トイレ雑観(変遷の歴史) 哲学する小部屋(世界トイレ紀行 4)


【トイレ雑観】
 頭悪、全てがそうなのだ。すべての始まりがそうだった。はまりこんだら最後自己の努力で抜け出せない。嫌悪と失望、奈落の底にぴったりとはまり込んでしまった。比較文化という奈落には閻魔さまがおられる。全く難しいね、なんだいそれは?トイレだよ、トイレ、それは永遠につきないテーマなのだ。いろんな角度から見ることが出来るし、考えることもできるし、ほんとにすばらしい永遠のテーマなのだ。どこでそんなことに気付いたのかは判らない。それ自体客観的実体として、見、観察し、比較する。形態、機能、美的環境として把握、単純行為の中に哲学が存在するかも知れない。でも2次元世界の空間としてこれを捉えるとき、思索する空間、つまり哲学する次元が生ずる。

【トイレは変遷する】
 初めの早い段階では、トイレは、不潔な排泄物、農耕との関連と言うような発想でなく、贅沢な貴族達の生活の習慣から生まれてきたものである。家中に便所をもたず、野外で排泄していた一般庶民とは対照的に、平城京時代(藤原京)ごろから貴族は母屋の中に樋殿(ひどの)という便所を設け、清箱(しのはこ)という箱(オマル)に排便する習慣があった。樋殿とは、街路より樋(とい)のような小さな水路を地面に掘りこの上で股いて、適時やっていたもので、街路の側溝に堰を作り、水を取り入れ、あたかも水洗便所の如き使用をしていた。でも側溝の水位が下がれば汚物は逆流するので、原則この樋の途中に割合深い穴を掘り、ここえ汚物を溜め込んだ。勿論地下吸収式だ。現在発掘された藤原京時代の、この穴の中の汚泥を検索することにより当時の食生活の状態が明瞭に理解できる。小便のほうは男性は「しと筒」女性は「虎子(おおつぼ)」と呼ばれる容器にしていたようである。用便後の箱は使用人の下女たちによって掃除され、塩を撒き、洗いきよめられた。縄文弥生の古代と大きく異なる点は、便所が母屋から離れた場所にある「川屋」(豪族や一般民衆も同様)から母屋の内部へと移り、水に流していたものを箱に封じることになったことだろうと思われる。この様な習慣はあまり確固とした考えのあったものからではなく、生活にゆとりの出てきた貴族制度の必然の結果であり、ここから、トイレが独立し遮蔽されるにつけ、また新しい、恥ずかしいという恋の思想が生まれてくる。
 平安時代(宇治拾遺物語)に見られる排泄と恋愛の関係も、古代とは対照的である。ある女房に懸想した男が、あまりに深い恋心をおさえるため、その代償に、その女房の排泄物の臭いを嗅ぐことを思い立つが、そのくさい臭いを嗅げば100年の恋も冷めることだろうに。男は彼女の排泄物を収め た清箱を手にいれ、臭いを嗅いだところ丁子とまごうばかりの芳香が漂った、という話である。が、真相は男の計画に気付いた女房が糞の代わりに香料を細工して入れておいたからだが、ここでは排便する女性はもはや恋愛の対象ではなく、恋を幻滅させる存在と化している。清箱に収められた便によって健康状態をはかることも行われていた。いわゆる検便、検尿である。このような習慣はフランスやイギリスにも見られるが、現在でも古代人の健康診断に利用されている。
 『宇治拾遺物語』には平安京四条北の小路が糞まみれであったために「糞小路」と呼ばれたと書いてある。それではあまりに直接的すぎると、鳥羽天皇は「錦小路」にあらためさせたそうだ。色が同じだからである。京の都の一般庶民は、糞小路のようなある程度定められた場所で用をたしていたようだ。これが現在の京都市民の胃袋、錦小路の源である。フランスはパリも同じような事情でパリの街のあちこちに糞小路が出現、汚物はドブ川となり、街中のいたるところをながれ、こんな事情が、お城もベルサイユに逃げ出したものと考えられている。
 普通に野外で排泄する習慣はいろいろな時間(時代)、場所で見られる。文明化以前の人間は大自然の中、トイレの必要などは感じなかったであろう。弥生時代にはいり、集落が発達し、人口密度が上がってくるにつれ、さすがにどこにでも、というわけにはいかなくなってくる、と考えがちだが、一概にそうともいえない。例えばフランスでは都市であっても民衆は道端で用をたしていたし、日本でも糞小路の記述や平安末期の餓鬼草子に見られるように、都市であっても目隠しで隔離された空間で用をたさねばならないという規範は少なくとも民衆階級には浸透していなかったようだ。
 現在でも立小便という行為は軽犯罪法違反とされながらも行われ続けている。女性であっても江戸時代までは江戸を除く全国各地で立小便は普通の行為だった。フランスでも日本でも、排泄は隠れてせねばならないという規範がはじめに起こってきたのは上流階級の間でだったようだ(1996年のスカトロジー)。

