旅のバカのバカ
「旅にでると人は自由になる」と昔から良く言われる。退屈な日常から抜け出て見知らぬ環境に脚を踏み入れることで、ひとときの解放感にしたることができる、というわけだ。しかし、である。解放感で人間の本当の姿むき出しにした結果、周辺に多大の迷惑を掛けてしまうと言うことも、ままあるようだ。他人に迷惑を掛けている認識がないのがしまつにおえない。ホントに自分本位、相手のことなんかに、構っていられないという旅の困り者の存在だ。
【旧時代の馬鹿(10年前)】
1 激ビンボウー自慢馬鹿
貧乏に見栄を張ることに生き甲斐を感じるバカのこと。一日ビスケット数枚で我慢する、しかし金は持っている。誰よりもお金を使わないで旅しようとする。それはそれで結構で立派だが、他人にたかるような真似だけはしないでほしい。安上がりの旅行をすることは、それじたい自分自身の問題であり、事故を起こして他人に、善意の現地人に迷惑を掛けないことだ。
2 旅先で徹底した合理性を貫き通す。計画通り行動する。またひとり旅をゆっくり楽しんでいる他の旅行者を、あからさまに軽侮の目で蔑む。これも前項と同じく自分自身の問題であり他人は関係ないことだ。going
my way 結構なことだ。他の旅行者は関係ない。
3 ぼろぼろの衣を纏い、無精ひげをたくわえながら「インドには時間と言うものがないんだよね、生と死が一体化していて人間の不条理がそこにあるのだ。」と歯の浮くようなことをのたまう。沈没するのはその人のかってだが、ラリってしまっては個人の人格の問題だ。話の最後には一寸一本くれ、ビール一杯だけ驕って欲しいと宣う。
これらは藤原新也、沢木耕太郎時代(10年前)の遺跡の産物であり、彼らはPITこそが、彷徨する旅こそが、あるべき正しい旅の姿だと説いた。しかし時代は変わり、情報洪水時代、価値観も変貌し、多様化する。なにが正しいのか、あるべき姿なのかさっぱり理解できなくなってしまった。裏返しに言えることはナンデモアリであり、基準も個々自身の物差しであり、バラバラであっても致し方ないことだ。
【新時代(現代)のバカ】
1 他人のことなど全然考えず、ひたすら我が道を行く。なんの準備もせず旅にでる、当然ながらトラブルに巻き込まれる。そのあたりにいる日本人に片っ端から頼み回って難を逃れる。だがトラブルを回避できたのは自分一人の力と勘違いして、礼の一言も告げず去ったいく。また新しいところで同じようなトラブルにまきこまれる。無責任時代の申し子である。
2 大した金もないのに、渋谷のガキども、仲間数人でもよれば、安易な気持ちで、何の準備もせず、バンコクくんだりまでやってくる。目的も何にもない。バンコクでも渋谷同様路上に座り、まったりと、ぼんやりと一日を過ごす。しようもないやつらばかり。だがあまり他人に迷惑を掛けない。
これらの、バカは、正しい旅(もしありとすれば)なんて範疇にこれぽっちもとらわれていない。ハタ目がどうであれ旅を自分の好きなようにするだけだ。これこそが自由人の、無責任時代の旅形式であり、これをとりあげ云々するのは筋違いというものだ。とやかく批判すれば、批判する方が間違いで、誰もが、なんら関与するべき問題でない。これに係わるのはバカのバカであると言わざるを得ない。