中国旅行の楽しみ (百花騒覧)
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中国はとてつもなく大きな不思議な国だ。行けば必ず何かがある。もう二度と来るまいと思うかも知れないし、中国にはまってしまうかも知れない。両極端な評価しか出てこない。ここ10数年で、懸案(兌換券問題・宿泊箇所・トイレ・緊急システム等)とされる大きなことは、都市部ではほぼ解決したようだ。2度といやだという人達より、はまりこむ人の方が多くなったような気がする。中国のトイレは全て改良された。まず、大都会のホテルなんかは100%改善された。路地裏にでれば今だしと言う感もしないわけでもないが、まず、不平不満の対象より除外すべきだ。
中国は世界でも、もっとも古い国の一つだ。古くから文化が開かれ、朝鮮半島をえて日本もその文化の影響をもろに受けた。中国あっての日本である。今日の日本の、古を懐かしむにも中国の姿はありがたいものだ。全く日本のお手本を見ているようだ。
日本の50倍を超す国土は、大きく、不思議な、いろいろな事象が起こってくる。東と西、北と南では、これが同じ国かとさえ、不思議でならない。風土は変化して面白く、珍しいものばかりだ。大きすぎて、いかに何回訪れたって、その概要さえ掴みきれるものではないだろうか。おそらくエンドレスであるに違いないだろう。日本的せせこましい考え方をすれば、22の州がそれぞれ独立の国家の様態を呈するようだ。中国には22回訪れて、いや27回(5自治州を含めて)訪れて、はじめて訪問1回カウントされるのではないだろうか。
これだけテーマが広すぎるとポイントがぼやけてくる。ポイントをしぼらなければどないもしょうない状態だ。地域限定も良いだろう。不思議な風景に、親しむのも良いだろう。人なつっこい、中国の人達と交わるのもよいだろう。人々は大陸的だ。こせこせしていない。いかにも、大人なのだ。自然は不思議な光景を呈し、古い遺産はわんさとある。どれもこれも超特級のものだ。人相も日本人に近く、人情は厚いし、食い物はうまい。世界最高のグルメでもてなしてくれる。そのうえ、安い。日本と比べたら、全く破格の値段だ。国内旅行する数分の一の費用で行ける。海外中国旅行も価格破壊が起こっている。近くて、こんな国に行かない手はないようだ。
ポイントの絞り方も問題だ。湾岸戦争や最近のユーゴコソボ戦争の時のようなピンポイントで訪問したい。北京は故宮(柴禁城)だけで充分だ。市内、長城、各種遺跡では、よくどしすぎはしないだろうか。柴禁城にはまれば、ここだけで、何日掛かるかも知れない。
食い意地汚い僕の場合は、まずポイントの第一は食べることだろう。ソールやフサンの激辛キムチも気にならなくなったし、むしろ甘味さえ感じるようだ。コリアンダーは、食欲を刺激する、香草となってしまった。これなくしては、味が引き締まらなくなってしまった。食べ物の好き嫌いでは、誰にも負けないような次郎さんもいつのまにか、中華料理、いや屋台料理に馴染まされてしまったようだ。なんだか、これを食べなければ満足感が得られなくなってしまったようだ。でも広州の自由市場で見かける、動物達はどうなって行くのだろうかしら。ひと事ながら気に掛かる。金網の中の猫達、アルマゼロ、赤犬、猛禽類、たとえ料理されたものでも、試みるつもりはない。ただ頭の中の出来事に過ぎない。ただただ、普通のありふれた、日本でもポプラーなものだけでよい。それがまた美味しいんだ。広東の高級料理と言われるものには、いわゆるゲテモノ類が多くみられるようだ。ゲテモノ即高級料理ではない。値段が高級であると言うことで、美味しさと、珍しさ、高級とは全く次元のちがう話のようだ。
世界一大きな木造建築は東大寺(奈良)ということであるが、これに匹敵する建造物なんて、わんさと居てござる。巨大な、お釈迦さんは、ルシャナブツの数倍にも達し、大きさでは、東大寺なんて目にも入らない。チベットの寺のタンカは、それはそれは巨大で、如何に表現すべきか、言葉の選択に迷わざるを得ない。中国の漢は巨大な権力をほしいままにしておったし、唐はその文化を開花かせた。当時のものはどれもこれも美術学的にも完成度が高い。ただ、雑然と置かれたものの中に、金星のように光かがやく、宝物が見つかる。そりゃ、そうだろう、こんな大きな国に、ちっぽけな建物では目立つわけないだろう。
