ロマネの涙(ロマコン鯨飲酒記)
特別な酒を飲むにはやはり特別の儀式が必要である。ただソンジョそこらの酒を飲むのとはわけがちがう。場所、時、金の舞台が必要だ。ジャンバーでは格好もつかないし、タキシードとはいかないまでも、せめてスーツに身を包みたい。イブニングドレスも和服も、また可なり。時は熟し、体調を整えること、万全の準備をしてかからねばなるまい。二日酔いではダメだ。胃腸は富士の神水の如く澄みきって機能万全でなければなるまい。少し風邪気味、臭覚の機能異常だけが心配である。また、ある意味では禊ぎが必要かも知れない。清純無垢な乙女に接するが如き態度が要求される。それほどロマネ・コンティに触れることは神聖なのだ。
ボルドーの酒は男性的でブルゴーニュの酒は女性的であると思っていた。勿論銘柄によって、あるいはビンテージによって異なるものであるに違いないが、ラツールのいかにも肩を張った厳ついものは誰が見ても男性的である。ブルゴーニュと言う言葉自体、ボルドーよりも何かと女性的にも思われる。でもワインの評論家によれば、これは全く逆で平均的にブルゴーニュは男性的でボルドーが女性的だとおっしゃるようだ。でもフランス語でロマネ・コンティの畑は女性型(ラ)であることは事実であり、これを否定することは出来ないが。因みにコンティはルイ14世の従兄弟の王子の名前であるようだ。はなから、こんな調子では僕はワインを語る資質に欠けるようだ。
でも調べてみると、だいたい葡萄畑は普通一般には男性型であるようだが、ロマネ・コンティは例外だと言う(ラ・ターシュ、ロマネ・サンヴィヴァンも女性型)。葡萄酒はできたてはタンニンが多く渋く苦くとても飲めたも代物ではない。でもそれが5年、10年、20年、30年、50年の星霜をえればそれなりの芳醇な香りと円やかさが出てくる。それでよく夫婦とかにたとえられるようだ。味のある夫婦はある程度の年月をかけて創り出され、一朝一夕には出来るものではない。ワインも全くその通りである。30年の熟成にはそれなりの古酒の味わいが醸し出される。でもこのコンティ割合と早飲みでも良く、勿論熟成を待っても良いという万能型でもあるようだ。
ワインは中京(京都)の箱入りイトハンかも知れない。手をかける仕方によって、手をかける量によって育ち方が違ってくる。多種多様の性格を持っているが、初めはそれを表さない。年と共に性格を現し始めるが、若い内は我侭で神経質、やがて蕾も膨らんで花が開く。お転婆で華奢な可愛らしさ、おくゆかさの中に、心棒の一本入ったしっかりとした、内に秘められた情熱的なボディーが感じられる。でも加齢とともにお上品で円やかで芳醇になっていく。あの我侭なイトハンが、何とも言えない甘いも酸いも兼ね蓄えたゴリョウハンに変身するのだ。ゴリョウハンの複雑機構の中に調和が見られる。ワインのコンストラクションは理解できないが中京や船場(大阪)のゴリョウハンは理解するに吝かではない。先日、大阪の名女優の都蝶々さんが亡くなられたが、この蝶々さん、船場のゴリョウハンを演じたら、それこそ天下一品、右に出るものはいなかった。若いときにはヒロポン(覚醒剤)に手を出し、南都勇治さんとの結婚離婚、それでもなほ共演を続けた夫婦善哉、ここに彼女の真骨頂が窺われる。これも人生幾星霜のなせる技だ。甘い蜜も、苦い経験も、生き馬の目を抜くという北浜(大阪)という場所柄、芸の肥やし、清濁噛み合わさった人生経験より醸し出された、何とも言えない芳醇な船場のゴリョウハン、女将は長い年月を得て初めて創り出されるのある。
中世では葡萄作りは主に修道院で行われてきたようだ。かの有名な盲目の作り手ドンペリ(ドン・ペリニヨン)も修道僧だった。どうも葡萄酒と教会(キリスト教)とは密接な関係にあるようだ。荘園を維持して行くには莫大な経費もかかるが、そんな経済的なことばかりか、深く宗教とも関わっているようだ。キリスト教ではカトリックでもプロテスタントでも三位一体の思想が存在する。パンはキリストの肉体であり葡萄酒はキリストの血であり、精霊との親しき交わりのもと、宗教的契約が存在する。中世以来葡萄酒はキリストの血であり、それをいただくことはキリストとの連帯にかかわることが出来るのである。ワインも宗教的アトモスフィアーから受け継がれてきたもののようでもある。日本の御神酒(般若湯)ともあい通じるものがあるようだ。
