フェルメール贋作事件                                                                 


フェルメールは1632年10月31日にデルフトに生まれる。絹織物職人として活動するかたわら居酒屋・宿屋を営んでいた父は、ヨハネス誕生の前年に画家中心のギルトである聖ルカ組合に加入している。10年後の1642年にはフェルメールの家として知られるメーヘレンに転居した。1653年にカタリーナ・ボルネスと結婚したフェルメールは、同年末に聖ルカ組合に加入している。従ってこれ以前に画家としての本格的な修行を積んだことになるが、デルフト以外の場所でのことだったようだ。1662年と1670年の2度にわたって画家の組合である聖ルカ組合の理事に選出されており、生前から画家として高い評価を受けていたことが伺われる。1675年にデルフトで死去。43歳没。同郷同年同月生まれの織物商であり博物学者としても知られるレーウェンフックが死後の遺産管財人となった。

オランダの画家ハン・ファン・メーヘレンは、彼の所蔵物で国家的財産に数えられていたフェルメールの宗教画を、ナチスの幹部ゲーリングに高値で売ったという容疑で、1945年オランダ警察に逮捕された。ところが、その後の審理で彼はナチス協力者の疑いを否定し、その証明としてフェルメールとピーテル・デ・ホーホの贋作を長年制作してきたことを自白した。しかし、誰一人としてその発言を信じなかったため、彼は獄中で「新しいフェルメール」を描いて見せた。この結果、メーヘレンが1937年から42年まで9点の贋作作品によって美術界を欺いてきたことが明らかにされたが、すでにそれらは空前の高値で大美術館に収められていた。これほどの技量の持ち主であるメーヘレンは、なぜ贋作画家になってしまったのか。彼は1914年に美術アカデミーで学位を取得し、その後、国内外の上流社会から画壇の寵児としてもてはやされた。しかし、1922年頃からオランダに前衛美術が台頭するようになると、美術評論家たちは彼のロマン主義的リアリズム志向を古臭いものとして冷遇し始めた。こうして屈辱を味わったメーヘレンは、彼らに対する復讐をフェルメールによって果たすことを決意したのだった。

トレ・ビュルガーがフェルメールの作品として認定した絵画は70点以上にのぼる。これらの作品の多くは、その後の研究によって別人の作であることが明らかになり、次々と作品リストから取り除かれていった。20世紀に入ると、このような動きと逆行するようにフェルメールの贋作が現れてくる。中でも最大のスキャンダルといわれるのがハン・ファン・メーヘレンによる一連の贋作事件である。


この事件は1945年ナチスドイツの国家元帥ヘルマン・ゲーリングの妻の居城からフェルメールの贋作『キリストと悔恨の女』が押収されたことに端を発する。売却経路の追及によって、メーヘレンが逮捕された。オランダの至宝を敵国に売り渡した売国奴としてである。ところが、メーヘレンはこの作品は自らが描いた贋作であると告白したのである。さらに多数のフェルメールの贋作を世に送り出しており、その中には『エマオのキリスト』も含まれているというのである。『エマオのキリスト』は1938年にロッテルダムのボイマンス美術館が購入したものであり、購入額の54万ギルダーはオランダ絵画としては過去最高額であった。当初メーヘレンの告白が受け入れられなかったため、彼は法廷で衆人環視の中、贋作を作ってみせたという。『エマオのキリスト』は、現在でもボイマンス美術館の展示室に飾られている。

オランダの画家ハン・ファン・メーヘレンは、彼の所蔵物で国家的財産に数えられていたフェルメールの宗教画を、ナチスの幹部ゲーリングに高値で売ったという容疑で、1945年オランダ警察に逮捕された。ところが、その後の審理で彼はナチス協力者の疑いを否定し、その証明としてフェルメールとピーテル・デ・ホーホの贋作を長年制作してきたことを自白した。しかし、誰一人としてその発言を信じなかったため、彼は獄中で「新しいフェルメール」を描いて見せた。この結果、メーヘレンが1937年から42年まで9点の贋作作品によって美術界を欺いてきたことが明らかにされたが、すでにそれらは空前の高値で大美術館に収められていた。これほどの技量の持ち主であるメーヘレンは、なぜ贋作画家になってしまったのか。彼は1914年に美術アカデミーで学位を取得し、その後、国内外の上流社会から画壇の寵児としてもてはやされた。しかし、1922年頃からオランダに前衛美術が台頭するようになると、美術評論家たちは彼のロマン主義的リアリズム志向を古臭いものとして冷遇し始めた。こうして屈辱を味わったメーヘレンは、彼らに対する復讐をフェルメールによって果たすことを決意したのだった。


ハン・ファン・メーヘレンは犯罪者か愛国者なのが。世情不安のユダヤ狩りナチスの横暴ばかり目に付くようだ。ヒットラーは勿論その懐刀へルマン・ゲーリングは200点以上の貴重な絵画をドイツに持ち帰ったそうだ(塩湖に隠匿)。ハン・ファン・メーヘレンはこれにほんとに協力したのだろうか。ナチスに一泡吹かせ、内心寡黙に口を閉ざし笑っていたようにも考えられる。お金も絡んでくる。全くの白紙とは考えもおよぶばない。異彩な才能を持つハンは、事のよしあしは別に2度と再び現れないホントの天才なのだ。

ルーブル博物館(フランスパリ)にはいわゆるフェルメールの作品が二点展示されているようだ。世界中の人気者、何時も何処かに貸し出し中のことがおおい。二点並べて展示されている時鑑賞できれば幸運だ。即ち17世紀のオランダの天才画家、フェルメールの「レースを編む女」と「天文学者」である。女と視線の先にある対象物との幾何学的(三角形)構想、また学者と視線の先にある地球儀との幾何学的配置、空間の測定によって幾何学的美意識を無意識の中に取り入れているようだ。一方ドイツフランクフルトのシュテーデル美術館の地理学者もおなじ構想の下に纏められている。ガリレオの天体望遠鏡の発見によってもう既に天体の成立の仕組みを数学的(幾何学的)証明の基礎として捉えていたのかもしれない。天球儀、地球儀、MAPやコンパスを持ち筆に変えて描写している。思考する願望、透明な視線と未来への希求は、儚い懸念を振り払い、物思いに耽るポーズとなっている。でもこの3点は心底フェルメールの作品であるとの証明は存在しない。たかが作者の問題なのだ。たとえメーヘレンが描こうとも、亦他の誰が囲うとも、絵画の価値を損なうものではありえない。これは、まさに真贋を超越しているのである。

絵画に使用されている額縁等の時代測定は科学的には可能のようである(「放射性炭素年代測定法」)。しかし、パリやロンドンの蚤の市では古い額縁が沢山売られている。誰でも購入できるようだ。


ルグロ事件
レアル・ルサール

フェルメールの光と陰
絵画芸術ヴァージナルの前の女


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