孔廟(山東省曲阜)

孔府は、孔子累代の邸宅であり、孔林とは孔子はじめ一族の墓所でもある。また孔廟とは文字どおり、孔子を奉ってある所であり、もちろん、孔子とはかの有名な論語の孔子のことである。孔子の死後弟子達によって編纂された論語はあまりにも有名すぎていまさら何にも述べることが出来ない。
儒教の祖、孔子の故郷である曲阜はは小さな街(65万人)であるに違いないが、孔廟、孔府、孔林とその規模は、それぞれ、でっかくて、広すぎるし、付近には、その弟子孟子の孟廟、孟府、孟林(孟母林)等もあり、観光するにも何日も要するし、なかなか味わい深いところである。
中国の3大宮廷建築の一つである(孔廟・大成殿)、孔廟には466を超す部屋が数えられるといわれている。孔林の広さは200ha(70萬坪)を超え、とにかく巨大なもので、最初、魯の哀公によって建てられたが、明清時代にもそれぞれ拡張され建て増していって今日の姿になったという。
孔子(論語)と言えば質素な思想家として知られ、その儒教の、世にあまねく、もたらす印象とは、大いに異なり、孔府は豪華で、その時の権力の偉大さを実感される。孔子の死後、その教え思想はあまねく、時の為政者に徹底的に利用され、孔一族は巨大な権力と結びついていったのだろう。もちろん、当時の為政者である朝廷の封建秩序維持のためにも利用され、儒教精神の発揚のため、孔廟の建設に力を注いいったのだろう。だが、その権力たるものは、果てしないものと思われる。
六つの門に掲げらた碑文は、それぞれ孔子を象徴している。櫺星門は現在では石柱になっており、櫺星とは学問の神様(孔子)のことで、乾隆帝の直筆になるという。奎文閣は最も古い木造建築の一つで、奎とは星の名前で、奎文とはつまり学問の星、天上の孔子を指し示ししててる。門に掲げる額の三和元気も史書から取られた文章で大極元気三函を一になすいう宇宙原理から来たものである。
十三碑亭には十三個の石碑が十三の碑亭に納められて、大きなものは65トンに達するという。亀は竜の五番目の子供で、大変力持ちだと言われている。この亀ににた想像上の動物、頭は竜であり。背中は亀、尻尾は蛇という、動物がこれら65トンにも及ぶ石碑を背中に乗せて支えている。碑文の内容はいずれも、いずれも孔子を称えるものばかりである。
広く樹林に覆われた孔林は全体の大きさが掴みにくい。70萬坪なんて、いったい、どれぐらいの大きさなのか想像もつかない。敷地内には漢代からの墓が存在し、全部で10萬基以上あるとのことで、あたかも中国の古代歴史の学習するようなものだ。孔子の墓は小さな小山状で、その前の東側に2重の石碑がたっていた。手前の石碑はやや大きく、明の1413年黄養正と言う書家によるもので、真後ろにある少し小さめのものは元代の1244年第50代子孫の孔元が建てたものと言われている。3孔の立派な、豪華なものと違い、そこだけがなんだか孔子らしいと表現できるような、つつましやかなものだった。孔子の高名に縋り付くように、派手になっていったり、権力を手に入れていった後代の孔一族とはまるで無関係のような質素なもので爽やかな感じがした。墓前では孔氏65代を名乗る男が書を書いて一枚千円で売っていた。あまり上手ではなかった。曲阜の人口の20%は孔と言う姓であるらしい。
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