平房再訪 (2004/6/30〜7/6)


 友人の故郷、長春(新京)を訪ねるツアー(JTB)にはいって、ハルビンまで足を伸ばしてきた。長春(新京)は緑が多く、整然と整備され、全く落ち着いた綺麗な街だった。さすが、森の都と呼ぶに相応しいところだった。旧満州時代の建物も、いまだそのまま利用され、沢山の街路樹、広大な敷地の樹木と上手くマッチしており、落ち着いた様相を呈していた。日本の仙台市とは友好都市で全く持って同じように緑多き整然とした街並みだった。

 ハルビンも変わった。前回訪問したのは、丁度4人組の紅衛兵の少年達によって打ち壊しに会った直後だったので、素晴らしいロシア教会なんてガラクタの瓦礫だったが、今回はきれいに整備され、それにもまして、勢いがあり、東京、大阪と何らヘンショク無く、着るもの、食べるものすべてが遜色なかった。飛行機の待ち時間があり、今回も平房を訪ねることが出来た。平房えの道は、昔の面影はまったくない。以前は地道を1時間以上噴煙を巻き上げ走ったような記憶があったが、道路は舗装整備され、ハルビンより30分強位で着けた。途中、大きな山のような牧草を積んだ馬車や大きな羊の群れも出会うことも無く、快適な走行のうちに、直ぐに着いた。今回は建物や諸々の731部隊の位置関係が一目瞭然、完全に理解できた。731関連施設は全て整理、整頓されていた。前回の第26中学は移転、元の731部隊の司令部は、戦争資料博物館として、再生利用されていた。真黄色い塗料が塗られいた中学校舎はレンガ肌の古色を付けられ、いかにもそれらしい雰囲気を醸し出していた。前回は、発電所跡のお化け煙突を探すのも苦労したが、今回は辺りの建物やレンガの塀等を取り払い、きれいに整地されており、同一の構内にあり、位置関係は一目瞭然だった。

 1931.9.18の黒竜江の涙が落ちたといわれる、世界を震撼させた、張作霖を爆死させた柳條湖事件以来、日本関東軍の大陸進出、ことに石井中将に率いられた、731部隊が隠密裏の内に、ここ平房に展開された、人類の敵化学兵器の人道を無視した開発の現場に立ち、改めて平和の幸せを享受できる。平和は良い、何時までも続いてほしいものだ。若い頃、Y先生から直接教えを乞うた。先生は、物質の能動輸送に関する世界的な学者として有名な方だった。戦後も十数年たち、世の中落ち着きを取り戻してきた頃、Y先生は、凍瘡や火傷について、今までの常識といわれるものと、全く正反対な意見を提唱、それが今日では世界のスタンダードとして、新しい火傷の治療法が確立された。Y先生は戦時中、佐官として731部隊に従軍、生理部隊の部隊長として、責任者の一人として各種実験を指導してこられたらしい。先生のこうした業績は、まさか、この時代の生体実験の結果ではないだろうが、どう解釈すべきか。現場でY班の凍瘡研究室の残骸を見るとき、Y先生とは無関係であってほしいものと願ってやまない。また、この頃日本の若き秀才達(14〜16歳)約200人が集められ、この地で4年間で一高・東大卒の学問・研究者の素養・実力をつけるということで、特別教育がなされた。この少年達(現在生存なら70才の後半から80才代)の消息を知りたい。7/7/04

 大連はもともと新しい街だ。せいぜい120年の歴史しかない。清朝以前はタダの漁村でロシアに無理やりにか割譲させられすぐに日露戦争で日本の関東州になってしまったから日本統治時代の遺物は貴重だ。これを無くすと大連では見るべきもがなくなってしまうので古い民家はどんどん壊しているが中国人にとっては忌まわしいものかも知れないが、いくつかの建築物などは一生懸命残しているようだ。旅順も程よく整備され、観光地としての売り出し中のようであった。軍事施設とかあまり難しいことは言わないようになってきていた。前回来た時はスイスホテルに泊まって、夜の街を散策したが、今回はバタンキュー(ヒルトン)。天天漁港5号店(日本人経営のチェーン店)で海鮮料理を頂いたが、味付けも日本人向き、安くて美味かった。

 大連のスイスホテルに隣接する、旧ダイエー経営のマイカルスーパーは、その経営権等日中の習慣や考え方の違いから、色々問題含みだったようだが、日本人のウエットな考え方に対して、中国人は全くドライ、今後も世界に進出していく以上、もっとドライに割り切って行かねばなるまい。でも、日本人のそのウエットさが、また歓迎されてもいるようだ。大蓮マイカルの社長(知人の知人)は日本人で日本に帰国中に、臨時取締役会で罷免されたそうだ。ここの地下売り場のお茶屋さんで「一葉茶」を沢山しいれた。なるほどオイシイわい。雲南のお茶らしいがほど苦く、なるほど、これならお腹に具合よいようだ。まさに良薬口に苦しだ。疲労回復にもよいのでは。今度上海に行く(10/10/04)ときは大量に仕入れなければなるまい。ウーロン茶もjジャスミン茶も美味しい。

