玄奘三蔵シルクロードの旅(中国編)


 ご存知孫悟空の西遊記である。日本流に云えば桃太郎の逸話、家来を連れての鬼退治と言うとこだろう。でもこちらは史実に基づいての話(大唐西域記)であり、当時の西方の様子が目の当たりに再現されている。11/3文化の日の祭日、上野の森の都立美術館でやっていた。上野の森は秋の紅葉のシーズンの祭日と云うことで満員の盛況、オスナオスナでじっくり鑑賞しているような状態ではなかった。でも色々な美術館、博物館の協力で出品作品も素晴らしく、次郎さんのような門外漢にも良く理解できた。

 唐天竺をめざす、砂漠の旅は西安から始まり河西回廊を経て、敦煌、コルラ、クチャ、アクスを経てカシュガルに至る。つまり行きはほぼ天山南路だったろう。帰路はホータン、ミーランを経る昆論北路、つまりタクマラカン砂漠を挟んで、ほぼ一周することになる。大唐西域記(見聞録)は17年間にもわたる旅の一大叙事詩である。

 高昌国の遺跡、カラホージャとヤールホトは今も現存しているが、早いものがち、砂漠化が進みいつ何時崩れるやも知れない状態だ。国王は玄奘の博識に傾注し、礼を持って迎え、ここに留まるよう要請するも、玄奘のインドでお経を得てくることの意思の堅いのを知るや、多額の路銀を寄進した。帰りには必ずこの国を訪れて欲しいと懇願したが、悲しいことに、高昌はまもなく唐によって滅ぼされることになる。玄奘が再びここを訪れたときは、もうすでに「つわものどもが夢のあと」だった。諸行無情のアワレを感じる。

 14〜500年もの昔から、こんな立派な仏像なり絵画があったものだ。立派な仏像は現在の技術を持ってしても出来るものではない。精錬されたブッダやその弟子たち、特に僕にとって2枚の壁画が印象深かった。中央アジアの影響を強く受けた、明るいコバルトブルーのバックにブッダ頭部壁画(東博)、鼻の高い、青い目のいかにも西欧風人物の登場する寄進者像壁画(ベルリン国立インド博物館)の障壁画の2枚で、何故これらの壁画が、これらの美術館に保存されているのだろうか。イギリスのスタイン、ドイツのヘデンやわが国大谷探検隊によって荒らされつくした中国西域の莫高窟が瞼に思い起こされる。クチャの数千年前の陶片、私の本棚の片隅に置かれたまま、いつのまにか埃をかむっている。何故か知らぬが、いつのまにか涙ぐんでいた。この涙、だれが理解してくれるだろうか。(11/5/99)

 夜は豪華にエビスのタイユバンで美味しいワインと食事をした。


世界・ふしぎ発見!(奇跡のシルクロード砂漠に眠る古代王国)

シルクロードで数多くの遺跡を発見したイギリス人探検家オーレル・スタインの足跡をたどり、砂漠に消えた仏教都市の謎に迫る。大学で東洋言語学や考古学を学んだスタインは、卒業後にインドの学校の校長に任命されたことをきっかけにシルクロード探検に乗り出す。彼は「西遊記」の主人公のモデルとなった玄奘三蔵の旅の記録を基に、さまざまな遺跡を発掘。中国・敦煌で数千点にも及ぶ経典や写本、絵画を発見し一躍有名になる。ミステリーハンターは坂本三佳。問題はシルクロード原産で、ヨーロッパから中国に伝わった野菜とは何か、など。(01/17/0411 放映)
面白かった。舞台は西域南道(崑崙北道)の話、スタインは三蔵の大唐西域記に忠実に旅し、色んな大発見にいたる。臥薪嘗胆良くも頑張ったものである。賞嘆に値するが、後がいけない。かれらは素朴な中国の農民をだまし、札束で彼らの横面を張り倒し、貴重な文化遺産を盗み出した盗賊である。フランスの文部大臣を務めたアンドレ・マルローも窃盗団の親分だった。イギリスやフランスなんてこの程度のものだった。

天山南路
天山北路


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