北京・上海今昔物語(30年前と現在との比較)


 高速道路が縦横無尽に走っている。ホテルの高層ビルは林立し、あか抜けた都会の様相を呈している。街の風貌ははっきりと変わってしまった。30年前には、こんな高速道路は何処を探しても見つからなかったし、高層ビルなんて町中捜しても見つからなかった。第一、車ことに乗用車なんてあまり見かけなかったし、道路は自転車であふれていた。信号機もない道路を、数台の自動車がクラクションを最大限鳴らしながら、わがもの顔に走っていた。まず車優先、第二は自転車優先だった。歩行者は後回し、自分で注意するしかなかったのである。ところが、高速道路ができ、主要道路には信号機がつけられるようになってから、歩行者優先(言葉だけで実際はそうでない)と叫ばれるようになってきたが、中国の人たちは大変機敏であまり人身事故を見かけないのが不思議だ。でも車同士、あるいは車と単車の接触事故は町中至る所で、しょっちゅう見かけられる。いったん事故でも起これば双方の運転手、ああだ、こうだとののしりあい、一日中際限のない言い争いになる。事故にまつわるケンカはいまや中国の華である。ここ10年ぐらいで中国の道路事情は一変し、昔二輪車渋滞、今自動車渋滞となってしまった。自動車の増加は加速度的で、なにぶんにも人口密度が違いすぎる。上海の人口は公称1300万人であるが、実数2000万人を遥かに越しているに違いない。加えて経済開放、資本主義経済の導入され、豊かになった市民農民が、豊かさのシンボル自家用車を買いに走ったが、なにぶんにも此の無限の人口では、街が変わるほど道路網は発達したが、焼け石に水、永遠につきない渋滞となってしまった。

 30年前には、表通りより、一歩裏側にはいると、道は真っ暗闇、辺り一帯の真闇の世界だ。一般の家庭には電気が配線されていなかった。勿論大都市での話で、まれに電灯線が来ていても夜は停電だった。人のいる気配はするが、暗闇では判然とわからない。道路の街灯はあるにはあるが、経済の電力の節約のため数本に一本しか点灯されず薄暗かった。此の数少ない各街灯の下には数人の人だかりがする。何事かと近寄ってみると、英語、日本語の勉強に精出している学生たちだった。家庭には明かりがなかったので街灯の明かりを求めてやってきていたのである。二宮尊徳さんのような、彼らの向学心には頭が下がる。しかし、最近ではこうした学生たちは全く見かけられない。わざわざ、街路まで出かけなくても家庭で、自分の部屋で読書に耽ることができるのである。電力、住宅事情はすっかり一変してしまった。

 悠久の動き、太極拳もすっかりかわちゃった。太極拳の動き、リズムが変わったのではない。早朝いづれの公園にも見られた太極拳、大政翼賛会のリーダーのように1人のリーダーのもと大勢グループをなして整然と行われていたのが、少し事情がかわってきた。ラジカセの伴奏のもと、ダンスが流行してきた。早朝何処の公園でもみられた、太極拳がダンスにとって変わられた。音の割れた、ボリューム一杯の忙しないリズムが時の流れに一致しているのだ。中国はもう昔の中国ではなくなった。

 トイレ事情も変わったもののひとつである。中国のトイレは汚い。しかし田舎へ行けばまだまだの感もしないではないが、情勢は一変した。人口1000万人を越える大都市で水洗便所がないなんて信じられない。ところが現実だったのである。あの近代的な北京の街中で、近代的ホテルでさえ、前後左右隔壁のあるトイレは全く見いだせなかった(ただ一カ所北京飯店だけが例外)。街中の何処のホテルでも、コエタンゴにある臭い臭いやつで、希にみられる水洗式であっても前扉なしと言う状態であった。現在では状況一変都会のホテルでのトイレは100%改善された。密室となって、綺麗になってしまった。ホテル以外の街中は未だしであるが、ずいぶんと改善されてきたのには間違いない。

 民豊かになって人心を失う。意味は異なるが、市場経済の導入で懐具合の豊かになった中国、共産党独裁のタガが緩んで人心も荒んできた。蝿や蚊のいなかった中国、こそ泥ちゃんも復活してきた。最近ではこそ泥どころか、殺人もやらかす。大変に物騒だ。豊かになって面の皮が厚くなってきたのか。

