トルコ式挨拶(トルコの男と女)
挨拶とイスラム
肥満体の男性同士が抱擁してござる。街中で、バザールの公衆の面前で。でっぷり太った中年男が2人、手を握り、肩を抱き合い、背中を叩き合い、頬を寄せ合っている。もと関取の小錦とこれまた元レスラーのブッチャーが抱き合っているようなものだ。ああやっている、あそこでも、ここでも。十数年の再会の如く。全く明るい、陰惨さは全くない。いい親父同士が、街角でこれをやっているのを見ると、一生の別れでもないのに、なんとまあ大げさなと笑いたくなる。彫りの深い、あくの強い顔をし、立派な髭をたくした男同士がひっつき合っている姿は見るからに暑苦しい。その点日本人は全く淡泊だ。たとえ十年ぶりの再会しても、親子兄弟まず抱擁することはないだろう。でも、かれらトルコ人から見れば、こんな日本人はどのように映るだろうか。
トルコの少年少女
バザールの中チャイ売りの小僧が敏捷に小走りに動き回っている。出前の配達中かも知れない。真鍮のトレイにいくつものチャイを載せ、全く安定した運びぶりだ。日本のざるそばの配達と全く同じタイミングだ。走り回っているのは小僧ばかりで女の子供は全く見かけない。バザールの売人もすべて男のみ、婦人は見かけない(もし、たとえ見かけることが出来ても黒いチャドルにすっぽりと覆われている)。子供でもイスラムの教えに従っているのだろうか。子供ぐらい例外があってもよいのにと思われるが、小さいときより生活の分担が違っているのだろう。男の子は外で親父の手助けをして商売を覚え、女の子は家で母親やおばあちゃんの手伝いをして、針仕事を習っているのだろう。
トルコ風呂それはハマムだった。ハマムの垢スリやマッサージはローマによって世界に輸出された。が本家本元はトルコなのだ。ハマムとハーレムは切っても切れない関係にある。多くの絶世の美人達が朝から晩までハーレムのハマムで美容体操にマッサージに励んでいたのである。王宮や宮殿のハーレムにしても、多くの女性はここから生涯でることなく、退屈した時間を、全身美容に磨きをかけていたに違いない。またここは女性達だけの情報交換、社交の場でもあった。楽しい交流の場には違いないが、所詮限られた空間だけで、束縛された中での贅沢、自由で、そこには本来の自由はまったくない、全くの篭の鳥であるにすぎない。
ハマムの垢スリ、凄いと聞いていたがなんのことはない、全身を撫でているがごときであった。マッサージもこれもいまひとつ、そういえばソールのサウナも高いだけで釣り銭はごまかすやら散々だった。日本のサウナはよい。垢スリ、マッサージは世界最高こんな素晴らしいものはない。大阪南のニュウジャパンのサウナは世界最高である。保証する。
トルコは、やはり男尊女卑の国(コーランの国)なのだ。語弊があるかも知れないが、男女同権の西欧諸国、いやレディ・ファーストのキリスト教の旧約聖書だって女は男の付属物だとハッキリ書かれている。後世の高名な神学者がなんとこじつけた解釈を試みようとしても、聖書にはハッキリと書かれている。女は男の肋骨の一本に過ぎないと。我々人間がそれを如何に解釈、自分のものにするかが全てを決める。男女同権結構なことではないか、でもいろんな科学、分子医学が発達して、今まで不可能と思われていたものが可能となってきても、医学では遺伝子レベルでは男と女は違うのである。染色体の数が違うのである。単純明瞭なことである。女は染色体が一本少ないのである。機会均等法、すべてで男女同権すばらしい。でも、なにがなんでも同じと言うわけにはいくまい。