パゴダの国・ミヤンマー紀行
ヤンゴンを飛び立った飛行機は、約1時間後機首をエイヤワーデイ川(1)に向かって急に高度をさげてきた。機窓よりみていると、無数のパゴダが見えだしたのでバガン(2)がちかずいていると思っていたが、エイヤワーデイ川の中州に向かって急降下、着陸姿勢をとるかのようにみえたが、ここで180度急回旋した飛行機は左岸のバガン・ニアウンウ空港にそのまま着陸した。
ミヤンマーはパゴダの国と言われている。事実国内、ありとあらゆるところに多数の立派なパゴダ・寺院がみられる。ヤンゴンのような大都市、田舎の畑の中、未開拓の原野には必ずみることができ、その数、5万とも、あるいはそれ以上ともいわれている。大きなものから小さいものまで、バガンのパゴダはこの約25平方キロの狭い区域に集中して約2000個以上あると言われているが、果たして実際はどのくらいか?正確な数字はわからないそうである。
この起伏のない黄土の原野に雨後の竹の子のように、ニョキニョキ、赤・白・黒と色とりどりはえている。たしかに空中より見たときはそのように感じた。しかし視線を地上におくと、生えているというようなものではなく、未来都市か、怪獣の世界が突然地中より湧き出てきたかのようなものである。小さいように見えたパゴダも近ずいてみると意外に大きく、タケノコどころか巨大なビルが林立しているようにさえ思われる。事実パゴダに登ってみると、階段は急峻を極め、その勾配は7〜80度に達するものがある。
この時期、ここミヤンマーは暑期の終わり頃にあたり、もう何カ月ものの間雨が降っていないのだが、日中の気温は連日40℃をはるかに超え50度℃にも達する。ただただ暑い。こんな暑さがこの世にあったのかとさえ思われる。この猛烈な暑さのため日中の行動はまず不可能だ。しかし湿度が低いせいか、汗はかいてもすぐに乾き、この恐怖の階段を登ればエイヤワーデイ川からの冷風がむしろ爽やかで、日陰では心地よい。
落陽見学のため訪れたミンガダラーパゴダ(写真1)からのパノラマはすばらしく、れいの急峻な階段にへばりつきながら、おっかなびっくり2層、3層のテラスにでれば、はるかにエイヤワーデイ川を望み、アーナンダ寺院、シェエグージー寺院、ゴードーパリイン寺院、ダマヤンジー寺院、テイーロミインロー寺院等無数のグランドスペクトラルの360度展望(写真2)が開ける。高く広がった永遠の空を、パゴダにかかった雲がゆっくりと、しだいに広がってゆく。ここパガン王朝の栄えたこの地に集中して存在するのは理解できるが、あまりにも数多く、その数の確認は不可能だ。
真っ赤な落陽、真っ赤な大空、真っ赤な大地、真っ赤なパゴダ、世の中すべてが赤一色に変身する(写真3)。それも次の瞬間には全く暗黒のベールに包まれてしまう。しかも街灯なんてものはもちろんあるわけなく、村の集落はみられるが電気がきていないので、それこそ真の暗闇だ。鼻先三寸なんにも見えない真っ暗闇とはこのことを言うのであろう。パガンの幻影とは、赤と黒のこのシルエット、この瞬間の変化を表現しているのだと理解したがどうだろうか?離れがたい興奮に包まれてしまう。
