前立腺癌治療記録 T  
    (次郎さん病魔に襲われる
---治療開始から全摘出術まで)

Since 2/14/03

目次  治療記録 そのU(手術そして術後)   そのV(術後経過)  そのW(がん再発す)
術後1ヵ年の総括


夢は枯野を駆け巡る

 
 まさか、まさか自分自身がんに侵されるなんて、頭の片隅にも、片時にも考えもしなかった。もともと自分の家系にはがんの遺伝子はないものと確信していた。でも、考えるまでもなく無茶苦茶をやってしまった様だ。やはり餅は餅屋で専門医に相談すべきだった。でも、でもこの場に及んでくよくよしても始まらない。現在の立場を冷静に受け止め、現在与えられる最善の方策を講じるべきだろう。いささか自嘲気味だがいたし方あるまい。ガンにかかるのも遺伝子の悪戯か、がんで死ぬのもこれまた運命、神の思し召しならいたしかたあるまい。

 俺の闘病生活の始まりだ。どなたか(木村肇さん)が書いておられた。がんというやつはなかなかしぶとい。一筋縄ではうまくいかないようだ。がんに打ち勝つなんて人間業で出来るものではない。どうせ勝つことが出来ないものなら、一生喰らいついていってやろう。頑張って、がんがもうやめてくれと懇願するまで喰らいついていってやろう。同じ生涯、あまり喧嘩するまでもなく、仲良くしようでないか。がんという寄生体も次郎という宿主がいなければ、どないもしょうがないではないか。俺がくたばったなら、お前もサラバなのだ。お前もアポプトーシス(意味が全然違う)をおこさねばなるまい。

 がんとは無制限に秩序なく増殖するらしい。おのれが寄生している宿主を喰い滅ぼすまで頑張りよるらしい。そないにしんどい思いをしなくてもよさそうなのにとも思うのだが。がんさんよ、俺と一生付き合うことになったのだからよろしくお願いするよ、お手柔らかに。あまりお前さんとは対決したくないよ。俺はお前さんに打ち勝とうなんておおそれた考えは全くない。まあ、仲良くやって行こうではないか。次郎はがんの告知を受けたときも割合冷静でいられた。頭の中も真っ白になることもなく、むしろ冷静すぎるくらいであった。臨床検査結果からおよそ気づいていた所為もあるだろう。バイオプシーによる生体検査でハッキリと決まりだ。開腹しなければ判らないだろうが、いまのところ遠隔転移もなさそうだ。もっけものだ。被膜の浸潤(精嚢への転移)位はあるかもしれない。あるいは少しぐらい食みだしているかも知れない( B2あるいはC )。旅行には人様より多数回行った。くだらん趣味も多数手がけた。アルコールの味も少し覚えてきた。ずいぶん我侭な人生だったような気がする。こうした我侭許されたのも全てママの所為だ。感謝しなければ。でも身辺の整理だけはしておこう。またとないいい機会なのだ。

 次郎さんは二十五年程前(42才頃)に肝炎を患ったことがある。現在と違いこの時分は肝炎の抗原検索なんて出来なかった。やっとオーストリア抗原(Au)が云々されてされているようだった。このときトランスアミラーゼ(GPT)が2000単位(それ以上は測定できなかった)以上上昇したが、大学の偉い先生はこんな新しい検査はまだ評価が定まっていない、膠質反応(古い肝機能障害の有無を測定する)さえよければ心配ないとのことであった。二十数年前なんて、こんな状態で最近の医学の発展には全く恐ろしい。結果的に劇症型B型肝炎だったようだ。この時は悪運強く生き延びた。劇症肝炎なんて現在でも死亡率数十%以上だ。この時せめてあと十年は生きたい、働きたいと神に願った。年子の小学生4人と家内を残してどうして死なれようか。苦しいときのみの神頼みだった。神も苦笑しながら、この我侭な願いをかなえてくださった。この大病の数ヶ月前には親父(87歳)を亡くしている。家のこと、家族のこと、兄弟姉妹のこと、次郎さんには悩みが多すぎた。
 
