ワインと哲学


ワインは哲学する場を与える。

 なんのブーケかわからない。とにかく強い香りがする。鼻に感じるのでなく、口の中一杯に広がる。大きな海原の中に一人オッポリだされたような、ただただ広い空間の中に漂うブーケの香り、これは何処よりきて、何処え消え去っていくのか、余韻が東大寺の鐘の音のように、力強く、何処までも広がっていく。腹に応える。消えそうで消え去ることがない、不思議な余韻である。ことにタイソなボルドーを飲んだときにする。

 このブーケは決してアロマではない。しかしアロマも少しは加わっているに違いないようだ。145年の伝統に支えられ、フィネスを培い、エレガントなコクのあるボルドー、あまりの上手さに全身が痺れる。突然血の気がひき、貧血を起こしかねない。口腔に引っ張り付くフルボディはグリセリンか、コンセントレイションだけでなくストラクチュアがしっかり存在してござる。マリアージュのハーモニーが素晴らしい。1たす1は何も2とは限らない。3であっても不思議ではない。意味不明の文章もまたOKである。

 思考し、物思いに耽る。少々のアルコールはデンケンする度合いを深める。アルコールは血液の流れを増し、スムーズにする。快い思考を提供する。飲み過ぎてはダメだ。これでは麻痺が起こってくる。快い覚醒と麻痺との境目の、微かに覚醒側の辺りが良く似合う。この瞬間に閃きが起こる。

 暗い闇の世界に入ってしまっては行き過ぎだ。そこでは何のデンケンもない。ただただ怠惰だけが鎮座しておわす。この世界にはまりこんでしまうと、楽であろう。しかしそれ以上の向上はない。怠惰の世界だけである。

 白は血液を浄化する。浄化された血液は、研ぎすまされた、新たな命を宿し、体の隅々にまで及ぶ。脳細胞はレフレッシュされる。脳細砲は軽くなり、冴えてくる。ここではアルコールの酔いは感じられない。むしろ正反対だ。体は軽くなり、血液は薄く清められ、酔いとは別の異次元の世界の話である。白には殺菌作用があると言うが、また違った意味での、心の脳の殺菌作用があるようだ。即ち、哲学する立場を与えるようだ。

 怠惰と哲学、まったくの反対語で、ワインにはこの両者の力量がはまりこんでいる。両者の綱引きが、どっちつかずの結果を生むが、その相互互換の上になにか判らない分野が創造されるようだ。それが新しい哲学の場なのだ。

 ワインを飲み思考する。新しい思索が次から次ぎえと涌いてくる。ワインは思考を深みに誘導し、誘発する。まるで宇宙遊泳するか如きだ。哲学するにはワインは絶対でない。ワインにも哲学が絶対でない。でも、両者は明らかに相互補完の関係にあるようだ。

 赤は亢進さし、白は低下さす。赤は血液を濃厚にさし、白は稀薄にする。赤は熱を上げ、白は下げる。赤は動脈硬化を予防し、白は食中毒を予防する。赤と白は陽イオンと陰イオンだ。全て作用は反対なるも、哲学にはいづれも陽である。


美味しいワインとコストバリューワイン
(絶対評価と相対的評価)



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