【農耕化以前の糞尿観】
 太古の生活は、貝塚からの出土品や古事記・日本書紀等の記述からおぼろげに見えてくるものでしかない。しかしこれらの文献の記述からはかるに、糞をケガレ・不浄とする思想はかなり昔からあったようだ。天照大神が天岩窟に入ってしまったことの一因は、スサノオノミコトが天照大神の新嘗宮に糞尿をぶちまかせて「ケガシ」たからであるし、悪鬼の類すらそのケガレを嫌うとされたことから、人名に『屎』や『尿』、不浄を容れる器という意味の『マル』を表わす『麿』『丸』という字を入れて魔除けにしたともいう。
 古事記に見られるトイレは、川の上に板を渡してそこを足場にし、排泄物を川の水に流す自然水洗式であったようである。いわゆる「川屋」であるが、これが即「厠」の語源であるかというと、諸説入り乱れ、定かではない。
 古事記には厠を介した妻問の記述がいくつかある。その一つの典型的な例は、セヤダタラヒメを見初めたオオモノヌシと言う神の話だろう。セヤダタラヒメと言う美しい娘が屎まっている水路に、丹塗矢に化けたオオモノヌシが流れて行ってそのホトを突くという記述は、厠が妻問の場所になりえたことを示している。厠で糞をする女が欲情の対象になりえたことはのちの平安貴族の心理とは相容れないことである。
 エジプトは言うに及ばずトルコなんかのBC1000〜3000年代の遺跡でもトイレの遺構が良く見かけられる。これらは世界最初の水洗トイレの一つに違いないが、その造り等より勘案して社交的空間であり、読書に励んだり、いろいろ世間話をする場であったに違いない。ケガレ等との思想とはあまり結びつかない。トルコの地下都市には現在の都市型トイレの原型を示すトイレが見られるが、これらは勿論水洗ではなく、敵から隠れた生活を強いられる必要上作られたもので、単に一時的保管のみを意味している。でも立派に独立した小部屋造りとなっている。

【農耕化以降の糞尿観】
 稲作が普及した弥生時代から古墳時代にかけて日本は急激な人口増加を見た。増加した人口を養い、階級分化もできるほどの農業生産の飛躍的な増大は、戦禍の巷であった朝鮮半島からの渡来人によってもたらされたものである。開墾技術、鉄器といった中国伝来の技術は耕地造りに威力を発揮した。これらとともに伝わり、生産力増大に寄与したのが人糞肥である。人糞肥が作物の育成に魔術的なほどの力を発揮し、農業生産になくてはならないものになってくると、それまで水に流していた屎尿をどこかに溜め置く必要が出てくる。まったく公衆衛生上の立場からであり、ここに便所構造の変化が始まる。また、糞はケガレでありながら農作物を育てる魔術的な力を秘めたものとされていく。イザナミが最後に生んだ神は尿神ミズハノメと屎神ハニヤマヒメだったのである。このように、時代が下がりトイレは人糞肥の貯蔵に迫られ出来たもので、現在のように社会通念としてケガレモノ(キタナイ不潔なもの)や羞恥心の概念からきたものではけっしてなかった。

【奈良時代の食生活】
 平城京宮趾の樋殿跡の汚泥(糞石)からいろんなものが見つかっている。ここから、箒木(チョウギ)と言われる箸のようなものが出土し、これでもって尻を拭いたようだ。いわば、当時のトイレットペーパーだ。このほか、糞虫やその羽などの昆虫類、いろんな植物の種、瓜やキイチゴ、茄子等の種子は勿論のこと、各種動物の骨、お魚の骨、寄生虫なんかが見られる。これら遺物の科学的分析の結果、当時、東北地方では、既に魚でも鮭を食していたことが判明した。鮭の骨は多孔質で網のような構造をしており、その独特な形態から特定されると言う。しかも、大きな魚の骨も小さく砕かれた状態から見つかることから、これらは日干しにして保存食としても利用されていたと推測されると言う。

