天山南路紀行(シルクロード)



【カシュガル】
 「新疆(しんきょう)に行かなければ中国の大きさはわからず、カシュガルに行かなければ新疆に行ったことにはならな い」と謳われているカシュガルは、日本の面積の4倍強と広大な中国新疆ウイグル自治区の中で最も新疆らしいオアシス都市だ。人口130万人にも達するといわれ、このほとんどを少数民族のウイグル族が占めるという。
 シルクロードは東西に走る天山山脈の北側の「天山北 路」と南側の「天山南路」に分かれる。カシュガルは天山南路の中央アジアへの入り口に位置し、また昆倫北路、中パ公路としても交通の要衝で、前漢時代(紀元前206〜8年)に「疏 勒(そろく)国」として史書に登場する。
 長い交易の歴史を持つ町の名物はバザールで市中心部にあるイスラムのエイティガール寺院の周囲には、日用雑貨、衣類、靴、帽子屋など雑多な露店 が軒を連ね、シシカバブを焼く香りが立ち込める。平日でも寺院に礼拝するウイグル族でにぎわい、アザーンの呼びかけがこだまする。伝統的バザールに加え、92年には市の東北部に「中央・西アジア国際貿易市場」と銘打った大規模バザールがオープンした。広さ30万平方メート ルに及ぶ広大なもので、店舗数約4千を越し、この地方で最大のバザールで、パキスタンなど海外からも買い物客が来るようである。バザールで売られている民族衣装を作るための布地、色はあざやかで、その模様は日本の矢絣に似ていた。
 カシュガルがイスラム圏に入るのは一帯を支配したカラカン王朝の都城と なった10世紀初めで、エイティガール寺院とともにイスラム文化を象徴する 霊廟(れいびよう)「香妃墓」は観光名所となっている。
 改革・開放時代の今、カシュガルは従来の農業・牧畜業に加え、観光や国境貿易による経済振興を目指している。5か国と国境を接するだけに、海外からの観光客が昨年約5万人と国内観光客の倍以上に上る。この地からは、北京上海に飛ぶより、西欧に飛ぶ方が数分の一の時間で行けるようだ。そんなに西に位置しているのである。
 日本からは年間約5千人が訪れ、パキスタンに次ぎ2位である。市では日本の旅行社への売り込みを強化しており、カシュガル観光公司は「今、近隣各省とシルクロード展示会を企画中だ。これで日本人観光客を大幅に増やしたい」と、かつてのシルクロード復興に期待を込めている。

【コルラ】
 ローランに行く分技点である。ここからいよいよタクマラカンに入ることになる。

【クチャ】
 クチャは、仏教東漸と縁が深い。五胡十六国時代の五世紀初頭、仏典を漢訳した高僧・鳩摩羅什の出身地であり、七世紀には、西遊記で知られる唐の玄奘三蔵が、天竺(インド)への旅の途上に立ち寄っている。イスラムの地となった今でも、山麓の水辺には多くの仏教遺跡が点在する。またクチャは天山南路の交通の要衝にあり、市街地より十数キロ離れたスパシ(キジ)古城址は天山の麓、風景のきれいところにある。土地の人の説明によると昔ここ昭怙厘寺には大きな、高さ5Mをこす大仏さんがあったがドイツの探検隊がやってきて首から上をきりとって持ち帰ったという。つづいてやってきた日本人大谷探検隊は、めぼしいものはもうなにも残っていなかったので、この首のない大仏をそっくりそのまま持ち帰ったとのことである。小生も大仏趾でこうべをたれながら小さな陶片一個を旅の記念にと持ち帰った。数千年昔の陶片である。

葡萄の美酒、夜光杯
飲まんと欲すれば、琵琶、馬上に催す
酔うて沙場に臥すも君笑うことなかれ
古来征戦、幾人が回る(王翰の「涼州詩」)

【キジル千仏洞】
 キジル千仏洞は、さらにクチャから離れること約60kmで、ムザト河の北岸に東西2kmにわたってあった(クムトラ千仏洞はキジルの手前十数キロ)。キジル千仏洞は、今にも崩れ落ちそうな崖の側面に236窟が確認されているという。洞窟にはいるには、細い長い極度に揺れる梯子を登り、危なっかしい土手のガラバをはいずりまわらなければならなっかたが、いまは立派な階段もできているようだ。敦煌莫高窟についでシルクロードに咲いた仏教美術の名花である。ただ、塑像はイスラム教徒によって破壊され、顔を削り取られた涅槃仏など少数しかないし、かつドイツのル・コックやわが国、大谷探検隊によっても荒らされ、めぼしいものは、もうなにもないが、その八窟の天井には伎芸飛天が抱える五弦の琵琶が残されているのが確認される。わが国正倉院の螺鈿紫檀五弦琵琶と全く同じ形をしている。
 すなわち、わがくに、正倉院に伝わる楽器に、螺鈿紫檀五弦琵琶があるが、槽、つまり琵琶の裏側に螺鈿の意匠があり、材は殆ど紫檀で作られている。正倉院御物の西域伝来の楽器のなかでも白眉の逸品であり、通常琵琶は頚が曲がっているが、この五弦の琵琶は頚は真っ直ぐで、四弦に比べてやや小ぶりである。五弦琵琶は唐時代には亀玄玄(きじ)琵琶とも言われていた。

第一第二の弦は索索
秋風松を払い手踈韻落つ
第三第四の弦は冷冷
夜鶴 子を憶いて籠中に鳴く
第五の弦声は最も掩抑す
隴水凍咽して流れ得ず
五弦並び奏す 君 試みに聴け
凄凄 切切 復た錚錚(白楽天)

 崩れ落ちそうな洞窟の内部は、青い星座図を思わせる仏教世界だ。まったく深い青―色 、鉱物顔料ながら、おそらく砂漠とは最も縁遠い色が支配する四面の壁、天井に、如来、菩薩、飛天、釈迦仏の前世の物語に登場する動物たちが、交響楽団のようにびっしりと配置されている。破壊された窟にわずかに残る壁画の断片も美しい。ガンダーラ美術を思わせる西洋系の顔立ちの仏が多くみられ、漢化された敦煌と違い、ここは東西文化融合の特色がはっきり出ている。遠い遠い過去の世界が広がる石窟を出ると、まばゆい砂漠の現実の世界に戻る。そこもまた、遠い昔と同じ顔をしている。

【アクス】
 ここからホータンの飛ぶ予定だったがホータンではコレラが流行しているとの情報で行けなかった。アクスから陸路直接カシュガルに入ることになった。でも以前にもアクスからホータンに飛ぶ予定がやはり同じコレラの流行とかで中止になったが、これは口実で、この時代ホータンを見せたくない他の理由があったのかもしれない。

【砂漠の味覚】
 砂漠での、ハミ瓜は大きく、甘く、冷たく、安かった(約15〜50角/Kg)。二つに割り、豪快に顔を突っ込んで食べた。食べ残しはそこら当たりにそのまま放置しておいたが、風が吹いてまき散らされ、やがて羊達が来て綺麗に掃除してくれると言う。丁度このとき、ホータンでコレラが発生して、この地にはいることが禁止処置がとられていた。ホータン河で大きな緑の玉石を見つけようと張り切っていたのに残念だった。

【旅の経路】上海-西安-ウルムチ-トルファン-コルラ-クチャ-アクス-カシュガル-ウルムチ-北京


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