これらのパゴダはすべて9〜12世紀に建立されたもので、そのひとつひとつに面白い伝説と歴史(写真4、5、6、7)が染みついている。パガン王朝、最後の王ナラテイハパテエによって建立されたこのミンガラーは三層構造の台座の上に釣り鐘状の塔が立っており、その均整のとれた姿からパガンのパゴダ中最高傑作の一つだ。彼はこのパゴダ建設中に”もしこのパゴダが完成したら、そのとき王朝は滅び、王は死んでしまうだろう”という流言が起こり、心配のあまり、そのためパゴダ建設を中断した。しかし予言者が現れて、”パゴダを完成さしても大丈夫だ。むしろパゴダを完成させることにより、王朝は滅びることなく永久に続き、王は永遠の命をえることが出来るだろう。”と予言した。王はこの予言を信じ、七年間の工事中断の後、パゴダを完成させることになったが、完成後まもなくして、元あるいはシャン族によって滅ぼされたのである。予言者あるいは魔法使いといい、なんとシェクスピアの出典をみるようなロマンのある話ではないか。しかし予言よりもむしろ多数のパゴダ、寺院の建設に多大のエネルギーを費やしてしまい、王朝は疲弊して活力を失っていったのが現実であろう。パゴダの三層構造については、地上界、天上界、仏陀の世界を表しているという。仏陀は最高の世界であって一年中花が咲き乱れ、すべてから解放され、何の苦もない極楽の世界であるという。
朝3時過ぎに眼を覚ました。今朝はご来光見学にミンガラーパゴダにいく予定だが、なにがなんでも朝三時では早すぎる。しかし旅にでると夜が早いせいかいつも朝早く眼を覚ましてしまう。仕方なしに夜中の三時過ぎパゴダの散在する原野にでかけてみた。薄明かりというのか、靄のかかった赤い原野に、それこそニョキニョキとパゴダが林立している。昨日昼間見た風景とはまた違う。北欧やアラスカの白夜とも違う。何故このように明るいのか、考えながら約1時間ぶらぶらして、ホテルに帰ろうとして振り返って見てびっくりした。一瞬大きな太陽がでているのかと錯覚したほど大きな真っ白な満月の月が、いままさにホテルの屋根越しのエイヤワーデイ川に沈もうとしているのだ。これはまさにバガンの幻想だ。パゴダの真っ黒なシルエットをバックに真っ白な満月、豊かなエイヤワーデイの流れ、ホテルの陰影、これらの調和された絵画はまさに怪獣の世界のものだ。この絵画は現物を直接見たものにだけゆるされる幻想の世界なのだ。澄み切った透明感のある凍てついた月明かりではなく、なんだかボヤーとした白霧の中のできごとなのだ。豊かなエーヤワデイ川からの水蒸気のなせるわざか?遠くがかすんでいるわけでなく、わりあい視界がきいているのに霞んでいるのである。ほんとに不思議な現象だ。きのうはきずかなっかたが、このホテル・テイリピイツサヤーはエーヤワデイ川の左岸で川辺に接し、雄大な川面に大きなテラスをはりだし、絶好の好位置にある。
今年の今日5月1日は、ここミヤンマーではお釈迦様の誕生日で満月だ。今日一日ミヤンマーではどこのパゴダ・寺院でもお祭りがもたれる。早起きも三文の徳とはよく言われたもので、偶然の一致でこの世のものとも思われない風景に接することができたのはほんとに幸運だった。
私には、パゴダと寺院との違いは解らない。仏教学的には難しい定義があるのだろうが、塔のような形態をしているのがパゴダであり、外側に塀のような壁で囲まれているのが寺院のようであると理解しているが?パゴダにはお釈迦様の遺体の一部、例えば数本の髪の毛、あるいは歯・骨等が祭られており、寺院には多数の仏像が安置されている。仏像も11世紀位までの古いものは、ほとんどインドより入ってきたもので、ミヤンマー古来のものかどうかは仏像の手の形態等で容易に区別できる。
パゴダあるいは寺院内はハダシ(裸足)である。敬虔な仏教徒であるミヤンマー人は礼儀正しく、仏教施設内では素足と決まっている。しかし強烈な日光で焼かれた寺院内大理石の通路は60〜80℃にも達するので、暑さのあまり素足をそのまま降ろすことが出来ず、飛びはねダンスをしながら走っているのは外人観光客と遠くからでもすぐにわかる。ミヤンマー人の足の裏の組織はいったいどないなっているのだろうか?