トイレのあと何故手を洗うか?
 トイレの後で手を洗わないのは不潔とされている。幼少のときから、トイレの後は手を洗いなさいとは誰しも言われたことのある命令だろう。しかしなぜトイレの後に手を洗わなければならないのか。いつから日本人は便所に手洗場を付属させ、手を洗うようになったのだろうか。さらに大便や女性の場合、現代の日本人は局部や便に直接手を触れることはない。触れるのはトイレットペーパーだけだ。ウォシュレットになると、紙すら触らないだろう。それでも人は手を洗わねばならないのだろうか。
 疫病予防のためだろうか。最近大腸菌0ー157が注目を集めているが、トイレと言う、雑菌がうようよいる空間そのものが細菌学的に不潔なため、手を洗うのだろうか。この場合、不潔なのは例えばドアノブや鍵といった直接手で触る便所付属品となる。しかし薬用石鹸ミューズのコマーシャルで言えば、野外は細菌でいっぱいだ。大腸菌?サルモネラ菌?と言った具合にだ。誰しもがトイレの後で手を洗っているという保証が無い以上、電車の吊革や券売機、紙幣や硬貨といった不特定多数が触れるものはすべて危険である。しかし、駅を出る前に手を洗えとは誰も言わない。食中毒予防のためなら調理前や食事前に手を洗ったほうが効果的であろう。

【お手洗いの成立】
 洋の東西を問わず、平安時代までは、近代的な「お手洗い」なんてものはなかったはずだ。なんせ庶民はみんな、みちっぱたで垂れ流しだし、貴族だって、お屋敷の寝殿造りにはトイレっていう独立した場所はなかったし、庭先のそこらあたりで、適当にやっていたのである。シノハコ(清箱)といって類のもんがあるにはあったけど、あれは絶対ここと言うところに置かれてたわけじゃ無く、持ち運びのきくものだったし、ほんとに、今で言うオマルそのものだった。オマルでやれ、とはいうけれど、オマルは普通の部屋とか廊下の片隅においてあったりするし、固定した場所に置かれていたわけでないにので、これと水洗い場である、手水をくっつけて考えることはあり得ない。
 便所に手洗い場をくっつけたりして、「お手洗い」すなわち「便所」なんて言い方のきっかけを作ったのは、武家社会の鎌倉時代に伝わってきた禅思想であろうと考えられる。禅のルーツをたどるとインドに行き着くだろうが、インド辺りでは左手は不浄の手ってことになってるので、左利きの者なんか、これだけでもう不便な生活を強いられると思ったりするんだけど、とにかくインド・タイあたりでは用便後のおしりは水で洗い、左手の指で拭くことになっている。インドでは、そうやってじかに触れるから、衛生的観念から、ものすごおく念入りに手、特に左手を洗うようだが、それが日本にやってくると、手では拭かないのに(厠籌とか紙でふいてた)、禅寺の人たちは守るべき作法として、香を焚き、お清めしてやっぱりものすごく念入りに手、特に左手を洗ったいた。ここまでくると、もうただただ宗教の世界であるが、排泄すること自体、または排泄をする場所、そのものが宗教的にケガレてるから、香で清め、手を洗うという儀式で、そのケガレをおはらいしなくてはいけないのだそうだ。(厠籌はもともとインドの習慣でもある)

【ウオッシュレット】
 岩波の中英和辞典にもOPDにもwashlet(washret)なる単語が見あたらない。スペルが間違っているかも知れないが、どうやらこれは日本語のようだ。僕はてっきり英語だとばかり思っていたが、日本の衛生器具メーカーの特許だそうである。数年前よりわが家でも取り入れているがなかなか快調だ。こんなに具合が良いのだともっと昔から採用すべきだったと悔やまれる。痔によい。切れ痔、疣痔、脱肛に大変効果がある。ヘンテコナクスリよりよっぽど良い。日本人はその生活習慣から多かれ少なかれ、ある年代に達したら100%「ジ」になる。「ジ」にならない人は例外だ。僕は何も業者から貰っているわけでないが、これは素晴らしい、日本の世紀の大発見なのであった。
 東南アジアのインド、タイあたりでは、昔からこれの手動式ウオッシュレットが愛用されている。暑い気候、事後の清涼感なにをとっても、理にかない、これほど素晴らしいモノはない。生活の知恵どこらろか、日本のメイカーも、これらの国からヒントを得たのであろうし、これらの国にパテント料を支払うべきだと思うがいかがなものでだろうか?
 手動式ウオッシュレットを巧く使いこなされない方は、ボトルペットの使用を考えられては如何なモノでしょうか。できるだけ安物の柔らかいもの、さしずめミネラルウオーターの350〜500mlのボトルがよい。これだと思いの外利用しやすいと思う(次郎さんは未だ未経験)。


参考文献  哲学する小部屋(世界トイレ紀行)
      大徳(だいとこ)の野糞
      食物連鎖
      ベルサイユのトイレ
      不潔なヨーロッパの街
      中国のトイレは何故汚いか
      正しいトイレの使用方法
      トイレ曼陀羅
 卒論Toiretology(トイレは変遷す・農耕以前の糞尿感・農耕以降の糞尿感は和田氏の1996年スカトロジーを参照・引用する)


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