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神話の周辺(ネボ山)

 モーセ終焉の土地ネボ山(標高710メートル)はほんとに風光明媚である。ここピスガの頂(ネボ山)からは死海の全景は勿論、ヨルダン川、イスラエル側の西岸世界最古の町エリコならびにエルサレムの町まで手のとるように眼下に見ることができる。モーセは、この頂、ラス・エ・シャーガ(ピスガ)から、約束の地カナン(死海西岸地区)を眺めながら、その波瀾万丈の生涯を閉じることになる。かって、エジプトを脱出してきたモーセ一行は、ここからマモブ領内の通過を求めて交渉したが、王バラクは星占者バラムの指導のもと、領土の通過を拒否、イスラエルを滅ぼそうとした。しかしバラムに、主の聖霊が宿り、逆にイスラエルを祝福してしまうことになる。奇跡を持って紅海の水を分け、砂漠を40年の長きあいだ放浪してきたモーセ達には、西岸地区は文字どおり、約束の地カナン、理想のユートピアに映ったに違いない。モーセは神の啓示で、自身はカナンの地に入ることが出来なかったが、この地に入る次の世代を励ましながら120才の生涯を終えることになる(旧約聖書:出エジプト記・明数記・申命記)。またこの頂にはモーセのための礼拝堂が建てられ、当時のもの思われるモザイク画や洗礼盤が発見されている。こののどかで、穏やかな、平和な景色に見入っているとき、第2時大戦後、数次にわたって行われた争いごとが虚実のように思えてならない。いつまでも現在の平和な状態が続くよう願わずにはいられない。(ネボ山は標高710メートルと小高い山になっているが、実際はヨルダン渓谷はマイナス400メートルあり、その落差が1100メートルに達する。)

 時代が下がって、新訳聖書マタイ伝にでてくる、あのイエスに洗礼を施したバプテスマのヨハネが首をはねられたのも、此の近くのマケラスであり、これはオスカー・ワイルドの戯曲「サロメ」にも書かれ、たいへん有名である。

ペトラ遺跡

ペトラの町の歴史は世界で最も古く紀元前7000年に遡ることが出来る。最初に出てきたのはエドム人で、エジプトから出てきたイスラエルの民(モーセ)とのやりとりが旧約(民数)に詳しく書かれている。次にやってきたナパテヤ人は隊商貿易で大いに富を蓄積、ギリシャの影響をうけて、その文化は発展することになる。幾つかの変遷をえて、ローマ時代になってもナパテヤ王国は強大な勢力を持続していたが、やがてユダヤのヘロデ大王によって滅びていくことになる。紀元前106年ここがローマの支配するところになると、列柱通りや劇場、浴場が新たに建設されて、ナパテヤの墳墓文化にローマ的要素が加わりペトラの文化が完成されていくが、パルミラの隆盛と共にペトラは衰退していくことになった。現在の遺跡は紀元前六世紀から紀元前一世紀にかけてのものであり、1000メートルを越す岩山に囲まれ、文字どおり巨岩の遺跡である。

 シークとは高さ数百メートルの岩山が水の浸食作用で削られ、峡谷の底に出来た道で、切り立った崖の間は狭く、絶壁の底の、両側の岩の廊下の間を進む。確かに上を見れば紺碧の青空を望まれ、洞窟でないことは理解できる。岩肌は綺麗な積層岩でライムストーンであるらしいが、差し込んでくる日光によって七色の色彩を放っている。これが延々2.5キロメートルにわたって続く。このシークはペトラ遺跡に通づるただ一つの道で、そのため攻めるのは難く、守るに易い天然の要塞であった。道路脇には古代都市に送られた直径40〜50センチの水路が岩壁の脇に、延々と造られ、当時のままのこされていた。

 シークの途中、直径数百メートル位の広場になって視野は広がったところが、かの有名なエル・カズネ(宝物殿)である。不意に眼前に姿を現し、太陽に光をうけて錦のような輝きを見せている。日陰は砂岩の落ちついた褐色を示すが、それでも積層岩の縞模様がなんともいえない落ち着いた美しい壁紙模様を呈している。高さ40メートルにもおよぶ巨大な建物、ピンクに輝く岩を砕き、彫刻された玄関はなんとも例えようがない。カメラの望遠レンズの世界が、一瞬に広角の世界に変化したのだ。
二層に見られる建物は上下各々六本の大きな太いコリント風列柱で構成され、二階の中央上部は太陽を表す大きな彫刻された円盤で、その上には水瓶が置かれている。いかにも砂漠の民ナバテヤらしく、「太陽と水」の思想に支えられていたことが良く理解できる。このほか女神イシス、アマゾネス像、馬に乗るアッシリアの死神、力の象徴である鷲やライオンの彫刻、あるいはワイングラスや生け贄の血を受ける皿で装飾されたこの神秘的な建築物はなにを意味するのだろうか?エル・カズネの用途は、不思議な思考の世界にいざなってくれる。

 アウターシークを出てくると視界は開けて、積層岩が一つの絵画を示すようになり、遺跡はローマ劇場、王の墳墓群、宮殿墳墓、凱旋門、列柱通り、カスル・エ・ビントと続く。墳墓のひとつに白、青、赤、ピンク、緑と鮮やかな七色の層にわかれた粘土層の洞窟が見られる。黒は鉄、茶は銅、青はコバルト、黄は硫黄、白は石灰の色であるという。貴石で孔雀石ちいうのがあるが丁度あの貴石の色数が多く、それを拡大したものと考えると良い。自然の成せる業とはいえ、どうしてこんな立派な縞模様の砂岩が形成されるのだろうか?

 エド・ディルはさらにワディ・エド・ディルの急峻な坂道と階段を登っていくことやく一時間で到着する。この山頂の巨大なエド・ディルでは、いろんな儀式や祭事が行われたことでろうし、修道院として利用されていたという説もある。ここからのペトラの町の眺めもまたすばらしいものだった。

岩山と赤い砂漠ワディ・ラム

 ヨルダンの最高峰、1754メートルのジュベル・ラムなど立ち並ぶ岩山、真っ赤な砂漠。砂はほんとに真っ赤だった。理解し難いが、赤は鉄によるものでなく銅によるものだという。アラビアのローレンスの舞台となったこの砂漠は、古代より砂漠の民、隊商の通路となり、岩壁にはいろいろの絵画や文字が記載されており.岩山の間には、雨水をためて造られた水瓶など、古いものでは5000年の星霜を得てなお現存している。ほんとに不思議な光景であった。


死海
エルカズネは宝物殿ではなかった



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