大徳

大とこ(大徳)の糞ひりおはす
           かれの哉(蕪村)


万物を放下した世外の高僧には、恥ずかしいとか、みっともなとか、そういう世俗の感情はもはや及ばない。天然自然、柳は緑、花は紅、人もまた生まれて死ぬるは白雲の大空を行くが如く、ヘールボック彗星の輝くごとく、その欲するに従って食べ、催すに及んで排泄する、そこには何等のこだわる所もない、とそういう仏教的哲理のおのずからなる体現として、この大徳は、野原で悠々とウンコをしている。この句が大徳でなく、「雲水の糞ひりおはすかれの哉」とでもなれば、若い修業僧の、融通自在の感じが漂ってきて、托鉢修行の一環として野に糞をするというのも不思議ではない。現実には、事態は切迫しており、逮夜参りの帰り道、急性腸炎による腹痛か、急に便意を催し、畦道を離れて野に分け入り、枯れ草の生い茂る中に身を隠すようにしゃがみ込んで、用を足している。日頃は白髪の、髭を生やした偉そうな、歴史を刻み込んだ皺のある風貌の、古刹の大徳の和尚だったから、ハハン和尚もやっぱり人の子、ああして糞もひりおはしていらっしゃるのだ。ひりおはすは尊敬よりもむしろ、ニヤリとするユーモアを読んでおかねばならない。現在のわれわれの判断基準から物事を考えれば、的をはずれた答えになってしまう。羞恥心なんてものは、たいへん相対的なもので、その時代により、国により変化するもので、環境によって、ぜんぜん様子が異なってくる。

参考文献  トイレ雑学
      哲学する小部屋(世界トイレ紀行)
      食物連鎖
      ベルサイユのトイレ
      不潔なヨーロッパの街
      中国のトイレは何故汚いか
      正しいトイレの使用方法(世界トイレ紀行 2)
      トイレ曼陀羅(世界トイレ紀行 3)
      トイレ雑感・変遷史(世界トイレ紀行 4)
      会社トイレの利用法
      トイレと束子
      棹を大切に 
      なぜ手を洗うのか?


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