水郷周庄(上海)
水郷周庄(上海)
中国はたいへん大きな国だ。55以上の少数民族をかかえ、民族独自の文化をもち多彩ではあるが人民の大半を占める漢族の影響するところ大である。でも国土が広すぎるため、同じ漢族でも場所により、言葉・文化・性格が酷く異なり、これが同じ漢族かと思われることにしばしば出くわす。南船北馬、地図の風土の上からも大陸は2分されるようだ。一般的には長江(揚子江)によって、その国土は分割され北方の人達、南方の人達、それぞれ言葉習慣から性格まで異なっているようだ。
周庄は大都市上海、蘇州と大運河で結ぶ嘉興市の3角形の真ん中当たりに位置し、上海から車で約2時間足らずである。以前(1996)にこの当たりの淀山湖(大観園)まできたことがあったが、その時は、周庄は観光地として開放されておらず、水郷の存在そのものも知らなかった。淀山湖までやってきたのは雑誌「旅」(JTB・1995.10)が中国特集で、その中に大観園完成の記事が載っていたからで、翌年5月に上海からタクシーを飛ばしやってきたが、大観園は完成どころかいまだ工事中だった。雑誌の記事なんて全く当てにならない。中国古典のかの有名な紅楼夢の故郷らしい。紅楼夢なんて書中の物語で、中国のあちこちにあるらしいが、ここが一番有名だという。
この淀山湖周辺は、素晴らしい湖沼地帯で、それこそ南船北馬を絵に描いたようなものである。この素晴らしい周庄は北白蕩・白蜆湖・南湖の3つの湖水と縦横の運河に囲まれた人工の邨であるが、既に数百年の風雪をえてもなお、当時そのままのかたちで温存されている。南船北馬とよくいったもので、ここに来て初めて実感される。
中国の詩人達が好んで詠んだ。山の美しさは黄山に尽き、水郷の美しさは周庄に尽きると。黄山の風景は天下に甲なりで周庄の水郷はそれに匹敵するという。中国は偉大なり、規模が全然違う、柳川、近江八幡の水郷もそれなりに美しくきれいだが、いかんせん大国の周庄はその周辺も含めて大規模で桁が違うようだ。この当たりには周庄以外にも朱家角、用真、商榻その他の水郷があまたあるようだ。これら全てが世界遺産に相当するものだろう。邨を縦横に運河が通り、運河の上には石の太鼓橋が懸かり、そこから石の小道がさらに細く延びる。日本ならこの太鼓橋一つとっても重要文化財だ。道沿いの家々や運河沿いの家々はすべて白壁に黒い瓦が載っている。運河の両岸は石の堤に石造りの古色蒼然とした古家だ。おそらく600年の歴史を刻む明清の時代からのものであろう。またそれが現在の村人達の用に現に供せられている。小舟に乗りゆったりと漕ぎ出せば、運河の両岸より、村人の生の生活が実感される。川沿いの道路から見る風景、船の中からみる風景は趣が異なるが、柳並木があったり古い家が建ち並んでいたりと抜群の風情で柳並木を抜けると急に店や民家が建ち並んで現れてくる。また、いくつかの民家が公開されている。ゆっくり歩いて船乗り場に到着、ここから、のんびりと水郷めぐりを楽しんだ。
船に揺られてのんびり景色を眺めていたら、船頭さんが歌を歌ってくれた。歌詞はわからないが郷愁を擽るすごくいい雰囲気だった。
水路は網の目の様に張り巡らされているが、単なる迷路ではなく、長安の都の如く碁盤の目の如く秩序正しい。整然としている。中国の有名な風景は、多かれ少なかれキンキン漫々、仏様まで真っ赤でキンキンぎらぎらしてござる。北京の天壇しかり上海の豫園しかり、観光地の有名箇所は、赤色、金色のツウトンカラーの世界だ。一般的に中国人は華やかな色彩を好むが、この周庄は完全な白黒の世界だ。何百年変わらない、古き良き時代の日本とイメージがダブルようで、全く同じだ。タイムスリップ、まさしく明清の時代に逆戻りだ。急速に変化する上海の変わり様を見るにつけ、人混みの中の豫園をみるにつけ、こんなところに来てみたかったと心から思う。長い年月、人の手を入れず、自然のママ、数百年の歴史を刻み込み、日本人のノスタルジアを擽り、ホントに落ち着いた風景は侘びと寂の旅情を満悦させてくれる。
迷路のような町並み、入り組んで何処からでればよいのか判断しがたい。ここに迷楼があった。迷楼には柳亜子と陳去病のお二人の詩人が鎮座しておられた。彼らはこの落ち着いた美しい風景に酔い、酒を飲み酒に酔い、天下を憂い、世を語り、新文化を提案、民主革命を詩(漢詩)に託した。迷楼の意味あいは迷路の中にある楼閣か、あるいはまた明清の詩人達が酩(迷)酊し詩を吟じた楼閣か、その意味は判然としない。でも何か心擽る何かがある。静寂の中無限の彼方へ誘ってくれる、小舟の中で昼寝でもすれば快い風邪が頬を掠め、川の面をよぎる櫓と柳が風になびく音とのみが、快い子守唄となる。
何処でも同じことだが、ことのほか落陽の真っ赤に燃える葦原の水郷はことのほか郷愁をかき立てる。この葦原が黄金付く秋にはもう一度是非訪ねてみたい。(5/6/01)