スウォッチ誕生物語


 ビニールに包まれた、一見平凡なリストウォッチ、色彩鮮やかで、ひと味もふた味もする、これがSWATCHなのだ。機械式時計からクッオーツへ、確かに時計の革命だった。なにもかもが味気ない世界となってしまったが、この無の世界に潤いをもたらしてくれたのがスウォッチでないだろうか?老いも若きも、男も女もスウォッチ、スウォッチ。みんなでスウォッチ革命を起こそう。みんなでスウォッチ天国をつくりましょう。

 1980年3月、スイスの最大のモーブメント・メーカーであるエタ社は、この時計の開発に着手した。当時のエタ社社長のアーンスト・トムケ自身が開発のリーダーとなり、1979年すでに開発されていた組立式廉価時計「デリリウム」を基礎に単純構造の時計の研究を始めた。1年の研究期間をえて、1981年3月に若い2人りのエンジニア、ジャック・ミュウラーとエルマー・モックが少数部品を使った単純構造のコンセプトを完成され、最初の試作品が完成された。

 秘密裏に進められた、この新しい時計開発プロジェクト名を「ノン・ウオッチ」と呼び、技術においても、デザインにおいても、そして  時計の持つアイデンティティにおいても、伝統をことごとく覆すことが主軸であった。やがて社内ではプロジェクト名を「ポピュラス」として、1981年7月には「スウォッチ」となっていった。

 まったく新しい時計を開発するということは、そのための製造機械の開発をも意味しており、小さなネジ一つにしても正確に組み込まなくてはならないし、しかもその作業が自動化するとなると、構造が単純化すればするほど精密な作業が要求される。

 素材の選択もひとつの鍵を握っていた。モデュール方式でケースに直接、ムーブメントを組み込む場合、防水性を確保するには、プラスチック・ケースに被せる風防ガラスの素材とその組み込み方が問題となる。結局フレキシ・ガラスを高周波溶接でケースに直接溶接する方法が取り入れられた。また、ケースの素材として高度や色の美しさを考慮して、またフレキシ・ガラスに対応できるものとしてABSプラスチックが選ばれた。さらに、時計であるかぎり、精度が大きな問題となるが、クオーツの精度は1秒と設定された。

 積年の問題点が次々と解決されるに従い、1981年10月にはデザインが決定され、よく1982年4月には120種類30万個のプロトタイプ・スウォッチがアメリカにむけてテストマーケティングのため送り込まれることになった。新しいものを積極的に受け入れる自由な気風があることがアメリカ市場を選択した理由であり、最終的には27種類のデザインが製品化されることになった。

 スウォッチは、発売当初からファションと同様春・夏コレクションと秋・冬コレクションの年2回、新製品を発表し、1つのモデルは1シーズンに限るという原則を打ち立てた。これは業界では革命的ともいえる戦略で、大量に生産されるにしても、ある特定のモデルを手に入れられるのは半年限りという限定性は、消費者の購買意欲を駆り立てるには十分な理由であり、スウォッチと言えばファッションと同じく、流行を追うべきものとなった。

 SSIH(オメガグループ)の傘下にあったモーブメント・メーカーであるエタ社によってつくられたスウオッチだったが、1985年1月SMHグループに属するスウォッチ社(SWATCH SA)が設立されるにおよび、スウォッチのアイデンティティが確立されることになる。日本市場には1985年から進出している。


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