 今回同伴の友人N君は新京生まれだという。終戦後引き上げて帰ってきたというが、彼のオヤジさんは又変わった履歴の持ち主だ。知人を頼り、満州にやってきたが、その知人というのが軍のエライサンだった。N君の言によれば、どうも、関東軍の軍属で、裏の仕事に携わっておられたようだ。愛新覚羅溥儀のボーイをしていたという。関東軍のスパイだったのだ。勿論溥儀の全ての行動は逐一軍の情報部に報告されたようだ。詳細はべつの機会に書きたい。

 作家の森村誠一氏が平房を訪れたのは1982年(9月15日〜30日)なので、われわれが訪ねていった時より後だと言う。ぼくは、死の器を内容を見て、もう何回も平房を訪れて取材しておられたものと思っていた。資料の提供はあったのだろうが、やはり作家は想像力が旺盛、一般人とは違うようだ。見もしないでこれだけの文章が書けるのだ。

更新中


参照

 日中戦争時の1941年伝染病予防と水質浄化を目的として発足した。 日本が植民地として建国した満州国(現在の中国東北部、他)で旧日本軍によりハルビンに配備され、主にペスト菌・コレラ菌・炭疽菌鼻疽菌・中毒性病原菌などの微生物が持つ性質や毒性により人間を重篤状態に至らしめる目的の生物兵器、人体に有害な化学物質で皮膚や呼吸器を経由して重篤状態に至らしめる糜爛(びらん)性や腐食性のある有毒ガスを用いた化学兵器の製造に携わっていたとされる特殊部隊である。終戦後に中国が行なった調査では研究過程で旧日本軍への敵対行為をはたらいたとして捕らえたれた多くの中国人・旧満州国民、捕虜として拘束されたロシア人・アメリカ人等をマルタ(丸太)と呼び、人体実験・生体実験に供したとされているが、戦後731部隊に関わる情報の多くが隠蔽・廃棄されておりその実態について詳細は明らかになっていない。犠牲者数は、一説には3,000人以上と推定されている。

部隊内における各種実験によって得られた医学資料は部隊関係者の戦争犯罪の免除と交換に連合国のうちの米軍へ渡されたとしており、主だった関係者は戦後に医療機関・薬剤製造企業・大学等の教育機関に就職・雇用されている。また、現在も中国に731部隊の残した毒ガス弾が相当数埋まっていると言われている。中国人民軍へ終戦時に武器・弾薬等々が全て接収されているため、埋めた張本人は中国人民軍の可能性の方が高いという説もある。なお、これに対して証拠が極めて少ない点や、中国などで公開されている731部隊とされる写真の多くは医学的に不可解な行為をしているなどの点から、合成写真であって信憑性が薄いのではないかなどの懐疑的見解も示されている。細菌部隊と呼ばれるものは731部隊以外に100, 1644, 1855, 9420, 8604 の番号付けされたものが存在した。毒ガス・細菌兵器等の開発・使用は条約で当時禁止されたが、部隊長の石井四郎は「禁止されるほど効果があるのか」と、逆に目を付けてしまう。その後、化学兵器や細菌兵器が資源を持たぬ日本にとって有用であるとし軍部に働きかけ、731部隊が生まれる結果となった。


731元少年隊の証


 細菌戦部隊を支えた主な人物戦後の就職先

安東洪次(大連衛生研究所→武田薬品顧問)/石川太刀雄丸(731郡隊→金沢大医学部)/江島真平(731部隊→国立予防研究所〔予研〕)緒方富雄(防疫研究所〔防研〕→東大医学部)/岡本耕造(731部隊→兵庫医大・東北大等)/小川透(1644部隊→名古屋大医学部)/笠原四郎(731部隊→北里研究所)/春日仲善(731部隊→北里研究所)/北野政次(731部隊→ミドリ十字取蹄役)/木村廉(防研→京大細菌学教室)/草味正夫(731部隊→昭和薬科大)/小島三郎(1644部隊→予研第2代所長)/児玉鴻(731部隊→予研初代所長)/正路倫之助(防研→京大)/園口忠男(731部隊→陸上自衛隊衛生病学校、熊本大)/田中英雄(731部隊→大阪市立大医学部長)/田部井和(731部隊→京大医学部)/所安夫(731部隊→東大病理学、帝京大医学部)/内藤良一(防研→ミドリ十字会長)/中黒秀外之(731部隊→陸上自衛隊衛生学校校長)/細谷省吾(防研→東大伝染病研究所長)/増田美保(731部隊→防衛大学)/湊正男(731部隊→京大)/村田良介(防研→予研第7代所長)/八木沢行正(731部隊→抗生物質協会)/山口一季(731部隊→国立衛生試験所)/吉村寿人(731部隊→京大航空医学教室、京都府立医大)/柳沢謙(防研→予研第5代所長)(厚労省資料より)