ロマコンの香りは素晴らしく強烈で抜栓すれば、強く辺り一面に立ちこめるという。同じフロアーのどこかのテーブルでロマコンを飲んでいると同じ部屋中に、この香気がたちこめ、他のテーブルでも、このロマコンの特別の何とも言えない香気に授かれるという。それほどこのものの香りは強烈らしい。ほんまにホントかしら。パブロフの条件反射じゃないが、ロマネコンティと聞いただけで、口の中に典雅な優雅な絹の滑らかさをもった唾液が湧き出してくる。あれを口に含んだ幸福感を、充実した満足感が体中一杯に広がる。いままでロマネコンティを飲んだ経験がなくても、この名前を聞いただけで、甘酸っぱい唾液が口中に広がる。フランス人には特に多く見られるようだ。夢の中をさまようフランス人にとってロマネコンティはこのような存在なのだ。でもホントにそのように美味しいものだろうか。確かに希少価値の一番高価なワインではあるが一番美味しいものとは限らないのではないか。勿論世界で一番美味しいもののワインの一つであるには違いないようではあるが。
先日バカラの専門店(大阪大丸)でワイングラスを見つけた。鉛入りのクリスタルであった。カットも大変奇麗だった。美しかった。中でも大きなブルゴーニュ専用の金魚鉢程あるような大きな丸いワイングラスは、店の人の話によると、ロマネコンティ専用と云うことだった。ロマネコンティには専用のグラスも拵えられていたのだ。勿論高価で我々庶民には手の届くとこではなさそうだ。こんな立派なグラスでいただいたら、さぞかし、どんなワインも美味しいことだろう。リーデルソムリエのブルゴーニュグラスでも驚いているのに全くたまげたものだ。ソムリエとヴェノムでも全然違う。手で持った感覚がこんなにも違うとは全く予想すらしなかったものだ。
要するに、ロマコンを飲むためにはいろいろと装飾が与えられ、万全のお膳立てが用意されているのだ。ここ大林ビルはご存知ゼネコンの大林組の総本拠、JR大阪駅前の再開発で第1〜4ビルが出来るまで大阪市内ではもっとも高い建物だった。しかも梅田(JR駅前)周辺のようでなく、辺りには目立っての高層ビルも見当たらず、その眺望は誠に結構だ。宵闇迫れば大阪湾から関空、神戸六甲辺りの夜景は何とも表現しがたい。北浜の没落とともに、辺りには新設の高層ビルの計画もなさそうで、いつまでもこの借景展望が持続していってほしいものである。しかも何分にも証券のビル街、夜は閑散として、繁華街のざわめき、熱気が全く感じられない。
場所は北浜ルポンドシェル(大阪大林ビル)、メンバー6人、ムードはまずまず、少し雲りぎみだが窓からの夜景は最高だ。クリスマスにはちと早いが、気分はクリスマス、忘年会シーズンの12月でも、やはりクリスマスともなればワインに限る。クリスマスは、ドンチャン騒ぎや日本酒では気分が出ない。シャンパンも良いかも知れない。ボジョレーヌーボーでは桁が違いすぎる。ミレニアム、どんなに頑張ったって次の世紀末を経験することは不可能だ。大義名分は世紀末クリスマスのロマコンを楽しむ会とでもしようか。
前置きが長くなったが、いよいよ始まりである。いやちょっと待て、本番には前座が必要だ。やはりシャンパンがよさそうだ。白でも良いかも知れない。やはりこの順番は外せないかも。本番に一気に期待がいきそうでも、前座では軽く、深みにはまってしまったらかなわない。前座では微妙な舌の感覚を残して置かねばなるまい。舌の感覚を麻痺させてしまっては台無しだ。シャンパーンはあくまで前座であって本番ではない。あくまでもトレイニングなのだ。本番前に感覚異常を来してはならない。本番に突入するにすぐさま感覚を最高のレベルに持っていくための準備に過ぎないのであるから。
12月ともなれば、当然ながらまずはシャンパンだ。シャンパンはお店の推奨のティタンジェ(1993)の「シャンパーニュ伯」で、まずはありきたりの味わいだった。シャンパンはいつも口当たりが良く美味しかった。前座の白はモンラッシェ(1971 Buchard Pere et File)と決まった。深い黄金の色合い、強い芳香、果樹味溢れるモンラッシュはいつでも爽やか、インパクトもこれだけで十分すぎるほど、これがホントの意味でのシャルドネかもしれない。でも71年のブシャール、盛りの頂点と云うわけでなく、少し下降気味かな。まずは帽子をとって跪いて戴いた(アレクサンドル・デュマ)。
