次郎さん倒れる V V                                                                                 

  リハビリ(歩行訓練)


リハビリとはrehabilitationの略語である。1月18日(2008.12.30入院)ごろより半覚醒の状態でこの頃自室に戻してもらった。喉はからから口中唾もでなく喉頭部から咽頭部にかけて酷く痛み、すごい淡が止めどと無く大量にでてくる。まっ黄色な淡だ。でもマクラの上のモニターは酸素濃度で96%以上を示し、脈拍も90〜95位を指し示している。入院する前は何れも91〜94%、100〜110まで示していたので随分と改善したものだ。部屋に帰っても良く夢を見るようで、はっきりと自意識に戻ったのは23〜24日だった。この年になって3週間近く寝ていると足腰が立たなくなってしまうようだ。1月25日頃より、オシッコもベットで取らなくなってしまった。許しをえて、ベットの上で体を起こすことから始める。電動式ベットはその点随分と楽だった。でもまだ道尿のカテーテルが入っているので上半身を起こすだけだ。酸素吸入(カスク)が外れただけでも随分と楽になった。酸素はマスクがはずれ、鼻腔よりチューブに変わっただけで随分と楽になった。酸素濃度計も外れるようになった。上半身を起こすだけでも思ったより腕力が必要だ。でも1〜2日間でやり通した。喉頭部の痛みは痰は2回にわたる挿管麻酔のためで、なれない内科医師によって行われたようで、この時声門辺りに傷がついて、麻痺が残ったようだ。
でも医師たちの懸命なる処置のおかげで命だけは取り留めたようだ。何の不満も無い。

ベットを水平にしたまま座れるうにベットの柵にしがみつき、身体を起こすのは簡単のように見えてなかなか難しい。でも頑張った所為で2〜3日のうちに出来ろようになった。でも膀胱にはバルーンを入れたままでやはり具合が悪い。3週間以上続いていた点滴(留置カテーテル)が外され、いっぺんに元気が出てきた。トイレにも行ってよいと主治医の指示が出されたが、どっこい立ち上がることが出来ない。ベットの端まで身体を移動させ、それから足を下ろす練習をした。ベットに捉まりながら立ち上がる練習からトイレに行く練習と続けてしたが、5分もすれば息切れが起こり、なかなか大変だ。院内の共済組合の売店で介護用製品の一式を取り寄せ(カタログ)歩行器やら電動ベットまでいずれが良いか検討に入った。ベットからトイレまで約2m弱、壁を支えながら頑張って行った。でもカテーテルの口を解き排尿するだけであったが随分尿量が保持できるようになった。一回の尿量は多い時で600mlに達した。この間多量の痰は黄色か白色、透明に変わっていった。回数も随分と減少してきた。何回も何回も繰り返し行うことで我ながらスムーズに出来るようになった。心エコーやレントゲン撮影、心シンチのため外来を訪問する時は車椅子乗って行った。でもこの頃、真剣に退院後の生活について考えていた。退院後どれ(介護用品)を買うか真剣に考えていた。車椅子にも自力で乗り降り出来るようになり、先ず第一番に車椅子を購入の最初にリストアップしていた。歩行器も必要だろう。

やがて車椅子に自分ひとりで乗り降り出来るようになり、入院していた同じ階を何回も廻った。次に車椅子を持って立つ練習を始め、車椅子を押しながら歩き回った。やはり息切れがする。この頃便意を催しトイレで30分程頑張ったが出なかった。次の日もトイレで頑張ったがやはりでなかった。でも3日目位になって大きな奴がでよった。しかも長い奴が出よった。肛門は裂傷を起こし沢山の出血を認めた。約1時間以上奮闘努力した結果で、お腹はすっかり弛み、額から汗がダラダラ出て、トイレの中で30分以上座り込んでしまった。でも気持ちは良く、すっかり元気になってきたと思ったものだ。恐らく1ヶ月ぶりの大便だった。部屋に帰って3日目位にすっかり点滴が外された。一日1600kCの糖尿食だ。お茶は一日800mlも制限された。もう尿糖は出ないようだ。血糖値も100mg/dl以下にコントロールされてきたが食後2時間値で130mg/dl以上になれば有無を言わせずインスリンの注射だ。まあ2〜4単位だが割合痛い。血糖の検査も採血が痛い。糖尿病による腎障害があるらしい。明日からリハビリの先生が来てくれるという。若い女医さんがやってきた。色々の話を聞いて、実際に世話になる作業療法士(OT)の為に処方を書いてくれるらしい。作業療法士(OT)がやってきて腕力や脚力を見ながら両足と両腕をマッサージしてくれた。こんなに気持ちが良いと感じたことは生まれて初めての経験だった。リハビリの2日目には一人で廊下一周を歩く練習をした。片腕を支えながら廊下を歩いた。真直ぐに歩けない。斜交いになっていくようだ。腕を持ってもらいながらなんかいもよろけた。何回かよろけそうで転倒しそうになったがOTが横で支えてくれた。矢張り息切れがするようだが、なんとかやり通せた。3日目は昨日よりスムーズに歩けるようになった。しかも2週した。だんだんと体力も付いてきたようだ。何日目かの時階段を上る練習をした。まだまだ不十分だ。足が全く上がらない。くだりは何とかなるようだが上りは足が上がらない。それから自力で階段の昇降を励んだ。喉頭の麻痺も日にち薬だ言うようで経過を見ることになった(耳鼻咽喉科医師)。(次郎さん倒れるWに続く

