時の流れ


 田中美知太郎先生はギリシャ哲学を専攻しておられ、西田幾太郎先生の門下だ。伝統ある京都哲学々派の先生であるが、田中先生の講義は文学や哲学とは無縁のものにとっても、解りやすく、面白かった。先生は第二次世界大戦のとき、広島で戦災に会われ、顔一面火傷のケロイドの跡もなまなましく、初めてお会いしたときは、ほんとに吃驚した。科学で解決しえないところに、哲学の出番があるらしいが、私にはどうも理解の範疇の枠外のものであった。常識を否定する事、常識に疑問を投げかけることから哲学が始まるらしいが、難しい論理体系は、理解するのがたいへんむつかしい。先生が時の流れを読みえていたなら、戦災に遭われなっかたも知れないし、哲学と予知能力とはぜんぜん別のものかも知れない。

 シェクスピアの戯曲ジュリアスシーザーの主人公シーザーは時の流れを読みえなかったもののうちの一人である。部下の裏切りに遭い、友人ブルータスにたいし「ブルータス、お前もか?」と絶叫した。

 勝海舟は人生には「焔の時」と「灰の時」とがあるといっているが、問題は「灰の時」の処し方である。じっと我慢の子と堪えるか、深く過去を反省して積極的に打って出るかが問題である。

 人間の世界では、いつも潮どきというものがある。それが満ち潮の時は、何をやってもうまくいく。少々ヘマをやっても、潮の方で自然に幸運の方に導いてくれる。ところが、潮時を間違えると大変なことになる。あるいは引き潮に巻き込まれて溺死してしまうようなことが起こるかも知れないし、なにをやっても、うまくゆかず、悲惨な状態が生まれてくる。

 会員諸君はいかに対処されますか?


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