寺院内やパゴダ内はチリ一つ見当たらない。みやげ物を売っている屋台の並んでいる参道なんか、どこでも塵なんか落ちているもんだ。しかしミヤンマーでは全くそれが見られない。寺院近辺だけでなく、今回の旅で訪れたヤンゴン、バガン、マンダレー、ペグーの町中のどの道筋にも、ゴミやチリ一つ見当たらなかった。東南アジアでもっとも美しい国と言われているシンガポールでもこんなことはなかった。シンガポールでは、たしかにゴミやチリは少なかったが、ゼロということはなかった。シンガポールの各サーカスあたりは、あまり綺麗といえないし、ネズミも走っていたのを思い出す。シンガポールではタバコのポイ捨てや痰や唾を道端に吐くと、そく高額の罰金だと言う。ここミヤンマーではこんな話は聞かない。ガイドに問いただしてみると、専任の掃除人を政府が雇用しているからだというが、清掃人もみかけなかったし、市中は言うに及ばず、郊外でも同様であることを考えれば誰もチリのポイ捨てをしないのだ。ミヤンマーは非常に民意がたかいのだ。シンガポールは緑が多く街全体が公園だと表現されるが、ここミヤンマーのようなことはなかった。ヤンゴンの街中は割合緑も多く、田舎のバガンも原野の緑に覆われていたが、それにもまして、いずれもゴミやチリのたぐいのものはいっさい、まったくみあたらない。街中の美しさ、清潔さといったら東南アジア随一、いや世界一かもしれない。
ミヤンマーの人たちは礼儀正しくいつも微笑んでいる。外人観光客と目線を会わすと必ず微笑みが返ってくる。子どもたちは恥ずかしいのか、微笑みながら仲間同士肩を寄せ会っている。微笑んでいるばかりでなく、視線がおだやかなのだ。ミヤンマーは昔のビルマ(BURMA)時代から、イギリスの植民地としてインドに併合されたり、第二次世界大戦中はインパールをめざした日本軍との日英戦線の戦場ともなったのに。このように多大の迷惑をかけた日本人にたいする答えは心からの微笑みだけである。
ミヤンマーは東南アジア随一の高い識字率を誇っている。小学校も中学・高校・大学とすべて義務教育ではない。勿論学費は非常に安価だが、義務教育でないのに小学校の就学率はほぼ100%近い(都市部)とのことである。中学・高校へとそれぞれ半減されていくようだが、大学へも約10%ちかく進学しているようだ。
ミヤンマーの家庭には仏壇がない。祖先を尊び、尊敬し自分の神様を敬い大切にするが、死者の霊を祭り、仏壇を祭る習慣はない。しかし家を守護する神である金箔の仏像(神棚)を南東の柱に飾り、ココヤシの実と果汁を供えている。この神はナツ神と呼ばれ、心配事や災厄から家庭を守ってくれる。またこの神棚の前にはかならず素焼きの水瓶がおかれ、いつも新しい水を蓄えられている。水瓶には季節の花を飾り、菩提樹の瓶、水、花といってたいへん大切にしている。ミヤンマーでは樹木ことに菩提樹は精霊が宿る木として大切にして信仰の対象として崇拝されている。日中50度にも達する、このような想像を絶する暑気のため、生活も信仰も、”熱と冷”がすての根元になっているように思われる。仏壇がないのだから、火葬された灰や骨は田畑にまいたり、川にながされるのは当然のことで、自分が死んだら財産はすべて寺院に寄進する。立派なパゴダ・寺院が、いくたびかの大地震等の災害からよく修復され保存されているのはこうした故であろう。サマセット・モームが「魂の暗闇に突然差す希望」と表現した敬虔な宗教心が、優しさや素朴な国民性をはぐくんでいるのであろうか。この国への旅はいつも心なごむ気分にしてくれる。
ミヤンマーでは”コオンはクスリがわり、茶がわり”と昔からいわれていた。ミヤンマー人は、僧侶であれ俗人であれすべてコオンを好む。街中いたるところにコオンを販売する屋台がでている。屋台と言えばおおげさかもしれない。レストランの前、バス停付近、街角どこでもコオンの販売台を見かけることが出来る。ほんの数十センチ四方の箱の上に肉桂、タバコの葉、石灰、キンマの実、いろんな香料等十数種類の具を並べ、傍らにはバケツに水をいれキンマの葉をしたしている。このキンマの葉にこれらの具を好みに合わせて包み込むのだが、これを咬むと強烈な刺激としびれが起こる。唾液は真っ赤に変色し、強い刺激のため、舌は収斂を起こし、感覚が麻痺する。その後に口の中に清涼感が走る。暑さの厳しいミヤンマーではコオンを噛んだあとの清涼感は断ちがたいし、それにもましてコオンにはいろいろの薬用価値があるといわれている。コオンを噛むと歯が丈夫になり、虫歯予防によいし、口臭をけし、適当な利尿作用があり、心臓の動悸を押さえ強心作用を発揮し、発汗を促進させ、精神を安定させ、寄生虫の駆除にもなり、胃腸の働きを整えると言われている。すなわち良いことだらけで万病のクスリである、噛みタバコなのだ。6個1〜2チヤツト(中身の具によって値段が違う)で、1個はすぐそのまま渡してくれ、残り5個はキンマの葉に包んでくれる。巻きタバコより安価であり、これだけ普及しているのを見るときミヤンマー人からコオンを取り去ることは不可能だろう。
