屋台の料理




 裸電球に明(ひ)がともり、そこら辺りの昆虫が集まってくると、幼い頃の夏祭りの夜店を思い出させる。何十年昔の、懐かしい夏祭りの光景が瞼に、親しみやすいノスタルジーとなってやってくる。さすが、いまはカーバイトによる灯火は無くなってしまったようだ。

 ニホイがたまらない。なんのニホイか定かでない。焼き肉のたれ、鰻の蒲焼き、いろんな贓物を炒めるアブラと香草の混じり合った複雑な臭い。アジアの屋台には、独特な、特殊な臭いが充満している。この臭いなくしては屋台が成立しない。この臭いは一種のフェロモンのようで、旅人を引きつけて離さない。

 観光客が物珍しそうに覗き込むのは、いたしかたないが、他人が床机に座って食べている最中も覗き込むのは如何なものだろう。やはりじろじろと、食べている最中に、中身まで観察されてはたまったものでない。これはやはり、ルール違反なのだろう。好奇心も程々に願いたい。でも、現地の連中はお構いなし、ひとくち、どうですかとむしろ訊ねてくる。とにもかくにも人なっつっこい。この人なつっこい現地人は、精一杯のサービスぶりを発揮、どうですかと勧めてくれるのだ。我ら皆地球人、仲良くやっていきたい。ただ見ていたり、覗き込んでいるだけでなく、勇気を出して摘んでご覧。そうだ一歩進んで入ってご覧。こんなにも美味しいものってありはしない。昨日、食した、あのホテルの豪華なレストランよりも、なんぼ美味しいか、保証付きである。

 ドリアンを筆頭に、ジャックフルーツ、スターフルーツ、アポガド、ラグビーボール大のパパヤ、ランプータン、ライチ、リュウガン、マンゴスチン、幾種類もののマンゴー等々、南国の豊富な種類の、珍しい果物類、屋台の軒下につるされた贓物、ずらりとならべられた、豚の頭、頭、あるいは鶏の足、また足、なんとも奇妙な展示物だ。ニホイがたまらん、コリアンダーじゃなく、肉の焼く、香ばしい、えも言われぬニホイが呼び寄せる。包子の専門店、麺だけ供するもの、ありとあらゆる屋台が並んでいる。どの店も、結構はやっているようだ。やはり、食することは、人間の生活の原点なのだ。

 床机に腰をかけると、綺麗な布巾で机を拭いてくれる。布巾の色は真っ黒、綺麗になるのか、はたまた、余計に汚しているのかは、判断しかねる。でもサービス精神旺盛、水をコップに注いでくれる。この水、大丈夫かしら。熱い国は腹を壊しやすいからな。しかし食器も大丈夫なら水も大丈夫なのだ。日本で猛威をふるった病原性大腸炎性腸炎O157なんて、東南アジアで流行したなんて聞いたこともない。注文は、他の人の喰っているものを指でさすだけでOK。言葉なんて一言も必要でない。さすが本場の国、屋台料理はどれでも、最高にうまいしやすい。不味いものなんてありやしないのだ。おまけに安い。

 もちろん食べ残しは、豚の餌(一部の国では再生食として人間様用に利用もされている)、どのように処理されるのか、好奇心一杯、舞台裏を覗いてはいけない。必要以上の好奇心は、勇気を超越した存在だ。お客さんの食べた後の皿類、布巾類はいかに、洗われるのは、好奇心たっぷり舞台裏を覗いてはならない。舞台裏は禁裏の庭なのだ。泥水のような真っ黒い色をした、バケツの水で濯ぎ、同じ水で布巾を濯ぎ、あらう。最後に手まで洗っている。綺麗になるのか、あるいはまた、よけい汚くなるのかは不明である。残飯が、黒く見えるのは蝿のたかっている山、長さ5cm以上もある大きなゴキブリは食べ残しものに五万とたかっている。ここのネズミは図々しくも、人間を恐れはしない。あちこち走り回っている。とにかく酷い臭気だ。コリアンダーのような上品だものではない。どぶ川のメタンか、なにかが異常発酵しているようだ。これがタイのニホイなのだ。とにもかくにも舞台裏を覗かないことだ。舞台裏は飽くまで舞台裏なのだ。でも意外と衛生面は安全かも知れない。2〜3回下痢と腹痛の洗礼に見舞われたら、それ以上は何も起こさないようだ。免疫が出来るのかも知れない。

 日本円の数百円もあれば、たらふく食べられるし、味も良い。屋台の香りは、大阪のお好み焼きの味とたこ焼きのミックスした香りがする。ヴェトナムのニャナム、タイのナンプラーは一種の魚醤で、これなくしては、これらの国の料理は始まらない。日本の発酵醤油よりも確かな味がするし、この漁醤とトウガラシにコリアンダーを混ぜるとアジアの味付けが完了するようだ。


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