イタリア物語
長靴のチョウカのようだと表現されるイタリア、いつからこのイタリアの歴史が始まるのだろうか。国としての体裁は、古いヨーロッパの歴史の中では最も新しく、1870年のイタリア王国による法王領の併合ではないだろうか。以来法王庁とイタリア王国は1929年まで和解することなかった。ヨーロッパでは最も新しい国の誕生であり、1922年のムッソリーニによるファッシズムの誕生まで、独立した一国の体裁をなしていなかった。ムッソリーニによる第2時世界大戦敗戦後も、確固たる一枚岩のイタリア共和国の出現は認められない。こののち、イタリアはいつの時代でも安定した国家というものはなく、人民は全て混乱の中で暮らすのが常態と考えており、混乱の中で暮らしをたてる術を心得ていきてきた。根っからの混乱の歴史を体験し、くぐり抜けてきたイタリア人を、陽気に笑ったり、しゃっべったり、歌っているうわべだけを見て、単純な奴と即断していてはいけない。百戦錬磨の苦労人で複雑なヒューマニストであるに違いない。
古代ローマの建国はBC753年位と言われており、ヨーロッパの中では最も古い。しかし今日のイタリアと直接つながるものはなにも見られない。民族的に洞察しても、繁栄のローマに、たむろしたいろいろの人種の混血が進んでいったもので、純粋のローマ人なんてとっくの昔に滅亡していったに違いない。日本古来の人種も、純粋かどうか怪しいもので、地続きのヨーロッパでは、日本のような島国以上に混血が進んだに違いない。
ルネッサンスのフィレンツェはこの地の一都市であるばかりでなく、一国でもあった。ヴェネツィア、ナポリ、ミラノもしかり、同様一国であり、他にもローマ法王の強力な権力も見られた。まったくイタリアは都市国家の集合体であるにすぎない。お互い相いれない闘争の中で芸術は熟し、育っていくのだが土地を支配する為政者は全国を統一するほどの力量はなく、スペイン、フランスに占領された纏まりのない連邦都市国家の様相を呈してきた。ギリシャやルネッサンスについは、いまさら述べる必要はない。ただいまでも、15〜15世紀のルネサンスの古典的調和にたいし、17世紀の動的なバロック文化、これらの遺産がローマはじめイタリアのいずこでも楽しませてくれる。ウイーン、プラハ、ドレスデンに波及していったバロックが、とくにドレスデンのそれは戦傷により壊滅したのに比べ、イタリアは参戦と同時に全土の美術館、博物館を閉鎖、美術品の保護政策を採った。しかも、耐え難きを耐え、一戦を交えることなく都市を開城した。イタリアの遺跡、美術品はどれも素晴らしい。歴史の勉強とともに、文化財の保護に走った先人を想いを浮かべたい。
ゴンドラの浮かぶ運河、打ち寄せる波にゆらゆらとゆれ、悠久の時を刻む。またゴンドラの漕ぐおっちゃんの服装がかっこよい、エキゾチックだ。でも乗る前に料金をはっきりとり決めておこう。ここはイタリアなんですよ。ヴェネツィアは狭い島国、道路も狭い。どの道も両手を広げればいっぱいいっぱい、石畳だけが歴史を物語っている。早朝散策にでれば、廊下(露地)の真ん中に糞がみられた。しかもあちこち数カ所にも。これらは犬や獣のものでは決してなかった。明らかに人糞だった。どんなところにも変わった御人がおられるものだ。感心する。運河は汚い、道も汚い、市場も汚い。でも屋台のフルーツは新鮮そうで美味しそうだった。サンマルコ広場、島全体が低地なので当然ながら1日2回の満潮時には海水が逆流してくる。ひどいときは広場は水深1m以上にも達する。マンホールから吹き上げる水はきれいそうだが勿論汚水も混じり大変なことだ。現在版ベニスの糞尿譚である。