日本の外交政策は、戦後一貫してアメリカと同一歩調が採られ、それに追従してきた。わたしの記憶に間違いなければアメリカ政府と異なる外交政策はいままで見られなかった。対中国政策でも、多少の差異が生じてもうまくすり合わせ、ほぼ同じ立場を守ってきた。ところが対ミヤンマー政策は、アメリカは云うにおよばず、ほぼ全世界の諸国が”北風”政策をとるなか日本はただ一人”太陽”政策を採用した。この政策が好かったのか、どうかは歴史が解答することになるが自主外交大いに結構だ。ただ近隣で問題になっていることでも、総てでこうあってほしい。旅行直後の5月20日頃からミヤンマー情勢がにぎやかに報ぜられ、あわただしさがましてきた。7年前の総選挙の結果、民主連盟が圧勝したのに軍事政権側は政権の委譲をしなかったのがそもそもの事件の発端なのだ。それが7年間におよぶアウン・サン・スウー・チー女史の自宅軟禁事件となり、1995年7月の軟禁解放後の今年5月26日、スウー・チー女史率いる全国民主連盟(NLD)による議員総会開催を阻止しようとして、軍事政権の国家法秩序回復評議会(SLORC)が態度を硬化させてきた。NLDが総選挙で全議席の80%以上の392議席を獲得したにも関わらず、軍事政権はSLORCを組織して政権を委譲しなかったのである。SLORCは、その善悪は解らないが、何事についてもすることが荒っぽい。勿論汚職のはびこる社会を一掃する必要もあるだろうし、麻薬がらみの貨幣ロンダリングの防止の必要性もあるだろうが、ある日突然高額紙幣を無効にされては善良なる市民はたまったものではない。392人のほぼ全員の議員を予防拘引し軟禁するのは、どうみても激しすぎる。スウー・チー女史は京都大学にも留学された親日家であるし、女史の父上故アウン・サン将軍(日本名・面田紋次)はビルマ独立の父として、国民から広く深く尊敬されているし、軍事政権側のネ・ウィン将軍もたいへん親日家である。女史の身辺も心配だが、ミヤンマーはいったいどこに流れ着くのだろうか?
ミヤンマー入国と同時に気付く”地上と地下のすべての破壊分子に注意せよ”という政府(軍事政権)のおおきな真っ赤な立て看板、政府のプロパガンダの意味するところはなになんだろうか?
第七話 国際観光年
ミヤンマーは今年(1996年)の秋から、国際観光年と称して観光客を積極的に誘致するらしい。今年中には関空より直行便が就航することになっている。まことに結構な話だ。しかし、悠久の観光資源を有しながら、いわゆるグレイゾーンもかなりの区域で見られ、軍事政権にとって、観光客の安全確保がまず第一の急務だろう。
黄金に輝くパゴダの国・ミヤンマー、内戦のつづくミヤンマー、闇経済の中でのみ生きるミヤンマー、これらは皆同じミヤンマーなのだ。こんななかで決して笑顔の絶やさない人々、敬虔な仏教徒で礼儀正しい人々、信じられない暑さ、日照りと洪水と貧しさの中で、なおやさしい瞳をした人々、自らの民族と伝統の美しさを信じてゆるぎなく暮らす人々、そんな人々の国がミヤンマーなのだ。(H8.記)
写真1 原野に広がる幻想的なパゴダ群:赤、黒、白、緑のハーモニイが美しい。パゴダの数は多すぎて数え切れない。
写真2 ミンガラパゴダからのパノラマ:小さく見えるパゴダも近ずいて見ると意外に大きい。
写真3 タビイニュ寺院の落陽:アーナンダ寺院よりの眺望。赤と黒のツウトンカラーも、次の瞬間暗黒の世界に変身する。
写真4 タビイニュ寺院:高さ70メートルに達する。中には大きな仏像があったし、まるでゴシック建築を思わせる。
写真5 アーナンダ寺院:パガンの中で、一番均整がとれて美しい姿といわれている。4体の大きな仏像が四方に向いて安置されている。1971年の大地震による被害もほぼ修復されている。
写真6 ダマヤンジー寺院:王室内の権力闘争により父の王や兄を暗殺し、ナウラトウは王位を手中にするが、評判悪く自身も暗殺され工事も中断し、 再建する者もなく、あれ放題、堂内はスサマジイ感をうける。地元で は悪霊がでるとの噂である。
写真7 スラマニパゴダ:王ナラパチシチュはツイウン山の登山の帰途、大きな美しいルビーを発見し、その大地の恵みに感謝して作ったと言われている。