 約十年前には尿管結石の水腎症を患ったこともある。この水腎症の前にも場所が違うが結石で悩んだことがあった。旅行中突然の腹痛だったが、内服だけで、いつの間にか軽快していた。今回は右側尿管峡部拇指頭大の結石が詰まっており、そのため尿が流れず腎盂内の圧力が亢進、正常の腎臓の数倍の大きさに拡張していた。腎の随質は薄っぺらく押し広げられ、2mm程度になっていた。尿管も拇指の太さ以上だ。KUB(腎臓・尿管・膀胱)の写真を見せてもらうまでもなくよく理解できる。特に結石による痛みもなくどういうことなかったのであるが。十年来の結石、泌尿器科の医者は即座にネフレク(腎臓摘出術)だといった。冗談じゃない親からもらって五十数年大切に使ってきたものをこんなことで取られてたまるものか。十年来の結石であったが、当時県内に数台しかない体外衝撃波で砕いてもらった。この時、膀胱内結石もあり、こちらはカウダール(脊髄麻酔)のもとで除去してもらった(執刀医DrH)。このときの診断では前立腺肥大症があるとのことだあった。結果は上々、悪運強くこのときも無事通過した。これらがいけなかったのかもしれない。

 七〜八年ほどまえ、腫瘍マーカー(体の中にがんがあると増加する)を調べてもらったことがある。この時 800mg/dlにたっする中性脂肪(正常値150mg/dl)で吃驚、ダイエットすることにした。2ヶ月ほどの極端な食事療法(1日700Kcal)ですぐに正常値に戻った。Ca 19-9 のほうも 380U/mlと異常に高かったが、こちらの方もダイエットだけでバイバイゲームで正常値までもどった。肝炎のGPTのときの減少と全く同じようだった。Ca 19−9の高値については、どこかに何かがあるだろうとの数人の著名な医師の診断だったが結局 Ca19-9 の高値の原因についてはわからずじまい。このときは2ヶ月間で15kgほどやせた。友人からどうしたら痩せられるか教えてほしいとよく言われるが、要は食べないことだと答えている。人間何も食べないでも1〜2ヶ月は持つものだ。お腹がすけば水を飲めばよい。水を180mlでも飲めば1時間ぐらい空腹を我慢できるようだった。

 前立腺の肥大については約10年前から承知していた。5〜6年前から尿線が細く、すなほにザーと出てくれない。いわゆる残尿があるようだ。尿漏れは全然見なかった。10年前は残尿量はCa 50mlということで、途中尿道炎や膀胱炎を繰り返しながら、どないにかやってきた。公衆トイレに行っても隣の若造は後から来たのに、太い太い尿線でザーとやって、いかにも気持ちよさそうに、誇らしげに出て行きよる。俺はさっきから悪戦苦闘、額に汗して頑張っている。人様の何倍かの時間をかけて。でも夜間尿は1回だけで2回のときはほとんどなかった(血液凝固予防のため就寝時180mlの水を飲んで寝ると2回いくことがあった)。血尿の経験もとくべつなかった。いわゆる前立腺肥大に伴う尿道の圧迫症状だけだった。次郎の膀胱のキャパシティは約400ml、残尿が100mlあればあと300ml位溜めることができるはずだ。就寝前には出来るだけ残尿を減らす、小刻みに残り粕を搾り出すよう努めていた。早朝には、思ったより太い尿線で良くでよったものだ。結局一長一短、山あり谷ありの状態で忍んで来た。

 前立腺がんは、がんの中でも進行が遅く、穏やかだとも言われている。しかもホルモン療法という伝家の宝刀もあることだし、平均余命との戦いだとか随分のんびりしたことがよく言われる(ガンモドキ理論)。しかし、がんそのものによる症状が出てからでは、他のがんと変わりないようにも思われる。いつからがんになったのかその発祥は難しい。たとえ胃がんであっても、一個のがん細胞が出来てから臨床的に自覚症状が出てくるまでには随分と時間もかかっていることだろう。十年あるいはもっと時間を要したかもしれない。全ての始まりが体内に芽生えた一個のがん細胞なのだ。こういうことは全てのがんについて共通したことである。でも前立腺がんは、あまり進まないうちに偶然に見つかることが多い。中高年者によく見られる前立腺肥大症(年寄りに良く見られる?)も例外ではない。幸いにも血液(PSA)で判定可能ながんは他にはないであろう。幸せというか、不幸というべきか、悩むところである。自覚症状がなく、たまたま血液で前立腺がんとわかった人は幸いにも十年戦争だ。あるいはそれ以上かもしれない。息の長いがんとの付き合い、穏やかに冷静に対処して行こう。

