燃える死体、死体を喰らう犬(バラナシは地獄の一丁目)




 インドは何処でも凄い。一度でも経験すればその凄さが実感される。ことに聖地と言われるとこでは、この凄さがいつでも経験される。365日間開店休業なしだ。ヒンドゥー教の聖地バラナシの迷路のような小道を歩いていると、金やオレンジの色の布にくるまれた死体(死体自身は白い布で覆われているが、その上から極彩色の派手な布地が架けられている)を、竹の担架(タタリー)で運ぶ光景に出くわすことがある。タタリーは川沿いのガートの近くの焼き場に運ばれ、順番待ちのためここで一列に並べておかれる。中にはガンジス河の水に一度浸されてから、井桁に3〜5段ぐらいに組まれた立派な薪の上で荼毘に付されるものもある。この火葬の一部始終は、誰でも間近で見ることができる(チベットの烏葬なんかは非公開である)。死体を薪の上に載せ、薪の周りにわらを置いてから、死者におがくずみたいなものを振りかけた。わらを手に持った僧侶が死者の周りを3回ほどぶつぶつ言いながら回ってから、わらに火がつけられた。火のまわりは意外と速く、すぐに死体をくるんでいる布が燃えてしまい、死体の全容があらわになる。今、燃えさかる薪の上に置かれているのは、確かに人間の形態をとどめている。しかし動かない。当然だ、すでに死んでいるのだ。確かに物である、魂はとっくの昔に天国に向かったのである。不思議な気分がした。しだいに皮膚が焼けてくるとなんとも言えない臭気がしてきた。皮膚が風船のように膨らみ、そしてはじける。顔がだんだんと焦げてきて、顎関節がはずれ、口が開いてくる。炎の中心にある胴体は焼けるのが割合速いが、足首や足の裏は火が当たらずにまだ生のままだ。ただぼんやり、一人の人間が灰になるまでの過程をずっと見ていた。 特に悲惨な光景とも、ショッキングな光景とも思わなかった。ただ、死とは、こういうものだと思った。近くで見ていたため、顔が炎で火照って熱かったほどだ。火葬は1時間もかからなかった。まだ死体が半焼けのまま火葬は終わった。残灰や燃え尽きない肉片は寄せ集められ、河に流すため、ボートに乗せられた。そしてボートに運ぶ途中でこぼれた肉片を、やせこけた野良犬が喰らいついている。彼らはどん欲だ。ボートは岸からほんの数十メートルぐらいのところでとまり、残灰を河に還えした。ヒンズー教徒は死後、バラナシで焼かれて、灰をガンジス河に還えされることを至上の喜びとしているらしいし、またこれを生涯の目的ともしている。ヒンズーの善男善女は、死ぬ前にここバナラシを訪れ、ひたすら死を待つと言う。今までバラナシの歴史の中で、いったいどのくらいの死体がここで焼かれて、河に還えされていったのだろうか。薪の買うお金のない奴はそのまま、タタリーのままガンジーに還えされる。タタリーの上にはすぐに、真っ黒い数羽のカラスどもが何処からかやってきてとまっている。カラスは地獄の案内人なのか。ガンジスの河底には、何万本の人骨が埋もれているのだろうか。大勢の人が一心不乱に、腰辺りまで、おなじガンジス川に入り、水を浴びている。女性は、サリーを着たまま、男性は上半身裸の格好だ。頭まで川に入り身を清め朝夕感謝のお祈りを捧げる。その真横を処分されない生のママが流れていく。生と死の混在、すべてのものを飲み込み、悠然と流れるガンジス河は聖なる河であるに違いない。

インド凄惨




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