(写真はPAGAN(ART AND ARCHTECTURE OF OLD BURUMA):PAU・STRACHAN:KISCADALE・BURMAより)
補記:
1 エーヤワデイ川とはイラワジ川のこと
2 第二次大戦時このあたりまで従軍した人から,PaganでなくVaganであると指摘をうけた。しかしインターネットのYAHOO等の検索を利用してみてもVaganでは一件の文献も見あたらなかった。大多数はBaganで、少数ながらPaganも見られた。素人である小生の考えでは、9〜12世紀のパゴダ時代はPagan、近代になってからはBaganと表現されているように思う。ここでは古い時代について話すときはパガン、近代に関してはバガンと統一した。
追記
1 ミヤンマーに関する旅行案内記を探したがあまり適当なものが見当たらなかった。しかし便利なものが出来た。インターネットだ。ミヤンマーを検索すれば出てくる出てくる、いくらでもでてくる。無数にでてくる。
2 インターネットの中で,JAICAのホームページを開くと、ミヤンマーに関して、入国の仕方から荷物の送り方、現地での生活指導、雇用する人たちに関すること、国内旅行の方法まで微にいって、細にわたり説明されている。在外公館に勤務するもの、あるいは現地会社に勤務するものたちに対するガイダンスである。海外勤務するときは十二分の注意と配慮が必要であることには間違いない。しかし私はこのレポートを読んでどうも割り切れない。まるでミヤンマーは、泥棒か犯罪者の巣のような印象を受ける。このような理解しかできないのは、わたしの考え方が偏向しているからだろうか?短期間の旅行のつたない経験で恐縮だが、私はミヤンマー人は少なくてとも、日本人よりは礼儀をわきまえ、民意が高いと思う。チリ一つない街の清潔さだけでも証明されている。
3 為替レートは軍事政権により1US$が5、37チャットの固定相場と決められている。だが実勢1$=130KYATSといわれている(インターネット)。すなわち闇レートは正規の20数倍している。旅行者は300$は正規のレイトで交換しなければならないが、街中すべて、国営商店・企業を含めて闇KYATSで通用する。モヒンガー(中華ラーメンの一種)は日本円10〜20円位、食料品はびっくりするほど安かった。
4 男女ともロンジーなる巻きスカートを着用する。シルク製の最高級品を購入したが日本円約280円だった。人々はこのやわらかい衣・ロンジーを纏って素足で軽やかに歩いている。ロングの巻きスカートだが和服より行動的で歩きよい。なにぶんにも280円なのだからどこに座ろうが、寝転がろうが平気だ。ビルマ翡翠やルビーの良質のものは見当たらない。ルビーに似た赤いトパーズ系の石(PINENNPHEL?)だろうか、あるいは青いサファイヤーだろうか、ここでは1個2個と買うのではなく、手の掌いっぱいで幾らと買うものであると、このとき初めて知った。
5 ミヤンマーの治安はすこぶる良い。夜中の一人歩きもすべてOKだった。ただ旅行禁止区域(グレイゾーン)は別の話である。サイカと呼ばれるリンタクが普及している。馬車もある。一日中乗り回しても数百円(日本円)、気軽に利用できる。
6 ミヤンマーでの金の消費量は年間数トンに達する。国の経済規模から見ると多大すぎる。勿論装身具にも使用されるが、80%以上は金箔として仏像に張られる。貧しい生活の中、宗教的慣習だけはいつまでも守られている。
7 日本政府は人道的性格を持つ援助(無償)として、ヤンゴン看護大学拡充計画に16億5千万円を拠出した。国際社会が軍事政権に圧力を強めるなか、日本・ASEANの建設的関与政策が十分機能していなし、太陽路線に暗雲が立ちこめてきた。
8 6月に入り、米国はASEAN諸国に特使ブラウンを派遣した。日本はじめASEAN諸国はミヤンマーのASEAN地域フォーラム(ARF)への加入を決めており、建設的関与を継続ないしは加速させる構えだ。米国世論は北風政策を支援し、議会筋も強固論が少なくない。クリントンは大統領選のさなか、国内世論とアジアの世論の両ばさみで、難しい選択に苦慮している(日経新聞H8.6.16)。
H8.6.20の新聞報道によればスウ・チー女史の逮捕状が用意されたというロイター電が載っている。しかし日本政府の問い合わせに対する軍事政権からの返事ではそういう事実はないとのことである。旅行記を纏めるつもりが、いつのまにかミヤンマーの政治情勢の現況報告に変わってしまった。いつまでたってもエンドレスなのでここらで筆をおくとしよう。
平成8年6月記
参考文献 myanmar(TheGoldenLand)
TheLandofPagoda
freeburma
pagan
イラワジ川とバガン