壇一雄氏と福岡
作家の壇一雄さんについてはなにも知らない。過日所用のため福岡に行って来たが飛行機の時間の待ち合わせのため、能古島に渡ってきた。ほんの近くに見えるのに、定期のフェリーボートが出た後とのことで、どうしょうか迷っていると、便利なものがあった。水上タクシーで要事に舟を出してくれる。勿論数倍の運賃がかかるが急いでいる場合結構役立つものだ。島については色々案内もあるのでここでは不正解なものはさしとめたい。僕は島に渡るまで何の知識もなかったわけであるが、この島に作家の壇さんが晩年まで住んでおられたということだった。今でも彼の住処が保存されていた。時間の都合上、島ではこの壇さんの家と博物館のみ訪れた。家の庭から海峡のような福岡湾をとおして博多の街が一望で見ることが出来る。すばらしい自然の光景だ。
今年8月にポルトガルに旅行したとき、かの地(サンタ・クルス)で、かって壇さんが住んでおられたというところを見てきた。矢張り海際、風光明媚なところであった。壇さん自身地元民とも親しく交わり友好を結んだと云うことだった。壇さんがどんな範疇に入る作家かしらないが、これも何かの縁、2〜3の作品を読んでみたい。壇氏がポルトガル滞在中は愛妾のものに走っていったときで、この能古島で52才で亡くなるときは、やすらぎの妻の元にいた。芥川龍之介、坂口安吾、織田作之助ときたら次ぎに何方が登場なさるであろうか。
能古島とサンタクルスと何か共通点があるのだろうか。僕はどうやらお酒じゃないかと思う。かの地はワインのダンが美味しく、福岡も芋焼酎が美味だ。壇さんはお酒好きだったようで、自然とこれらの地を選ばれたのだろう。アルコールによって身を崩すこと、心を麻痺さすこと、脳細胞の破壊のみが、ヤリ切れぬ気持ちを制御できたのではないだろうか。ローマン派作家の自由奔放な生き方、何にタイする拘りもなく、自分自身に正直に、生きることのみ幸せなことだろうが、心の中の葛藤はすさまじいものであったようだ。火宅の人によれば、壇さんの好んだお酒はきつい酒つまりウイスキーであってワインとか焼酎とか云う類のモノではなかったようだ。そうすると上の仮説の根拠も乏しいモノだ。
人間は誰でも、自身の本能のままを尽くして、あとはただ滅びるだけだという人生観は、簡単に云えばつまらないとも思うのだが、それを実践している人もこんなふうにいるのであった。こういう人がいたら、常識的には非常に、はた迷惑だろうなと思うのだが、はた迷惑だろうが、なんだろうが貫いてしまえば檀さんのような生き方もできるようだ。谷崎潤一郎、三島由紀夫またしかり。妾を自宅に連れて来て、妻に「今夜からこの女も一緒に家に住まわせる」と言うのだから何をか言わんやである。またそれが通じるのである。新しい道徳観かもしれないが、うらやましいなあとも思うが、でも自分にはできないなだろうなあとも思う。毎日が火宅の人だと、そういう人生こそ自分に真実で、真の人生と呼ぶに値するかもしれない(火宅の人)。
火宅の人は壇さんの私小説であり、壇さんの生き方は現在では古い範疇のモノであり、新しい器から見れば古いぼやけたモノで決して発展性のあるモノではなさそうだ。現時点でこれを実践すれば世の知恵ある女性群から総スカンを喰うだろう。でもこれ程まで男性上位の気ままな生き方が出来れば男本望でもあるだろう。しかし、その背景には小児麻痺に悩む子供の存在も否定し得ない。また心の葛藤の中で酒に溺れていくある意味ではデカダンス的だろう。決して創造的なものではありえない。
いわゆる作家と呼ばれる人の多くは、心底自分に正直であるようだ。自分自身にごまかすことが出来ないのである。反対に自分以外の社会常識に対する柔軟性に欠けるようでもある。僕のような凡人は、いつも欺瞞に満ちた生活を送っており、猜疑心と偽善に満ち溢れた不正直な生活を過ごしている。なぜ真っ直ぐになれないのか。自分ながら腹立たしいが如何ともし難い。情けない人生、きっと悔いが残ることだろう。(壇氏はサンタ・クルスに約一年半ほど滞在していた)(11/21/00)