 前立腺のかかわる病気はがんに限らす男性ホルモン(アンドロゲン)が関係しているようだ。去勢(睾丸を取ってしまう)すればよさそうなものだが、なにもアンドロゲンは睾丸のみから産生されるものではなく副腎からも生成されるようだ。全アンドロゲンの5%位は副腎産だといわれている。だからたとえ去勢してもアンドロゲンレベルは 0 にはならない。確かに最近のホルモン治療によっては血中テストステロンが去勢レベルまで低下するようだ。高単位の Gn-RH の投与でフリーのテストステロンつまり活性型デヒドロアンドロステンのレベルがほぼ 0 まで減少するという。PSA もがん抗原ではなく単なる前立腺に対する特異抗原なので、確かに低レベルまで下がるが 0 にはなり難いようだ。あまり ng という mg の百万分の一というレベルで一喜一憂するのは考えものではないだろうか。
 悪運強いことが結果的に取り返しのつかない大事となってしまうことがある。今回はそのような気がする。昨年9月来PSAの値が( 13.8・20.5・18 )を示している。この値(4ng/ml以上)は前立腺癌を示している。もうこうなったらまな板の鯉だ。どうぞ好きなようにやってくれ。担当医師と相談した結果3ヶ月間ほどホルモン療法カソディクス80mg内服・リュープリン3.75mg毎月1回筋注)を行い、しかる後広汎前立腺全摘出術を行うことになった。まあ、最善の選択だろう。

 まだまだ早いかもしれないが、いづれ終末医療を迎える準備のため、とくに心の準備のため、今日から日記(メモ)を残しておこう。日記なら毎日書かねばならないので気が重いが、たんなるメモなら、好きなとき好きなだけ好きなことのみ書けばよいから至って気がらくだ。メモを残そうと言ったって、これから辿るであろう俺の人生が、同病の方の参考になってほしいとはちっとも思わない。何故なら、こんな出鱈目な人生もあまりあったものではない。人生の反面教師として捉えて頂ければ幸いである。神を恐れず冒涜し感謝を忘れた見本みたいな人生だから。もし拙文が目に留まったならこういうバカな奴もいたのかと笑ってやってください。(2/9/03)


5/17/99

 PSA                  11.8ng/ml

注 PSA:前立腺特異抗原のこと。血中PSA(PA)基準値は4ng/ml以下であり4〜10はグレイゾーン、10以上はがんが最も疑われる。


9/28/02 

 PSA                  13.8
 PAP                  2.0
 γーセミノプロテイン         9.0
 TPA                   77


12/26/02

 PSA                  20.5
 PAP                   0.6
 γーセミノプロテイン         8.6
 TPA                  167


1/9/03 生検前第一回診察

 MRI(前立腺)を平井病院で受ける。前立腺右葉の陰影を指摘される(N病院助教授)
 やはり、右葉に陰影あり、被膜は突き破っていない模様(国保中央病院田中医師)という。前立腺は4〜5cmに肥大して推定重量42grだという。

 血液検査(PSA 18ng/ml) 国保中央病院


1/16/03

 全身骨シンチ(済生会中和病院)

 X線科の医師の言うにはホット(がんの転移)な箇所はないという。しかし腰椎の一部に黒い箇所あり。素人目にも判る。


1/29/03

 生検(バイオプシー)を受けるため午後入院(国保中央病院)

 眠剤(ハルシオン0.25mg)と下剤2錠(プルセニッド)を貰う。ハルシオンは良く効いた。起床時間に起きられず、腕をたたかれるまで気づかなかった。下剤のほうは16時間ほどしてから効いてきた。普通は就寝時飲めば翌朝便通があるのだが、今回は12時間以上たってから下痢便になった。バルーン(持続道尿)を入れたいたので動けず、全くおうじょうした。夜中に肌着のみならずシーツまで汚して大変だった。当直の看護婦さんごめんなさい。


1/30/03

 サドル(腰椎麻酔)のもと会陰部から11箇所試験穿刺(バイオプシイ)、同時に膀胱鏡等の検査を受ける。生検の時間は精々10分位だが、麻酔等準備があり、手術室入室から帰室まで約1時間を要した。点滴をしていたがこれは不測の事態に備えて血管確保の意味だけであるようだ。

 サドルのもと生検する回数を数えていた。われながら冷静だったようだ。こんな検査を麻酔も何もなく外来でする病院もあるとのこと、患者虐待で訴えられなかったら幸いだろう。

 尿道、膀胱粘膜共に異常なし。

病院をあっちこっち代わったりして、不思議に思われるかもしれないが、県内の病院の中で最新鋭の比較的新しい器械のある病院で検査を受けた。いわば良いとこどりだ。あまり医療の本筋ではなさそうだがこの際目を瞑ってもらおう。大学に依頼しても何週間も検査で待たされるのは嫌だ。


1/31/03

 午前中、整形外科受診、つづいて胸部、腹部のX-P、CT検査を受ける。
腰痛について変形性腰椎症とのこと、メタ(がんの転移)じゃなさそうだ。骨梁もはっきり、しっかりしていた。