恥ずかしながらリハビリにも色々の種類があることはちっとも知らなかった。多田富雄が解説なさっている(寡黙なる巨人)。2006年4月からの医療法改悪で萬腔より怒りの発言をなさっている。最近の厚労省や政府の立場はいかに医療費を安く上げるかにかかっている。医療費削減が大目的で国民皆保険制度なんてとっくの昔に事実上破錠をきたしている。世の中不合理がまかり通っているようだ。弱者切捨ての政策は今に始まったことではない。すべてのしわ寄せは弱者に向けられる。多田富雄の怒りはもっともな当然なことだ。

脳梗塞でリハビリ中の免疫学者多田富雄(「寡黙なる巨人」の著者)が、悲痛な叫びを上げておられる(雑誌世界(岩波書店)第 759号)。保険法の改悪(2006.4)によって泣いているのは弱者ばかりだと。リハビリ制限は、平和な社会の否定であると、この診療報酬制度改悪を指摘され、リハビリ医療が、一部の疾患を除き発症から最大180日に制限され医療の現場は混乱をきわめているというものだ。リハビリを始めて180日を経過すれば健康保険の適応が無くなるという保健法の改悪である。多田は不自由になった右手を使用せず左手の人差し指一本でこの原稿を一字一字執筆されている姿が目に浮かぶようである。この文章の中に、多田富雄の思いが凝縮しているのを感じ、自然に頭が下がる思いがした。

多田の記述によれば、逝去された故鶴見和子(上智大学名誉教授)のエピソードと彼女の短歌がプロローグとしてあった。鶴見和子の場合、11年前に脳出血で左半身マヒとなり、この間10年以上にわたってリハビリを続けてきたが、今年になり、二箇所の整形外科病院から、いままで月二回受けていたリハビリをまず一回に制限され、その後は打ち切りになると宣言された。医師からはこの措置は小泉純一郎の政策ですと告げられた。その後間もなくベッドから起き上がれなくなってしまい、2カ月のうちに、前からあった大腸癌が悪化し死亡に到った。多田は、この鶴見和子の死を直接の原因は癌であっても、リハビリ制限が死を早めたことは間違いないと記し、鶴見の次の短歌を紹介されている。

政人(まつりびと)いざ事問わん老人(おいびと)われ 生きぬく道のありやなしやと

生前、鶴見和子は、雑誌「環」(藤原書店 通巻26号)に、リハビリ制限の問題について、このように発言されているようだ。これは費用を倹約することが目的ではなくて、老人は早く死ね、というのが主目標なのではないだろうか。この老人医療改悪は、老人に対する死刑宣告のようなものだと考えている。今、日本の医療をめぐる問題は、実に深刻な状態だ。日本各地の大病院が大きな赤字を抱える中で、本当に必要な最低限の医療までが、効率という節減の名のもとに、一律にカットされつつある。当然、そのしわ寄せは、当事者である患者に重くのし掛かってくる。その鶴見和子のリハビリ環境が、国の医療制度の改悪によって、ガラリと変わってしまったのは事実だ。一般の市民にとってリハビリ制度というものは、自分やその家族が関わりを持たなければ、関心事とは成り得ない地味なものだがそこにたまたま、多田富雄という著名な人物が当事者として、このリハビリ制度の改悪に声をあげられたこともあって、この問題がマスコミやインターネットを通じ、世間の関心事となり、反対の署名活動が、大きなうねりとなった。その結果署名の数は短い期間にもかかわらず444022名に達したのである。

NHKの番組では国保と呼ばれる国民保険制度が、根底から崩れているというレポートがあった。日本はいざなぎ景気を越えるほどの好景気であると、政府は盛んに喧伝している。しかしそれは社会的弱者である高齢者やハンディを抱えた人々にとっては、まさに夢物語である。NHKのレポートの中では、国保の保険金が払えないために、国民保険証を取り上げられた人の数は、三十二万人に上るそうだ。この人たちは、寒空の中で、病気やリハビリの必要があるにもかかわらず病院にも通えない状況に置かれている。保険金未納者の家族の中に学童生徒がいると、この子どもたちも無保険者となるのである。生活保護制度もハードルがなかなか高いのである。とすれば、その人々の前には、残された選択肢は、死ぬ以外にはないのではないか。日本はこのところ自殺者の数が3万人を優に越える世界一の自殺大国だ。今後、現在のままリハビリが180日で打ち切りになったり、国民保険の適用が厳しく制限されるようなことがあれば、日本の自殺者の数は、更に世界に類例がないほどに膨らむ可能性がある。日本の皆保険制度は崩れ去ったのである。