北京の街に瑠璃廠と言うところある。大阪なら、さしずめ老松町(西天満)と言うところのようだ。京都(古門前通り)や東京(南青山・麻布、六本木)とはまた違う雰囲気だ。ここら当たりの骨董屋では何でも賣っている。国外輸出が禁止されているにも関わらず、1000年より古い物やら、流行の孔子鳥の化石まで賣られている。法律以前の問題だ。しかも値段がリーズナブルである。瑠璃廠にならぶ骨董店をひやかしながら、歩いていても数日は要するようだ。おまけに、これらの立派な店舗を持たない、1人経営者の業者たちが裏通りを占有しテント張ったりしてお客をまっている。何処から仕入れてくるのかしら、彼らは素晴らしいものを持っているようだ。もしも、目が利くなら、素晴らしい買い物になるに違いないだろう。
上海も余園近くに、蔵宝楼(地下は上海骨董街)と言う建物があり、その4階位に、地方から出てきて一攫千金を狙う、怪しい目を光らせた、胡散臭い輩が、風呂敷一枚で商売してござる(土・日のみ開店)。これも何処から仕入れるのか、いろいろのものを持っている。大半が紛い物だろうが、充分楽しませてくれる。彼らは殆ど地方出身者で、商人宿にはいろいろのものを隠匿しているようだ。合法的なものか、非法なるものか判然としないが、面白いものであることには違いないようだ。日本でも中国でも、昔からこの筋にはまってしまったら、眼が醒めるまで、おおきなおおきな授業料を支払わなければならない。これが相場であり、これなくしては次のステップに進むことが出来ない。これはある意味では規則であり、法律なのだ。大きな授業料を支払うことなく済ますことは不可能なのだ。中国人の考え方は、100年続いては、同じ家が栄えることはないということのようである。つまり、家の大切な宝物、書画骨董類は、必ず流通してくるということだ。書画骨董類は永遠につきない流通品なのである。(バンコクの骨董屋・老城隍廟古玩市場)
過日、NHK(9/12/99)で放映されていた。第2次大戦時、ドイツあるいはロシアによって接収され行方不明になっている絵画の追跡だ。何分にも戦後50年にも達し、直ちに解るものではない。また個人の秘蔵のコレクッションに入ってしまうと世にでてこない。それを捜し当てるのだからほとんど不可能だ。元の持ち主は返還を要求するだらうが、現在の持ち主は善意の第三者であるようだ。難しい法律的な問題も絡んでややこしいが、幾分にも半世紀以上の歴史は随分と重いものだ。闇のブロウカーの介在、軍部と繋がりのある権力者達、絡まった糸は単純には解れそうにもない。このTVをみながら、麻薬に絡む紙幣のロンダリング、最近の古美術品のロンダリングについて随分と考えられされた(9/14/99)。
実際問題として、有名な百貨店なり、専門店で美術品を購入して、それが後刻になって、50年も前に盗難にあったものだ、強奪されたものだと言われたら、如何に処理されるのだろうか。何回も人手を渡っていることだろうし、関係者全員が健在ならまだしも、50年以上も経っておれば、もうすでに他界した人も何人かいることだろうし、その追求は困難をきわめる。でも盗まれた人は何年経っても諦めきれないだろうし、善意の購入者もスッキリしないだろう。なかには略歴を改ざんし、正規のルートに載せてしまう悪質な詐欺まがいのことをやってのける奴がいるようだ。貨幣のロンダリングより、美術品のロンダリングの方が厄介かも知れない。
若い可愛い、北京外大出身で中国旅行社のスルーガイドさんがのたまった。新彊自治区に配属になったら、泣きの涙だという。都会育ちのお嬢さんも、新彊は地の果て世界の果てと理解しているようだった。でも、暮らすには不便かも知れないが、何事もエキゾチック、旅するにはもってこいだ。砂漠のハミウリは安いし、全く甘い。カシュガルのエイテガール寺院はたまらないイスラムのニホイをかき立てる。バザールの切麺がまた甘い。立ちこめるシシカバブーのニホイがたまらない。彫りの深い、鼻筋の通った顔、青い眼、茶色の髪、すべてが中東のイスラムだ。
先日山東省の泰山にいってきた。南天門よりは、なだらかな傾斜地と階段のみ、ゆっくり登る分には、どうということなかった。通路のあちこちには土地の人達が新聞紙を広げて商売してござる。商品の中に霊芝をみかけた。1個30元だと言う。日本では1個1万円ぐらいするそうな。ほんとかいな、30元なら日本円で4〜500円、お土産にしても良いのではないかとおもい、値切ってみると、なんと1個3〜5元とべらぼうに安くなった。これほんものかいな。でも、4〜500円で10個ぐらい購入したが、ほんとにお土産になるのかいな。もってかえって、喜ばれたことは確かだ。