午後退院する。もう1日おれとのことだったが、無理やり退院する。出血のことを心配していたようだ。この病院は慎重し過ぎるようだ。でも一日中尿意を催す。尿管の拡張で尿道が傷つき、それに尿の刺激でいつもションベンに行きたい気持ちする。血尿もあるが尿腺は太い。膀胱炎のような残尿感が認められる。抗生物質(フルマリン100mg朝夕)一週間分貰う。

日本でまだ7台目かとの新しいCT(16系列マルチスライスCT)で取ってもらうがリンパ節の転移(メタ)はないようだとのこと。CTでリンパのメタまでわかるのだろうか?。


2/6/03 第一回目の診察

 午前8時より平井病院で腰部を中心にMRI(骨の転移の有無について) 結果は異常なしとのこと。
続いて国保中央病院(田中医師)で1/30/03実施の生検の結果を聞く。やはり陽性(癌である)とのこと。Gleason Grade 6 (左右 3 points づつの 6 points という。 ちょっと意見が違うように思うが聞き違えかも知れない)。組織学的には中分化型の腺癌 adenocarinoma moderately differentiated ということ。おそらく B2あるいはC ということだろう。陛下よりは少しは進行しているようだ。左より採取の5個のうち2個が陽性とのことだった。右側は判らないという。つまりがん(腫瘍)は片葉のみではなく、両葉に広がっていた。

治療について薬物療法と手術について簡単な説明を受けた。手術は何処でするか聞かれた。即座に此処(国保中央病院)でお願いしますと答えた。はじめ、もし手術になるならNかT病院と決めていた。T病院の先生(この先生は最近東海地方の病院に転出された)は評判が良い。手術が上手いらしい。腹腔鏡でも手術できるらしい。最近は手技も上手で数時間で全摘をやられるという。でもT病院に赴任された頃は二十数時間もかかっておられたようだ。なるほど名医かもしれないが、現在の医学のレベルでは、とくべつの不器用でもない限りチームワークだと思う。正確な解剖学的知識さえあれば大差ないはずだ。N病院も医者ならごろごろしているだろう。しかし高名な医師(友人の弟さんで相互に良く知っている)にかかるよりも若い先生のほうが良いと思う。人手には不足ないだろうが高齢の名医よりも実質若い(目の良い)医師のほうが無難だろうと思う。やはり友人の勧め(考え)もあり、主治医は少し若すぎる(35才ぐらい)ようだが、この先生に全てかけてみようと思う。勿論インストラクチャーもいることだし。陰部神経(勃起神経)の温存やなにやらの注文の希望は全然ない。手術のし易いようにどうぞ、思い切ってお願いしたい。手術するなら、狭い視野で、手先の器用さでする手術よりも、綺麗ばっさりドンと開腹してのびのびやってもらいたい。リンパの郭清はたいへんな大手術なのだ。

今後の治療方針であるが、リュープリン3.75mgを3回筋注(1ヶ月に1回)のうえカソディックス(Bicultamide)80mg の投与を受ける。約3ヶ月のホルモン療法やPSAの経過観察のもと根治手術を受ける予定。ホルモンによる前治療の後手術すということになった。手術は苦しいだろうな。術後のQOLが問題だ。

単にこの治療方針に、簡単に同意したことになっているが心の動きは複雑だ。北里大学の医師の報告ではホルモン治療はなるほど良く効くが、再試行する時はどうも効果がおちるらしいという。この先生はむしろホルモン療法は手術後療法として温存しておいたほうが良いといっている。でも主治医として決めたいじょう、主治医に従おう。迷うことは何もない。


2/11/03

 治療開始後1週間を経過するが自覚的症状はなんにもかわることなし。今まで便秘気味だったが、すこし軟便で毎日あるようだ。


2/12・13/03

 
からだの脱力感がある。2日続いて寝汗をかいた。水洟も出るようだ。風邪ならよいのだがカソディックスの副作用ではないだろうか。


2/15/03

 風邪薬(PL顆粒)を飲んだら寝汗は止まったようだ。やはり風邪だったのだろうか。この頃神経質になっているようだ。


2/21/03

 とにかく足がだるい、ヒチョウキンが痛むほどだるい。風邪ももうひとつすっきりしない。水洟が引き続きでるようだ。5月に手術を受けるとすると身辺の整理が必要だ。取り敢えず4月からの学校の講義(10単位)は断ることにした。急に言われて学校のほうも大変迷惑だろう。いろいろの公職を持っているのでそちらの方も整理しなければ。


