客家の里
福建客家の民居土楼なら、璋(さんずい)州市(1時間)から行けばよい。南靖へは璋州西バスターミナルより行き(1時間)、廈門から南靖まで直通で2時間、そこから更に書洋行き(2時間)のバスに乗り換える。1日に何本か直通も有るが、市内のどのバスターミナルから出ているか一定ではないので、日帰りしたければ、タクシーをチャーターすると良い。タクシーは8時より16時までの8時間で約500元(タクシードライバー・ガイド付き)だが、郊外であるため、またこの時間を超過しそうなため割り増し料金が必要だろう(中国旅行社 4/10/2000 )。書洋まで行けば数多くの土楼がみられる。永定のように観光地化されておらず、600年前から使われている傾きかけた5階建て土楼や梅の花に喩えられる田螺坑も書洋の先に見られる。去年より道が舗装されて行き易くなったが、アモイの運転手が道を知る由も無く、聞きながらになると思もわれる。それでも道は1ぽんで見学もいれて往復8〜10時間程でしょう(時間が有れば、そのまま永定まで足を伸ばし、2〜3日かけてゆっくり見て回るのが良いけど、書洋で一泊できる)。
4世紀始め西晋が滅んだとき、北方民族に追われ、中原から混乱を避けて南下してきた漢民族の子孫が、ここら辺り一帯の梅州市に住を構えた。民族移住の困難な状況の中、先住土着民族との軋轢の中、いかに身を、家族を守るべきか、敵の攻撃を受けても数カ月間は堪えしのぐことが出来るよう砦と住居を兼ねた土楼を建てた。普通一般には円環であるが方形のものも見受けられる。建物は4階位が普通で、壁は厚く(1m以上)粘土から出来ておりなかなか堅固であるようだ。土楼の前に立つと見上げるばかり巨大なもので、1階は祭殿、客間、遊び部屋等公式の用に使われ、2階は食物の貯蔵庫で、3〜4階が個人の住まいとなっている。この民族から華僑として世界にでていって成功したものは数知れず、彼らの送金によって辛うじて生きながらえているのが現状のようである。ひとつの土楼で100家族以上済んでおり、建物の内庭では豚などの家畜を飼育している。
人口の構成は新生児から90才に及ぶものが数世代同居しており、殆どがこの土楼で産まれ育ち、農業に従事しながら生計をたてている。偉大な漢民族だと云っても血液は純化の傾向にあり、さっこく土楼を解散し、広く世間に出て行かねばなるまい。客家の民の興亡はいつに指導者の決断にかかっているようだ。