731部隊に現金供与 米、細菌兵器開発を優先

 【ワシントン14日共同】第2次大戦中に中国で細菌による人体実験を行った旧関東軍防疫給水部(731部隊)の関係者に対し、連合国軍総司令部(GHQ)が終戦2年後の1947年、実験データをはじめとする情報提供の見返りに現金を渡すなどの秘密資金工作を展開していたことが14日、米公文書から明らかになった。総額は、国家公務員(大卒)の初任給ベースで比較すると、現在の価値で2000万円以上に達する。
 人体実験で3000人ともいわれる犠牲者を出した同部隊をめぐっては、GHQが終戦直後に戦犯訴追の免責を約束したことが分かっているが、米国が積極的に働き掛ける形で資金工作を実施していた事実が判明したのは初めて。文書は、米国が731部隊の重大な戦争犯罪を認識していたにもかかわらず、細菌兵器の開発を最優先した実態を記している。 (共同通信) 2005年 8月14日


旅の栞

6/30/04     13.10 CZ612  瀋陽
           14.40        着
                      新世界万胎酒店
7/1/04                 市内観光
7/2/04      08.00 N111
           11.40       長春(新京)着
                      名門飯店
7/3/04      11.49 K129   長春
           13.45        ハルビン着
                      ハルビン香格里拉大飯店
7/4/04      15.25 CZ3604
           16.45       大連着
                      HiltonDailian
7/5/04                 旅順観光
7/6/08      09.00 CZ641
           12.20        関空着

旧日本軍の731部隊細菌戦の遺跡が世界遺産に申請へ(2010.5.15)


黒龍江(こくりゅうこう)省・ハルピン市は、ハルピン市郊外にある「侵華日軍第七三一部隊罪証陳列館(731部隊の罪状資料館)」を世界遺産に登録申請する作業を進めている。専門家らが起草した「侵華日軍第731部隊遺跡保護と利用計画」がすでに審議を通過し、省発展・改革委員会(発改委)によるが批准作業が進められている。18日付で中国新聞社が伝えた。
731部隊は1933年、関東軍防疫給水部本部としてハルピン市近郊に設立され、石井四郎軍医中将を中心に、さまざまな生体実験を行ったとされている。陳列館の世界遺産登録申請作業は、96年から進められていた。2000年には、かつての部隊所在地にあった民家120戸と企業11社を移転させて、現場の発掘調査が行われた。陳列館の王鵬・館長は、「02年12月には中国都市計画設計研究院の専門家らが遺跡の保護に関する計画を立て、その後も改善が進んでいる」と説明している。計画では、731部隊跡を世界戦争遺跡公園として再建し、面積は現在の3倍に拡張されるという。
第二次世界大戦の遺跡としては、1979年にポーランドのアウシュビッツ強制収容所が、1996年には原爆ドームが世界遺産に登録されている。ハルピン市社会科学院731研究所の金成民・所長は、「731部隊の遺跡は、第二次世界大戦の三大遺跡の1つであり、日本軍国主義が細菌戦で人類を壊滅させようとした証拠だ」として、世界遺産への登録申請を主張している。


細菌生体実験被験者3千人の名簿が確認される

 旧日本軍細菌戦研究の権威・金成民氏がこのほど、最新の関連史料が見つかったことを明らかにした。この史料は、中国に侵略した日本軍「731」部隊が、1939年から1945年の間に、ハルビン平房区にある同部隊の本部で、3千人以上の中国人を対象に細菌の生体実験を行った際の実験記録。これによって、生体実験によって命を落とした3千人の情報が確認された。「新晩報」が伝えた。
731部隊は、敗戦で撤退する時に、自分達の犯した罪の証拠隠滅のため、平房区の本部基地を徹底的に破壊した。中国に侵略した日本軍の最高機密部隊である731部隊は、中国で生体を利用して細菌実験を行った。この犯罪に関する多くの証拠資料はすでに廃棄された。「731部隊罪証陳列館」の館長を生前務めた故・韓暁氏などの研究者が数十年にわたり、某大な量の日本語のオリジナル資料やその他の関係資料を調査し、大量の完全なままの資料や断片資料を続々と発見した。この中には、日本語で書かれた731部隊による生体実験の資料も含まれていた。専門家は、長年にわたる研究の結果、細菌生体実験の被害者3千人の名簿が事実に相違ないことを確認した。これは、731部隊が犯した非道極まりない犯罪を暴く、最も直接的な証拠となった。専門家によると、数多くの資料や証言から、731部隊による生体実験の対象となったのは、中国人、モンゴル人、旧ソ連人、朝鮮人、オランダ人、英国人だったことが判明したという。今回確認された3千人は、731部隊が平房細菌基地で行った細菌生体実験の被験者に限られる。資料には、姓名、別名、原籍、出生地のほか、年齢、職業、住所、教育レベルなど詳細内容も記載されており、一部の被験者については、写真も残されていた。
被験者3千人の名簿は、「731部隊罪証陳列館」で一般公開される予定という。「人民網日本語版」2010年5月14日


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