2/22/03

 PSA 30.5ng/ml (flare up かな?)
 γ-Sm 28.6ng/ml

 ホルモン療法開始後2週間である。Gn-RHの100倍も作用のきついリュープリンの作用で一時的にテストステロンが分泌されたのだろうか。いやいや反対に治療に抵抗を示しているのだろうか。
血糖(HbAC)も上がっている、中性脂肪がすごい(TG)、今日からダイエット作戦開始だ。


2/25/03

 3〜4日前から寝て起き上がるとき腰が痛む。せいぜい数分間だが腰骨が痛むようだ。いすに座っていても尻や大腿骨が痛む。鈍(にぶい)い鈍痛のようなもので、だる痛い。今までにこんな経験はなし。内服の副作用では骨痛が認められることがあるとのことだが。首が痛む。肩の凝りとは違うようだ。最近少し神経質になり過ぎているようだ。夜間尿は大体1回のみ。膀胱の緊張感も少し麻痺気味か、尿道の刺激症状(少しオシッコに行きたい感じがするとき)があれば、我慢できないようだ。以前のように膀胱に蓄積される感覚が遠のいたようだ。


2/26/03

 この頃なんでもフニャフニャ、今までは朝起きるときぐらいはシャントしないまでも、少しぐらいハリがあった。この頃はまったくシンがない。弾力もない。豆腐以下の存在だ。やはりテストステロンがブロックされてきたのだあろうか。


2/28/03

 今日の新聞報道を見て愕然とした。医療界に株式会社の参入が認められるという。例の構造改革だ。いろいろ意見もあるようだが世界に誇る日本の皆保険制度は死守したいものだ。自分が病気になれば初めて気づくものだ。頭の中でプラス・マイナスを考えてみたがはっきり計算できないが社会保険があるので2割負担だけですむので大分助かるようだ。でも4月から3割になるようだ。次郎のような自由業は病気になれば、収入が途絶えるし往復で堪える。

PSA 14.6ng/ml
γ-Sm 19ng/m


3/2/03

 友人の子供の誕生日とかで便乗、黒門(大阪)の六覚燈でクシカツを喰った。わいん(3本)は全て素晴らしく美味しかった。からだはすこぶる快調だ。


3/4/03

 やはり腰が痛む。我慢できる程度だが、椅子に腰をかけていると仙骨から腰骨がだるく痛む、立つとき数秒間は腰をまっすぐに伸ばせないようだ。歩行には関係ない。やはりカソディックス(骨痛)だろうか、あるいは急に骨転移が起こったのだろうか。少々不安である。鎮痛剤は飲んでいない。尿腺は相変わらず太い。割合ザアーとでるようだ。これも内視鏡の影響(1/31/03実施)か、カソディックスが効いて腫瘍が縮小してきたのかわからない。いづれにしても、そんなに早く変化するわけないだろう。


3/6/03(ホルモン療法開始後4週目)

 今日2回目(ホルモン療法開始後1回目)の診察を受けた。前立腺はくるみ大に縮小しているとのこと(以前は鶏卵大)。血液検査も受ける。明日になれば結果もわかるだろう。やはり尻の骨が痛む。激痛ではないが尋常ではないようだ。知人に電話して手術することを告げた。この知人は一応泌尿器科の専門医で病院勤めをしている。いろいろとサゲッションをいただけるものと思う。後刻連絡すると言う。(ホルモン療法開始4週目)

PSA 5.8ng/ml
Testosterone 31ng/dl
肝機能は異常なし

この1週間でホルモンレベルは大分低下したようだが、まだまだ満足できるものではない。


3/14/03

 検査の結果わからずイライラする。手術は5月12日入院15日手術と内定する。やはりいろいろと不安がよぎるようだ。

最近睾丸(精巣)の玉が小さくなって来たような気がする。風呂で触って見るといやに小さく感じるし、精巣上体のみがやけに大きく感じる。気のせいかも判らないが睾丸が萎縮してきたのかしら。相変わらず便通は柔らかく、以前のように結しることはないようだ。テストステロン値も低レベルでやっと薬が効いてきたのかもしれない。

同病のWebの先人に勧められた垣添忠生先生の「前立腺がんで死なないために」を読んだ。たいへん参考になったし、文中に登場した昔の知人を思い出して懐かしかった。


3/16/03

 昨日から東京の友人宅に遊びに行って高輪プリンスホテルのさくらタワーに泊まった。知人宅で頂いた料理とワインは最高だった。飲みすぎて、12時ごろホテルに帰ってそのまますぐに寝た。今日は根津美術館に行ったが、最高の日和、ほとんど春めいていた。でも東京駅の丸ビルは押すな押すなの盛況、でも夕刻ごろには少し肌寒く感じられた。雨模様で、新幹線のぞみの中は丁度いいぐらいなのに顔面は流れるような汗具合、一体どうなっているのかしら。とうとう来たのだ。男の更年期、遅いようだが、リュープリン・カソディックの完全な影響だ。発汗した後は少し寒く感ぜられた。あまり副作用もでないと思っていたら、ホルモン療法開始後40日間、だいぶ効いてきた様だ。女性の更年期の辛さがようわかるようだ。全く症状は同じ、女性の裏返しだ。

