親戚社会残酷物語
血のつながりを重んじるのは、東アジアに共通している。特に韓国、中国ではもっとも重要視される。韓国では姓が同じならば皆同じ出身と言うことで、この関係が社会の全ての基礎概念となる。韓国人の姓の数は100あまりしかないとのことで、同じ姓をもつものならば、親戚と言うことで居候を決め込んだり、たっかたり、あやかったりと随分世話になることが出来る。同じ姓の成功ものがいるだけで喰いはぐれがない。まことに結構なことである。金持ちが困っている同姓人にお金を与えたり、衣食を提供するのは珍しいことではない。
中国は全くのコネ社会だ。コネがなければなにもできない。社会の緩衝剤として機能しているが、現在では悪い面のみでて、これでは到底近代化に脱皮できない。コネさえあればなんでもできる。できるどころか殺人を犯しても罪にならない。
フィリッピンはワイロ(賄賂)社会だ。どんな困った事情が出来てもいわゆる袖の下でなんとかなる。少々の罪なんか金の力で吹き飛んでしまう。市民の公僕ポリスさんだって袖の下に応ずるし、またはっきり要求される。金の力はおそろしい。金でこの公僕を買収、犯罪を手伝わすことさえ出来るという。あなおそろしおそろし。
ワイロもコネも同じようなもので、この両者はただタイムスパンがすこし違うだけだ。コネは日頃から培われ、持続的であるが、ワイロは瞬間の短いタイムスパンをあらわし、一時的なものであるだけだ。交通違反で捕まっても罰金の20%も支払えばそれで全てOKだ(相場が決まっている)。
ちょっと出稼ぎで裕福になった家族、それも右も左も解らない異国の地で、ひとり寂しく、爪に火を灯すような切り詰めた生活のもと、貯め込んだ僅かばかりの貯え。それを狙って、密に集まる蟻のごとし、親戚連中が悪すぎる。フィリピンではみんな平等でなければいけないのだ。でこぼこがあってはならないのだ。平均以下ならみんなで引っ張り上げてくれるが、水準以上なら親戚によって引きずり降ろされる。タカリが社会の常識となってしまった。