 表向きは共産党の支配することになっているが、実質はとっくに資本主義経済にどっぷりと漬かってしっまっている。高級官僚の堕落、腐敗が進み、いまや中間階層が没落の傾向にある。農民の満元戸なんて可愛いモンだ。富の遍在は確実に、悪い悪い方に進んでいる。中国は広い、広すぎる、貧困層を包含しながら、内陸部と湾岸諸都市との軋轢、格差、どのように解決していくのだろうか。力で押さえ込むようなことはもうできる状態でないことだけは確かである。(1997)


 上海今昔(2004/10/9〜11)

 経済の発展の目覚しい中国、中でも上海の発展には驚異に値するようだ。最近では外資の導入も巧くいき沿岸都市周辺には、沢山の工場等が誘致された。あまり、工場ができすぎ電力の供給がおっつかなくなってしまった。大都市の周辺でも停電することが多いらしい。工場も停電であまり稼動しないようだ。隔日に稼動すれば良いほうだという。安い賃金でしこたま儲けようとした日本企業も工場の電力不足の停電で操業休止で当てが外れたようだ。中国側にすれば安い平価で外資の導入がしやすい状態だ。為替管理の問題で米中戦争も起きそうな気配だ。中国人は日本人ほどウエットではない。マイカルの社長は休暇で日本に帰省中、首を切られ失職したそうだ。いろんな込み入った事情もあったようだが、簡単にドライに割り切るほうが国際的だろう。情と仁術だけでは世界には通用しないだろう。ツテ社会の中国でも、中国人は先を見る目があるようだ。親方が倒れれば子会社も倒れる。当然のことだ。

 上海では数年前よりペットを飼うことが徐々に流行になってきている。これは、昔のように決して食用ではない(田舎ではまだまだ食用として犬・猫等が飼育されている)。日本では爬虫類や危険な猛禽類などが数百万円で個人取引されるなど「珍獣」にまで関心が移っているようだが上海ではオーソドックスなワンちゃんに人気が集中している。但し日本と異なり当地で犬を飼うには少々面倒な手続きが必要になる。まず市内では保健所に行き地区により年間千元から2千元を支払い登録書を発行して貰わなければ事実上飼うことが出来ない。この登録書、犬と飼い主のカラー写真と名前入りで微笑ましい代物なのだが年間2千元と言えば外資系企業の大卒初任給に相当する金額であり、無届けで飼っていたりする例もあるが発見されると大変なことになってしまう。ただ中国は世界的にも狂犬病流行地であるのでこうした厳正な管理も必要なのだろう。なお犬は上海でもペットショップ(市場ではない)で買われることが多いのだが決して安くはない。住宅が密集し散歩しにくい状況からポメラニアンなどの小型犬が多いが一方でラブラドールや懐かしいシベリアンハスキーなどの大型犬もいて日本の住宅地のような中型犬が見あたらない。価格は5千元から2万元と日本とほぼ同じである。またシャンプー1回100元程度、ドッグフードは日本製が多く日本の郊外ホームセンターの約2倍、その他、虫除けや身だしなみ用品は物によって3倍近くと飼うためのコストも当地の平均的収入からすると半端な金額ではない。それでも飼いたがるのは、全てではないがファッションというか装飾品の一部と化しているからだろう。ただドッグイヤーとはいえ幼少犬から飼い始めると普通に10〜15年の付き合いになる。そのうち犬のレンタル業が流行るのではないかと考えているが如何だろう。

 中国はもともとギャンブルが盛んな国だ。国民性もあるだろう。街中の路地裏でトランプで賭け事をやっておられる。愛玩品市場ではコオロギ、無数のコオロギが売られている。これらは日本のシャモと同様戦わしてお金を賭けるのである。一匹3元位から数千元位まであるようだ。もちろん、チャンピオンになるようなツワモノを手に入れることができれば、それこそ一攫千金の夢も、あながち真夢となることだろう。日本のコオロギの数倍でっかい奴で、随分強そうぬ見える。でもこの勝負のあと鍋にすることはできないだろう。

(2004/10)


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