そう云えばペニスが少し小さくなってきたような気がする。可愛らしくなったようだ。やはりほんまに効いてきた様だ。オチンチンが縮んでいても、尿意は催すし太い尿線でぎょうさんでよる。ただ頻繁に尿意を催すようだが、我慢も出来るようだ。夜間尿回数は一回のみで今までと変わらず同じようだ。残尿は少ないが(50ml以下)相変わらずあるようだ。オッパイに変化はなし。体型の変化は見られないが、相変わらず肥満型、もう少しダイエットしなければ。


3/19/03

 本格的な更年期の襲来だ。昨日今日と割合寒いのに、顔は玉の汗が流れる。拭いても拭いても流れる。と思ったら寒気がする。とにかく寒い。夜中尿意でなく寒さで目が覚める。以前と同様、眠りが浅い、癖になったいるようだ。軽い睡眠薬を服用したほうが良いかもしれない。

昨日、社保の審査員会(基金診療報酬審査会)に出席、今月一杯で委員を辞任したい由、申し出て来た。思えば国保連合会の審査委員と合わせて15年間の長きにわたってよくも持ったものだ。月のうちの1週間ほど大変だったがいい勉強になった。人生いい経験をさせてもらった。これで学校と社保は片付いてほっとした。


3/19/03 (ホルモン療法開始6週目)

PSA 1.6ng/ml
Testosterone 42ng/dl
肝機能は異常なし
貧血もなし


3/25/03

 女性の場合更年期なんて全く経験しないものから、数年にわたって悩むものまで千差万別だそうだ。悩みもいつも変化するのが普通だ。僕の場合、更年期症状は相変わらず、急にやってくる。汗をかいたかと思うと直ぐに悪寒が来る。偏頭痛とか肩こりとかホットフラッシュもないようだ。昨日一昨日と六甲のオリエンタルホテルに行ってきた。夜景はきれいだし、食事は美味しいしワインも美味しかった。食欲は相変わらず旺盛、ダイエット効果はなし。昨日もクラス会で奥香落山荘まで行ってきたが特に疲れは感じなかった。今日は最後の社保審査委員会、任期を残して辞任の挨拶をしてきた。4月から幹事長も東京の本部に帰るようだ。


3/31/03

 いよいよ今期最後の日となってしまった。クラブのほうはすぐに退会とはいかないようだ。一応6ヶ月間の休会届けを出してきたが、その後退会としていただきたい。思えば25年以上の長きにわたってお世話をかけました。会長も経験させていただきありがとうございました。身が軽くなれば自分の時間も十分持つことが出来るようだが、なんだか少し寂しい気もする。でも寝ていてばかりしてして安易にならないよう気を付けねばなるまい。統一地方選挙の第一弾として行われる県議選の選挙事務所開きということで参加したら、壇上の最前列に登壇させられた。本人は旧社会党出身ということだが自民党・社民党の代議士はじめ地方議会の議員等多数出席しておられた。体調のほうはまずまずなるも、相変わらず急に発汗したり寒気が襲う。春の桜のようにはいかないようだ。


4/1/03 (ホルモン療法開始8週目)

PSA  0.9ng/ml
数日検査は少し早いが明日から出張が続くので施行した。


4/3/03

 4週に1回のリュープリンの注射を自分でした。痛かった。気温が大分上昇してきて桜も今週一杯だろう。日中15℃を超えようとしているのに、相変わらず発汗と悪寒の繰り返し、でも汗の後は皮膚がツルツルしているようだ。皮膚も女性化したのだろうか。


4/6/3

 第26回医学総会(福岡)の泌尿器科のシンポジウム「前立腺癌の診断と治療の進歩」はすべて静聴して来た。一言漏らさず、隅々まで、全て聞いてきた。が新しく得るとこなし。
今日は68回目の次郎の誕生日、福岡からの帰り大阪日航ホテルの中華料理を頂いた。総計9名、料理は美味しいしワインも美味い。これがどうしてガンなのだろうか。