泰山と云えば、中国3大宮廷建築の1つである、岱廟がみられる。古哲が絶賛するのも当然なことだ。規模は壮大、気勢は雄大、左右対称の幾何学的配置、北京の柴禁城に決してひけをとらない。7萬坪にも及ぶ広大な敷地、残された遺物といい、何をかいわんである。やはり大陸的というか、どうも日本人特有のこせこせした想いがはがゆい。
中国の観光地の庭園やホテルで見かける盆栽類、全く素晴らしいものだ。盆栽に趣味のない僕にとっても素晴らしいものであることはわかる。5本の緑濃き松葉、古松の太い幹、根は地面を這い、勢いがあり、整然として、苔蒸し一幅の絵画を呈する。こんなにも小さい柏でありながら、樹齢数百年に達するという。種類の解らない樹木も見られる。丹精込めて育て上げたのだろう。何事にも打ち込んだら、それに徹する、いかにも中国人らしい大陸的な気風が見られる。蘭花(寒蘭)、金魚、鴬の栽培飼育も盛んだ。年寄りの自慢の腕をきそうのも、悠長の時間をかけてやる。何事も大した出来映えだ。
悠久の国中国にはいろんな種類のお酒が見られる。老酒、白酒などどこらあたりに分類されるのか、判らないが、招興酒と言えば中国を代表するお酒である。下戸の次郎さんにはそのアジがよく判らない。漢方の煎じクスリのようなアジのするお酒なんて飲めたものじゃないようだが、中には梅干し(日本特有のものやなかったかなあ)や氷砂糖あるいは香草を入れてお飲みになってござる。ホントに美味しいものならばそんな操作をせずとも美味しいものであるはずだがとも思うのだが。じゃんけんしながら、70度に達するというマオタイ酒をのんでござる。一寸口に含めば、口腔粘膜から直接吸収されるようで、その強烈な強さといったらありやしない。喉は炎を飲み込んでいるようで、キュウッと応えて火傷しそうだ。遊びは、まったく高知の槍拳と同じ遊びだった。
中国では珍しいものが仰山あるようだ。西域では葡萄酒のなかにバラ酒というのがある。ホントにバラのエッセンスがしみこみ、バラの香りがする。果実酒の一種に違いないが甘くて美味しいようだ。またここらあたりのワインと干しブドウ酒(貴腐ワイン)とは異なるようだ。
中国の「人民日報」が石原知事の台湾訪問を痛烈に非難した。尊敬する政治家の1人に石原慎太郎さんがいる。今やれっきとした都知事さん、彼の一言一句が重大な意味をもっている。歯に衣しない表現で、テンポがよい。慎太郎フアンの1人だ。
17日付の中国共産党機関紙「人民日報」は、「石原慎太郎東京都知事の醜悪な演技」と題する論文を掲載し、「東京都知事としての石原が中日関係に悪い影響をもたらす、決まりごとに背く活動をするのは容認できない」と、台湾を訪問した石原知事を痛烈に非難した。
論文は、「日本の典型的な右翼政客で、極端な民族主義に狂った」石原氏が、一貫して反中国的立場を貫いてきたと指摘し、「今回の訪台はまさに中国を分裂させようという下心のある行動だ」と糾弾した。
また論文は石原知事の行動は偶然ではなく、「特に近年、日本経済が実力を強めるに伴い、大日本帝国民族主義という意欲が高揚している」と指摘した。ご存知のように、慎太郎さんは、戦争はお互い様だから、日本が卑下してなにも謝罪することなんか必要ないという立場、しかも戦後50年以上も経っている。南京大虐殺なんてマスコミの捏造だとする立場を取る。しかし、公平なところ、伝えられるような南京大虐殺に近いことが行われたのは事実のようでもあり、一部の兵隊やそれにまつわる悪徳商人が、どさくさにまぎれて非人道的なことをやったのもまた事実のようだ。慎太郎さんの自説は、それはそれで結構なことであるが、知事さんである限り、その立場があるようで、公人としての立場を考えず自由自在に発言、行動することは感心するものではない。(11/18/99)
中国社会は、ある意味で厳格さと曖昧さが同居している。何事においても大雑把であり、どうでも良い、いい加減さが見られる。これらは共産主義的自由社会の産物なのだろうか。つねに何が味方で、何が、誰が敵か、いつも判断の基準として、脳裏に鎮座していますようだ。親子の絆なんていったい何なのだろう。文化大革命では子は親を裏切り、被告の座に据えてしまった。社会の動きの基本はコネであり、縦横無尽にはりめぐされたコネが社会生活にとって重要な要点となる。すべてはコネがあって初めて始まる。日本のような常識では判断しかねることに、たびたび遭遇する。細かいことには、心を配らない大陸的な、大まかな心の持ち主ばかりでもあるようだ。反対に時を読む術に長けている。時を見るに大変敏感のようでもある。