これ等の問題を別件の事と思ってはならない。一方で大きな無駄金を湯水のように浪費し、一方では社会的弱者を金がないからと締め上げるやり方は悪政以外の何ものでもない。このまま政治家と厚労省の官僚とのもたれあいの中で、現行の制度が温存されるようなことがあっては断じてならない。もちろん医療費の無駄は徹底的に見直されなければならないことは確かだ。しかし今回の医療制度の改定は、情け容赦のない高齢者とハンディを持つ人々を切り捨てるような行為であってこれを黙視することは許されない。ともかく、リハビリ制度は、患者の立場に立てば、生き死にかかわる切実な問題なのである。もはや一刻の猶予もならない。何故なら、医療制度の改悪によって医療難民化した無数の人々が全国各地で声も上がられず病院のベッドで悲鳴をあげているからだ。この声なき声をすくい上げることのできないようであれば、誰だって、そもそも国庫に税金を払う気持ちすら起きないのではなかろうか。深刻な患者の生の声である。

巨星落つ 2010.4.21 多田富雄前立腺がんで死亡する

私は脳梗塞の後遺症で、重度の右半身麻痺に言語障害、嚥下障害などで物も満足には食べられない。もう4年になるが、リハビリを続けたお陰で、何とか左手だけでパソコンを打ち、人間らしい文筆生活を送っている。ところがこの3月末、突然医師から今回の診療報酬改定で、医療保険の対象としては一部の疾患を除いて障害者のリハビリが発症後180日を上限として、実施できなくなったと宣言された。私は当然リハビリを受けることができないことになる。私の場合は、もう急性期のように目立った回復は望めないが、それ以上機能低下を起こせば、動けなくなってしまう。昨年、別な病気で3週間ほどリハビリを休んだら、以前は50メートルは歩けたのに、立ち上がることすら厳しくなった。これ以上低下すれば、寝たきり老人になるほかない。その先はお定まりの衰弱死だ。私はリハビリを早期に再開したので、今も少しずつ運動機能は回復している。ところが、今回の改定である。私と同様に180日を過ぎた慢性期、維持期の患者でもリハビリに精を出している患者は少なくない。それ以上機能が低下しないように、不自由な体に鞭打って苦しい訓練に汗を流しているのだ。そういう人がリハビリを拒否されたら、すぐに廃人になることは、火を見るよりも明らかである。今回の改定は、「障害が180日で回復しなかったら死ね」というのも同じことである。実際の現場で、障害者の訓練をしている理学療法士の細井匠さんも「何人が命を落とすのか」と3月25日の本紙・声欄(東京本社版)に書いている。ある都立病院では、約8割の患者がリハビリを受けられなくなるという。リハビリ外来が崩壊する危機があるのだ。私はその病院で言語療法を受けている。こちらはもっと深刻だ。講音障害が運動まひより回復が遅いことは医師なら誰でも知っている。1年たってやっと少し声が出るようになる。もし180日で打ち切られれば一生はなせなくなってしまう。口蓋裂の子供などにはもっと残酷である。この子らを半年で放り出すのは、一生しゃべるなというようなものだ。言語障害のグループ指導などできなくなる。身体障害の維持は、寝たきり老人を防ぎ、医療費を抑制する目的とするなら逆行した措置である。それとも障害者の権利を削って医療費を稼ぐというなら、障害者のためのスペースを商業施設に流用した東横インよりも悪質である。何よりも、リハビリに対する考え方が間違っている。リハビリは単なる機能回復ではない。社会復帰を含めた、人間の尊厳の回復である。話すことも直立二足歩行も基本的人権に属する。それを奪う改定は、人間の尊厳を踏みにじることになる。そのことに気がついて欲しい。
日本における免疫学草創期から研究に携わり、1971年サプレッサー(抑制)T細胞の発見で世界的に知られる(その後サプレッサーT細胞の存在は否定された)。84年文化功労者。85〜88年日本免疫学会会長、95年国際免疫連合(IUIS)の会長に選出され、その後3年間同連合の国際的活動において指導的な役割を果たした。2010.5.10



メタボ症候群
次郎のメタボ体験

次郎さん倒れる 1
次郎さん倒れる 2
次郎さん倒れる 4
メタボで入院

《文中敬称略)


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