4/10/03

 第26回医学総会(福岡)出席のため1週間遅れの受診、前立腺は小さくなっているとのこと(どれぐらい小さいか示されず)。血液検査を受ける。大体の治療スケジュールは

  5月12日(月)  入院
  5月15日(木)  手術


なお、手術の出血に備えて、自己血400mlを3回採取することになった。(4/24 5/1 5/8)

 PSA   1.2ng/ml
 テストステロン    21ng/dl
 肝機能   異常なし


4/17/03

 この1週間強烈な更年期障害。戸外は暖かく26℃に達した。が寒気がする。悪寒が走る。なのに顔面からは玉の汗。他の感染症状は見られず。テストステロンは恐らく有意に低下しているだろう。


4/21/03

 相変わらず、発汗と悪寒が強烈だ。数日らいの初夏を思わす暑さに比べて、すこし肌寒いかもしれないが、玉の汗に続いて寒い、ぶるぶる震える。もう直ぐ5月だというのに。やはり体の中でホルモンのアンバランス、失調が起こっているようだ。何時まで続くのだろうか。

 PSA   0.3ng/ml
 テストステロン   21ng/dl
 貧血   異常なし


4/24/04

 手術に対する準備が始まる。まづは輸血の準備である。いよいよ3週間前、カウントダウンだ。今日自己輸血のための採血400ml(第1回)をした。採血前にHb(ヘモグロビン)とHt(ヘマトクリット)を測定(貧血があるかどうか、血液の濃さを測る)、異常なかったのでエポジン(骨髄を刺激して血液を増やす作用がある)はせず、採血後ラクテック(電解質が含有)の点滴のみした。採血後持参用意していたアンパン1個と牛乳1本飲む。病院の行き帰りは自分で自動車運転した。ここの病院は少し段取りが悪い。はじめに、貧血の検査のため採血した。血管が細く取りにくく2回失敗した。看護師さんも人の子失敗することもアル。どうていうことなし。次に多量採血、血液が凝固しないため18ゲージ(普通筋肉注射は23〜26ゲージ、静注は21〜22の針を使うが、輸血は18以上の太い針を使用する)位の太い針で採血した。採血が終われば、あれあれと思う前に抜管、続いて他の場所から点滴である。結局5回針を刺した。どうということはないが、もしできれば、患者の立場では一回の注射で済ましてほしかった。


5/1/03

 第2回目の自己輸血の採血だ。相変わらず段取りが悪いが、今度は採血針から点滴(ラクテック)をしてくれたので2回の針の刺すので助かった(実際は最初の採血を失敗したので都合3回穿刺した、たいしたことないが痛いよね)。月が変わったので今日はPSAの測定も行う。健康保険ではPSAの検査は月1回と定められているようで、患者の気持ちとしては月2回位してほしいものだ。診察はなし。点滴はラクテックと皮下注リュープリン(4回目)とエスポー24000単位(Hb・Htは規定以上にあったが、OP(手術前14日目)が近づいて来たので念のため施行する)。

病院へ行く途中、昨夜の雨風でバラの木が倒れていたので、其処え突っ込む。石畳ばかり注意していたのでバラには全然気づかなかった。注意力散漫ハズカシクて人様にもいえない。顔面挫創、大きなテープで丹下左膳のようだ。

 PSA              0.4nh/ml
 肝機能           正常
 血糖             115mg/dl
 teststeron  12.5ng/ml
 HBA1C  6.5mg/dl

 エスポー24000単位 施行
 貧血         認めず
 肝機能       異常なし


5/2/03

 昨日から風邪気味、咳は出ないが微熱がある。強い更年期かなあと思っていたが体温が37.4℃もある。フロモックス(抗生物質)を貰いPL顆粒(風薬)と共に飲む。よる10時、風呂に入りハルシオン0.125mg(睡眠薬)を服用、ワインを飲んで熟睡した。酷い悪寒のため主治医よりカソデックスの服用中断の話も出たが、もう少しだから頑張ることにした。

5/5/03

いよいよカウントダウン、手術まであと10日だ。やはり不安だ。身辺の整理進まず。全く思うようにはいかないものだ。最大の努力して上手くいかないものはいたし方あるまい。後は全てそれぞれの者が上手くやってくれるだろう。抗生剤と風邪薬を飲んだら酷い悪寒は和らいだ。でも、全身の発汗と hot frush は相変わらず突然やってくる。

5/6/03

 住区地区の大神宮祭に小学生児童生徒の書画を展示するため道路の使用許可願いを警察に提出する。自治会長の職も何時までやれるや。早いこと変わってほしい。


5/8/03

 入院前の血液一般、出血凝固検査、生理学的検査、肺機能検査、EKG、胸部X線写真等行う。第3回目の最後の自己採血、合計1200mlとなった。いよいよ来週から入院、今日は入院前最後の外来受診日、自己血400ml採血、合計1200mlとなった。。

