それを言っちゃあお終いよ
田所康雄と言ったらどなたかご存知ですか?車寅次郎ではどうですか?そうです。フーテンの寅さん・渥美清さんのことですね。この人の名前は小学生からおじいちゃん、おばあちゃんまで日本人ならたいてい知っています。
渥美清さんと言えば、映画「男はつらいよ」シリーズの主人公で、このシリーズは27年間続き48連作という前人未到の記録を打ち立てたそうです。「国民映画」とさえ呼ばれるこの映画に主演した渥美清は、死んで後、国民栄誉賞というものを受賞することになった。「広く国民に敬愛され、社会に明るい希望を与えることに顕著な業績が在った者」に、この賞は贈られるという。この賞を渥美清さんに贈ることを決定した日本政府を代表して、内閣官房長官梶山静六(自民)は以下のように臨時記者会見で述べた。「(渥美清は)人生経験に裏打ちされた演技で国民に喜びと潤いを与えてきた」「シリーズの精神がこれからも今の社会に生かされ、受け継がれて行くように、心からお祈りする」
国会では政府も、共産党も勿論のこと全員一致で栄誉賞授与に賛成したそうです。最近の出来事としては、ひさしぶりに後味がよかった。
ところで、「寅さん映画」に対して永年、賛辞・声援を送り続けてきたのは他ならぬいまや唯一の野党と言っていい日本共産党であったのです。考えてみれば、案外こうした事実は大多数の国民が知らぬことだったかも知れない。その日本共産党の機関誌「赤旗」は8月10日付の「主張」(一般的に言うところの「社説」)で「“寅さん”が私たちに残したもの」と題する「寅さん映画」への賛辞を掲載した。
「『男はつらいよ』を見るたびに、私たちは『人間っていいな』という思いに包まれてきました」「…あのなつかしい口上に新作で接することは、もう望めなくなりました。しかし、寅さんは生き続けるでしょう、多くの観客の心のなかに。私たちは、今心から伝えたい。『ありがとう、寅さん』と」
この党にしてはおそろしく情緒的な文章で綴られたこの「主張」と日本政府の言説はいったいどこで切り結ぶのかということを私は考える。両者の結接点はいったいどこにあるのか。「笑う」という人間の行為は、言うまでもなく文化の問題に違いない。その意味を厳密に考えつめることのうちに、日本という国の現実を解明する手がかりがありはしないかと考えたりするのだが、どうだろう。そこに日本と日本人の正体というものを見る気がすると言ってもいいのだが、果たしてどうだろう。日本共産党と日本政府の文化的撞着…。
この3つの名前を持つ1人の男の全人格は、本人にとってさえ渾然一体となっていたらしい。学歴社会のアウトサイダーとして、全国民をほろりとさせ、いつのまにか映像の世界の中に引きずり込み、主人公とだぶらせてしまう、真に不思議な男である。寅次郎は15歳で家出をしたことになっている。旧制の商業学校で校長を殴って退学となり、父親と大喧嘩の末の家出である。それ以来20年、テキヤ稼業で身を立てながら、旅から旅へ自在に生きるひとり暮らし。要するに、現代日本に瀰漫(びまん)して衰えを知らない学歴信仰社会の枠組みの外、埒外の人間というわけだ。そのうえ、女道楽の絶えなかった父親が泥酔して芸者に産ませた子が寅次郎なのだというから、彼には家族といえるような家族もない。身寄りといえば、東京の下町・葛飾柴又帝釈天の門前でダンゴ屋を営む「おいちゃん(叔父)」とその妻の「おばちゃん」、それに異母妹の「さくら」くらいのものである。母親はいるにはいる。京都かどこかでラブホテルの経営者になっていたという設定でシリーズに1、2度登場した。しかしともかく、寅次郎の身寄りは極端に少なく、世間的に言えばそのぶんだけ「幸せ薄い」身の上ということになるのだろう。毎回定番で描かれるマドンナと寅次郎の出会いと別れもこの物語りの中心モチーフである。突如真顔ではく名セリフ。
寅次郎は「人並み以上の身体と人並みに近い頭をもっとるんだ」と言われるほどの人間で、自家撞着、前後撞着の言行など朝飯前。ある意味では無責任の権化とさえ言い得る人物だ。そんな人間が、あるときある場面で「それを言っちゃあ…」と真顔で宣(のたま)うのだから観客は笑わずにはおれない。たとえば、寅次郎があまりにも馬鹿なことを言ったりやったりすると、「おいちゃん」なり「おばちゃん」なりが堪りかねて「テメエ(あんた)さえ居なけりゃ俺(私)はどんなに幸せか…」ってなことをつい口走ってしまうのである。そこから先が寅次郎の見せ場となる。
芝居で言えば「待ってました大統領!」と掛け声が掛かりそうな場面だろう。スクリーンを見つめる観客のだれもが次に吐く寅次郎のセリフは先刻承知の助という仕掛けになっているのだが、観客自身が脳味噌にそのセリフを思い描く一瞬の間(ま)があって、「そうかい、そういうことを言うのかい。それを言っちゃあ…」という寅次郎のセリフになるのである。このセリフを口走る寅次郎はどこまでも真剣、真顔中の真顔だ。客が自分の脳味噌で予想した通りのセリフが予想した通りにスクリーンに再現され、劇場に笑いがどっと溢れるわけである。
先にも述べたが、寅次郎は自家撞着の言行を平気でいられる人間である。その寅次郎が、ある種の状況において自分の言行などさておき突如として変身するのである。
「親しい間にケジメはいらぬ」と言う寅さん哲学。いくら親しい間柄であっても、言って良いことと悪いことがある−−それが「それを言っちゃあ…」というセリフの意味だろう。なにも悪気があって言ったのじゃない、親しい家族(同然)の間ならそこまで言わずアイマイに笑って済ましたっていいじゃねか、それがこの寅次郎のセリフの裏側にしっかりこびりついている寅次郎らしい気持ちなのである。
非があれば他人に対して謝罪するのはテキヤの仁義としても当然のことだ。テキヤ寅次郎はそのことを分かりすぎるほど分かっている。しかし、家族(同然)の間柄にはまた別の基準と論理が作用するのでなければならぬ。親しいはずの仲間うちでいちいち謝るなんて水くさい、ケジメがないのが親しい間柄の証(あかし)、証明じゃないのかと寅次郎は言いたいのだ。それが「それを言っちゃあ…」のセリフに内蔵・含有されている真の意味合いに違いあるまい、と私は考える。つまり、これがこの国の人びとの暮らしの中に秘められた動かしがたい約束事なのではないだろうか。つまり、これが生活の文法なのである。
寅さんではないが、まさか「それを考えちゃあお終いよ」ということにはなるまいな、などと考えつつ。
【追記】「フーテンの寅さん」像が柴又駅前にできた。(朝日新聞報道)
映画「男はつらいよ」の主人公「フーテンの寅さん」像が、地元の東京都葛飾区柴又の京成・柴又駅前に完成、29日の除幕式に地元住民やファンら約3000人が集まった。寅さんを演じ続けた渥美清さんが亡くなって今月で丸3年。地元商店会が「寅さんを後世に残そう」と発案、募金を呼びかけたところ約19万人から総額2000万円が寄せられた。白い幕が落ちると、見物客から「いよっ、寅さん」。旅立つ直前、トランクを片手に振り返るおなじみの姿だ。「これで寅さんは永遠」と山田洋次監督の言とか。〈さくら、照れるじゃねえかよ〉と寅さんが云ったとか、云わなかったとか。(8/30/99)