ある心臓外科医の思いで(脳死移植に想う)
モノには流れがある、流れる浮き世は辛いモノ、流れに棹させば押し流される。世論もまた同じこと。でも時には勇気ある行動も必要だ。世論に水をさす勇気も必要だ。時の流れに身を任せるのは立派な処世術、反対するのもこれまた立派な処世術、とにかく物事をじっくり考えたいものだ。
死の概念については既に十分考えた。もっと考え直しても、おなじ堂々めぐり、でも発展もあるやも知れぬ。全ての概念・哲学は時代と共の変化するものだ。ある心臓外科医の勇気ある発言が、久々に快い反響を響かすようだ。なにもこの発言が正しいと主張するものではないが、ただひたすら平常心を失った、客観的に物事を見る余裕のない移植外科医に何らかの警鐘を発するものあっても良いのではないか。
ある日突然襲いかかる移植医学、全てが移植外科一色、移植外科医でなければ、人(外科医)にあらずと言った調子、人間ただ驕っていては客観的判断は就きかねない。一歩判断を誤れば、殺人事件をも起こしかねない移植外科医の焦る立場は理解できるが、和田事件もあり、後々のこともあり、ここら辺りは冷静の上にも冷静であってもらいたいものだ。10例位の症例で日本でも移植外科が容認された、受け入れられたと早とちりしてはいけない。一例一例が真剣勝負でなんでもかんでもOKということではない。脳死判定も心してかからねばならない。レーゲルを守らない医師なんて以ての外、何事かいわんである。規則を守っておれば、日本では移植医療が行えないと豪語するような移植医には、わが国の移植医療に関わってもらいたくない。
最近「ある心臓外科医の想い」という話を聞かせていただいた。ある意味では移植医療に水さすとも受けとめられかねない話であるが、説得力のある、穏やかな話には共鳴するものも数多いと思われる。この心臓外科医はあの紛争華やかなりし1960年代半ば大学を卒業、学生時代より心臓移植第1号のヨハネスブルグ病院の報道に接し、将来は心臓外科医をめざして行こうと決心していた。卒業と同時に当時心臓外科のわが国のメッカと言われた私学のJ大学S外科に入局研鑽に励んできた。まあ心臓外科一本でやったきたのである。海外留学もして実際50例にも達する数多くの心臓移植手術にも携わってきた。現在心臓手術数も6000例をこえ、最近でも年間200例の開胸心臓手術を行っているという。まあベテラン中のベテランの心臓外科医なのである。
この心臓外科には老いた母がいた。肉親の不老長寿を願うのは常のこと、でも不幸にして彼の母は脳梗塞で倒れてしまった。自発呼吸も不能な状態であるが、バード(人工呼吸器)で規則正しく健やかに呼吸を続けている。ホントに平和だ。彼は瞳孔の対光反射を試みたがなんの反応もない。身動きひとつせず、じっとしたまま、これが脳死というものだろうか。彼には良く理解できなかった。でも愛する肉親として、母がこのまま心臓摘出をうけ、臓器提供するなんて、全くなんの抵抗もなく受け入れだれないだろうと思った。こんな状態で臓器提供なんて考えられもしなかったと述べている。
肉親の愛、心の問題を単に唯物的に割り切って考えられないことだってある。物事を正誤のただ二つの範疇にはめ込んでしまうことは不合理を生むことになる。それは正しくないと、他人を強要するなんて権利は誰にも存在しえない。
拡張型心筋症など、移植手術でしか救ええない病気の方もあることだろう。病に苦しんでいる方を救いたい。脳死移植を正々堂々と規則に則り、行っていってほしいものだ。移植外科医もこれで役目が終わったわけでない。脳死者からよりも、死体からの移植に、より発展さしたものを願いたい。でもこれらは次の発展した段階までの繋ぎだ。心臓移植が成功したからと云って、移植外科医の勝利では決してない。これは単に次の始まりの第一歩に過ぎない。来世紀にはおそらく人工臓器、クローン臓器は飛躍的に発展するだろう。脳死者からの移植医療なんて前世紀の遺物となっていくことだろう。またそう願っている。