高等学校に奉職して居られ、多くの教え子達を戦場に送り出し、哀しい教え子達の消息をつぎつぎ知るに及んでこういう作品が生まれてきたのであろう。ドイツ文学のなかでなく、軽い種の日本文学の中で華開く結果になったことで、竹山道雄氏のなにもなしえなかった痛恨と反省の苦渋があったものだろう。

 「深い河」の遠藤周作氏も同様であり、他にもこんな例は枚挙に止まらない。はからずも「深い河」は遠藤さんの最後の作品となったが、遠藤文学の最後を飾るにふさわしいものかどうかは評価の別れるところだ。遠藤文学の集大成と宣伝されている割には、ぼくにとっては今一つであった。やはり往年の作品のほうが僕には興味がある。彼の労作は多方面に及び、心理的葛藤を呼び起こすものから、宗教の分野まで及んでいる。彼なりに真摯に取り組んでこられたが、その雑文学は彼の博学とともに評価されるべきもの想うが如何なものだろうか。でも純文学として遠藤さんの評価については、色々意見のあるところだ。

 いづれにしても、小説は作者が独自に構成し、筋道をたてて、物語が進行していくが、途中どんな脱線中座があるかもしれない。ケルンから色々小枝をつけ、意外な劇中劇を登場さす。作者自身それを楽しんでいるに違いない。旅行記も全く同じであり、著者の主観の入らないものはつまらんもの、興味のないものになってしまうに違いない。旅行記は独断と偏見に満ちたウソ、虚偽の羅列に過ぎない。ウソであるからこそ面白いのである。

平房再訪


homeに戻る  随筆・評論に戻る  旅雑学