色それぞれ


 スタンダールの赤と黒は赤は愛、黒は僧院を表すというが、一般的に赤は愛とか血を表すことが多い。革命で流される血も、そのものずばり赤で表す。フランスの三色旗の赤は、この革命の血液の色でヨーロッパのみならず東南アジア、南米、アフリカ等の多くの国の国旗に取り入れられている。日本の国旗日の丸の赤は、文字どおり朝日をあらわす。真っ赤に燃えた朝日を象徴し、大変シンプルで僕は好きだが、外国での評価はいまひとつだ。民族性の現れで、どうもゴチャゴチャした色とりどりの方が好まれる傾向にある。いっぽう黒が何故僧院を表すのか良く判らないが、昔から宗教と政治は裏表、黒はなんだか、どす黒い、透明性のない闇の世界の表現である。

 東南アジアなんかで白黒ショウなんてな物がいちじ流行った。いうまでもなく、白はオンナ、黒はオトコを指し示す。極端に性格の違う物を対比して表す時にも色を用いる。白黒ショウなんて元祖日本の温泉地が発祥であり、中には東欧の黒黒、ヨーロッパの白白ショウなんて物もあり、言葉だけで実体はほぼ把握される。白黒をハッキリさせようと言うことは、物事の判断を確定さすこと、普通一般に使用されている。

 コレステロールに小さい粒子の善玉と大きな粒子の悪玉があるように、色にも善玉と悪玉がある。一番ハッキリしているのは白と黒だろう。もちろん、白が善玉、黒が悪玉であるが。今の天皇陛下が馬に乗っておられるお姿はあまり拝見しないが、昔は陛下の乗られる馬は白馬と決まっていた。明治天皇様の白馬に跨れた軍服姿は神々しくもあった。神馬も白馬である。出雲大社など大きな神社には神馬舎があって、白馬が飼育されている。餌も普通の馬と違って特別のものを与えるらしい。白は高貴の色なのである。また、純白、潔白といって清潔、無垢、正直を表すのも白である。処女も表現するなら白、純白である。フランスの三色旗の白は自由を表すという。

 白眉というのは特に傑出した人物や物をさす言葉だし、鉄斉居士が愛した白砂青松は美しい海岸の形容だ。昔から江戸の町屋で「色の白いのは七難かくす」と言う諺もあった。白は美の象徴でもあるのだ。

 これに対して、黒のほうは非常に分が悪い。黒は悪の象徴なのだ。「あいつは黒だ。絶対間違いない」と藤田まことさん扮するベテラン刑事が誰かを指す時、それはその人物がなにか犯罪を犯していることを意味する。政界の黒幕、といわれる人物がいる。不気味な存在である。正体不明、なにをやっているか、他人には分からない。あやしい。おそろしい。あぶない。と連想が広がる。シカゴのアル・カポネは、1930年代の暗黒街の顔役、といえばギャングのことであり、全世界の数分の1にも達する人々を死に追いやった黒死病と言えばペストのこと、黒心といえば嫉妬、わるだくみなど、黒い心のことを言う。黒の字のつく言葉でろくなものはない。主家の物をかすめとる雇い人のことを黒ネズミという。相撲の星取り表で負けの印は黒星だ。松本清張さんの小説の題名からはやりだした言葉に「黒い霧」と言うのがある。「政界の黒い霧」などという。明るみにでない巨悪のことである。 物事のスムースな進行を妨げるものを黒雲と表現するし、凶事に用いる水引は黒白だし、ごま化したり、隠したりすることを「黒める」という。といったあんばいで、評判の悪いことは黒に勝る色はない。

 ところが、そんな「悪玉」の黒でも、善玉になる場合がある。「目」である。目に関しては、白のほうが評判がズート悪い。白眼で見る、白眼視する、というのは人を冷たい目で見ることで、見られる側にとってはいやなことだ。つらいことだ。三白眼というのは、黒目が上方に偏って左右と下方に白目があるのをいうのだが、人を睨つけるような目つきで感じの悪い物だ。人相学でも三白眼は我が強く、人つきあいのが悪いと、とされている。黒目が下の方に片寄っているのは上三白といい、これは同じく人相学では盗癖がある、とされている。白目の悪評なのに対して、黒目のほうは「黒目がち」といった形容があって評判がいい。黒目の部分が大きい目のことをいうのだが、「黒目がちの魅力的な目」と言った風につかわれる。「黒い瞳の若者は・・・」というつぶらな瞳のロシア民謡がある。また別に「ダーク・アイズ」という世界的に流行した民謡もある。「黒い瞳」は「黒き瞳」であり、人気女優の黒木瞳さんの芸名もここらあたりからのものであろう。「俺の目の黒いうちはお前なんかに勝手な真似をさせないぞ」と言うセリフがある。「目の黒いうち」というのは「達者でピンピンしている間」と言う意味だ。目が黒いのは、美と健康を表す。悪玉の「黒」も「目」に関する限り、完全に善玉になっている。一方、善玉の「白」も目においては完全に悪玉になっている。

 このように、世のなかの物でも人でも、百パーセント善玉、百パーセント悪玉というのは存在しないのものである。どんなエラい人でも何らかの欠点を持っているだろうし、極悪非道と見られる人物でも取り柄の一つや二つはあるはずだ。その長所を活かし、短所を抑止していくのが物や人材の活用術というものだろう。

 最近インターネットで「黒の部屋」なる一文を見た。映画の好きな、うら若き、可憐な、ちょっと哲学する乙女が書いた詩である。黒は静に繋がる。静は思索するとこ、イマージネイションするとこだ。


旅の色



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