 エスポー24000単位  施行
 貧血            認めず
 肝機能          異常なし

カソデックスは今日で服用中止する。

5/12/03

 1月末の確定診断以来、3か月あまり、ホルモン前治療は大体予想通りいった。PSAの値も正常値以下に低下した。テストステロンも除睾レベルにまで低下した。なるほで、ホルモン療法もある程度効果が上がるようだ、でも完治ではない。現在の病状は峠のお茶屋でしばしの休憩といったところだろう。でも、いつまでも休憩を楽しんでは居れないだろう。鴨長明じゃあるまいし、やがて、行く川の流れに浮かぶ泡(ウタカツ)は静かに動き出し、何時までも同じ所に留まることはないようだ。現在の医療レベルでは化学療法でがんの完治はあり得ないようだ。ない袖は触れないが、次郎は将来は重粒子線や遺伝子操作ががんの完治の鍵を握っているような気がする。

 PSA(RI)     0.4ng/ml
 PSA(HS)    0.261ng/ml
 肝機能      正常
 血糖       102mg/dl 
 teststeron   22ng/ml
 HBA1C     6.1%

 
確定予定

  5月12日(月)  入院
  5月15日(木)  手術
(リンパ腺の郭清を伴う広汎前立腺全摘出術)

 ホルモン療法は予定通り3ヶ月終了したが、初期の目的は達したようだ。アンドロゲンは低下し、マーカーPSAも基準値以下に下がった。前立腺はそのスケールが正常大に縮小した。何事も順調だ。主治医はコレで全摘すれば、化学療法は必要ないといっている。はたしてどうだろうか。そのようになってくれれば有難いが。このままホルモン治療とお別れできれば望外の望みだ。でも、そんな生易しいものではないであろう。いづれ、一個の細胞がまたぞろ動き出すに違いない。がんはしぶとい。まあ、あまり派手な立ち回りすることなく、できるだけ穏やかに付き合いたい。

 近頃睡眠が浅い。熟睡が出来ない。ウツラウツラすれば直ぐ夢を見る。安物の5本立て映画のようだ。たとえ10分間でも夢を見る。情緒不安定だ。睡眠不足で精神状態が、どないかなってしまうやもしれない。大して望まない。高望みはしない。ただ普通のことが普通に日々継続して行われれば良いだけだ。朝目覚め顔を洗い、飯を食う。朝の挨拶もするだろう。特別変わったものはなにも望まない。ただ普通の平凡なことだけが、日常の出来事として出来れば良い。日常の積み重ねで日々が送れば、これ以上の幸せはないであろう。次郎にとっては単なる日常の繰り返しのみが有意義なのだ。病気が病気だから、次郎の経過はどないなっていくやも知れぬ。自分では判断つかないし判らないし、神のみがご存知だろう。毎日が平穏無事に過ごせたら、それ以上のものはなにもいらない。壮絶な闘病なんて必要ない。でも最後は笑いながら終わりたい。

 わざわざ、ホームページを作り俺は何を発言しようとしてるのか。自分ながら良く判らない。自分自身がいま、この瞬間、呼吸をし、希薄な脳細胞はその機能を停止することなく、おぼろげながら働いている実感を表したかったのかも知れない。ただ単に、俺は元気でいるぞうと存在感を叫びたいだけだ。それ以外おおそれた気持ちはない。いままで、一体なにか俺の人生で有意義なことをしてきただろうか。無為徒食の連続でしかなかったのではないだろうか。なにも世間様のお役に立てず申し訳ない。いよいよ明日から入院治療。いかなる経過を辿ってもいたし方あるまい。今日はハルシオン(睡眠剤)を飲んで寝よう。何回も云うようだがこの拙文は後から続くであろう同病の人たちに指針を与えるものであってはならない。そんなおおそれた考えは毛頭ない。がもしお目に留まったなら笑ってやってください。馬鹿な奴もいたものだと、人生の反面教師として笑ってやってください。このページでは医学的内容、専門的知識は出来るだけ排除した。誰でもが理解できるように努めたつもりである。(5/11/03)

 ホルモン療法(総計)

カソデックス 2/6/03〜5/8/03 一日80mg服用
リュウプリン 3.75mg IM 4本(月一回)
術前PSA値(最低値)  0.261ng/ml

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前立腺癌治療体験 Part 2(手術そして術後)
Part 3(術後経過)
Part W(がん再発す)

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