1976 DRC Romanee Conti 抜栓直後思った。この香り何処かで聴いたことがある。どこかで、そうだラツール(1982)の香りだった。良く似ている、全くラツールの古酒の芳香を強くしたものだ。表現が過剰かも知れないが、長い眠りから醒めたばかりの清々しい香りが辺り一面に立ちこめる。フロアー一面と云うわけではないが、矢張り強い芳香が立つ。偏縁に残る濃いガーネット、少しレンガ色かもしれない。一口含んでみた。タンニンがすこし舌に纏わるが、溶けるような舌触り、前宣伝が効きすぎかも知れないし、脳組織にインプットされた学習の範疇から抜け出すことが出来ないのか、この世のものとも思えぬ至上の、赤紫の濃い色調、東洋風スパイスと動物的ニュウアンスを思わせるアロマ、花の香りトリュフの香りのミックスしたブーケが印象的で、こってりした甘み、ミネラル分の多い鉱物的な味わい、熟して甘美な果実味、途方にくれんばかりの 濃度、広大無辺な風味、精妙な余韻がうまく調和し、引き締まった感じで、素晴らしい味覚が25年以上に及ぶ長熟性を示している。抜栓後2時間もすれば、いよいよ全開申し分ない。少しオーバータイムかもしれない(次郎さん)。あるいは、満開には、まだまだ早いかも知れぬ(友人)。僕は卑しく、執念深く、すっかり飲んでしまった空のグラスをいつまでも嗅いでいた。確かに未だ熟成途中かも知れない。グラスに引っ張り付いたグリセリン、舞台の緞帳の如く静かに静かに下がってくる。このロマコンの涙、僕の複雑な涙でもあるわけだ。
今まで、より長期に熟成されたもの、もっと高濃度のワインをいただいたこともある。もっと色調鮮やかな奇麗なものを飲んだこともある。より以上芳香の放つものや、余韻の素晴らしいものも飲んだ。もっと凄いアルコールとグリセリンの調和したヴォリーム感のあるものも飲んだ。しかし、ロマコンはこれら全ての点において、壮麗・神秘・ 奇跡・気品・調和と言われる五絶の言辞の、もののすべてのバランスが格別とれているようだ。これほど全ての点で調和を成しているのは全く始めてである。やはりワインはバランス勝負なのだ。果実味、酸、タンニンのバランスが非常に整った、繊細でエレガントな風味は、デリカシーの極みとも言うべきで、艶やかで、控えめで、全ての点で秀越した優等生で、欠点の挙げにくいのがロマコンであり、一言で言えば拍手喝采鳴り止まぬといったワインであるに違いなかった。
料理もほどほど旨かった。マリアージュも最高、とろけるようなフォアグラ、キャビアの量も結構だったが、なんせ高級料理トリュフの量が多すぎ、肝心のワインの同じ芳香と重なり合い、もう一つだった。でもトリフの歯触りは堪能できた。ロマコンを飲むとき慣例とされているという山鴫の料理はまずまず食べやすく癖もなく結構だった。
人間の価値観はそれぞれ皆異なっている。100人いれば100通りある。その時々でも決して同じものではない。僕の愛用するスウォッチは正確無比、全く素晴らしいクオーツだ。でもたまの外出には、自慢のパッテックの永久時計をはめることもある。たまにしか使用しないので時間はおろか曜日、月日を合わすのにたいへんだ。時間もスウォッチほど正確でない。でもこれをはめると何故か気分が落ち着き安らぐ。値段も3〜4つほどオーダーが異なる。これもどちらがいいと云うような問題でもなさそうだ。価値観もTPOで異なるかも知れない。比較すること自体間違いかも知れない。
ロマコン挑戦も青春の一ページにすぎない。ジバラン(自腹で喰い、飲むこと)では、人生で経済的にもそう度々経験するものではなさそうだ。飲んでみても特別取り挙げるほどのものではなさそうだったし、コストバリューを考えてもどれほどのものであったか。でも飲む前後の緊張感、ある種のフルエが良い。これを飲もうとする冷汗が全身に走る。最後まで、是を飲むことの意義は見いだせなかったが、結局自己喪失を起こした、ウツケものの夢の跡ということであった。貴重な経験をした。(12/9/00)
Wine
1993 Comtes de Champagne Blanc du Blancs TAITTINGER
1971 Montrachet Buchard Pere et Fils
1976 DRC Romanee Conti No06075
Brandy (Digestif) Poire Williams 洋ナシのブランディ
Sigar
Menu Special
pour Monsieur Houki Le 9 Dicenbre 2000
Salade de Ponune de Terre a la Truffes
Homard de Bretagne Roti Rediction de Bahamico
Trubot Quadrille accito di Modena
Rouget Barbet aux Qsperge et Copnes
Becassc Rotie Croulon au Roie Gnes
Scef Piene Gap 1er Maitre d'Hotel
Akira Katumoto
Weine Glass Riedel vinum
ワイン日記 1 2
ワインとグルメ
忘れ得ぬ1本
次郎のワインセラー
ロマコン鯨飲酒記 2
ロマコン 3
(次郎のセラーにRC5本残っているがまだまだ早いようだ)