ヒンズーの神とアンコールの王の間隙


天界の宮殿、ビバーダの微笑む神の館(結界の文化)

 すべての民族は、土着的な信仰や呪術を持っている。そして、そこから神話が生まれ、さらに大地の上に聖なる特定の場所を定めて、天上から神々の降臨する事を希うているようだ。聖域とは天と地のエネルギーが合体する場所でもある。人々は聖域を中心に生活を営み、その風土から生まれた民族独自の文化を育み、聖域から生まれた文化の表現には、聖なるもののメッセージが込められている。聖なる文化に身を置いて、人々の心は浄化され、安らぎを得るようだ。これらの聖域を定めるために、人々は結界というものを考えた。聖なる空間を形作るためには、その周囲に必ず結界の文化が存在する(仏教における曼陀羅の存在)。アンコールの文化もまたしかりである。

 アンコール王朝の各寺院や神殿には幾千にもの僧侶とともに千人にも達するアプサラ(舞女)が住んでいた。これら歌舞音曲は、王にとって神との接点を求めるに必要な小道具であったに違いない。ビバーダ(女神)の永遠の頬笑み、アプサラの天国の踊りと音楽に幾重にも取り囲まれ、天上の楽園への回廊、そこは、神と王との接点であった。アンコールの神は王を通してのみ、人々と交渉を持ちえたのである。ワットは確かに神と人間としての王との、ただ一つの交誼の場所であった。

 世界の宗教でさえ、神と人間(民衆)との直接の接点はない。キリスト教では、ただ人間は神の一人子キリストを通してのみ神と出会うことが出来るのだ。イスラムでも神格(権)を得た王を通してのみ人民は神と通ずることが出来た。イスラムでは、神はアッラーのみであり、マホメット等も予言者であるに過ぎない。ユダヤ教においてもダビデの王を神との間においた。

ナーガ伝説と蛇の女神(説話)

 アンコールの王達は、天と地の間で神と互いの意志を交感するために、そしてその権力の誇示するため、壮大な寺院群を建設した。そして、神がいつでも降臨できるように、崇高な楽園を作った。それらがアンコール遺跡群だった。
 王は、アンコールワットの金塔の下に住み、毎夜、九つの首を持つ蛇神(ナーガ)の化身と交わり、そこには決して妃さえ入れなかった。その時の王は、何の野心もなく、家族への思いもみじんもなく、ただ美しい女になった蛇神によって犯され続けた。
 やがて、女蛇は喜悦の声をあげ、満足そうに去っていくとはじめて、王は妃や後宮と交接できた。そして、妃という人間のふくよかな肉体を通して神の子を宿した。しかし神になれる期間は限られていた。また数日後、お告げがあって夜が来れば王は蛇神と交わり、その洗礼を受けねばならなかった。もし、それを拒めば、ヒンドウーの神々の怒りにふれ、国が滅ぼされると信じられていた。王の役目はただひとつ、この蛇(女)神を満足さすことのみであった。
 こうして神となった王は、はじめて人々の苦しみを救うことが出来た。この世で、何が大事で何が不要かがよく見えた。王が神であれば、その国に住む民すべて神の子である。臣民達はたとえ生活が苦しかっても、心は豊かである。

 アンコール王朝の時代がカンボジアを含むアジアの各地の他の時代と全く異なるのは、王が神と接するがゆえに、毎日、口を渦潮のように濯ぎ、心を叩くように洗っていたからに他ならない。口を驕らせてはいけない。心が汚れていてはいけない。王は何時も神と共にいた。王が神格を持ちえたこそ、絶対的権力を保ちえたし、水の支配によって、人民民衆からも、畏敬の念を持って迎え入れられた。

 ある時、王が森に妃と散歩に出かけた。すると悪魔がやってきて、妃を奪おうとした。王は悪魔と戦った。そのとき、妃は自分の懐にあった懐剣を悪魔に渡した。王は驚いた。激しい戦いの末、王はようやく勝利を得、悪魔は森の奥え逃げていってしまった。王はその時、妃の怯える顔を見た。邪心がはっきりと顔にでていた。王は、妃を殺さず、猿にその姿を変えてしまった。いまでも、カンボジアのジャングルの森の上空が夕焼けに染まるとき、戦いの血潮を思い出し、夫を裏切った自分えの激しい後悔からか、キキッ、キキッと鳴く猿がいるという。

 王が神になれたのだから、僕だって神になれるやも知れぬ。少なくとも神に出会うことぐらい出来るだろう。アンコールに落ちる雷に打たれ、河の水が心からきれいに見えるとき、西バライの湖がワットを映すとき、ビバーダの瞳に吸い込まれるとき、溢れんばかりの涙で頬を濡らすとき、きっと神と出会うことが出来るであろう。
 また行きたい。あのブノンバケンの山に、妃の猿がいるという森に。堪らない郷愁を呼び起こす。ほんとにカンボジアはロマンと感動を呼び起こす旅なのだ。

注 アンコール遺跡群ではバイヨンだけが仏教寺院で、あとの遺跡は全てヒンズー教の寺院だと言われている。歴代の王は伝承をえて、神の使いとなって水を支配(水の神ナーガを支配する)することによって人民を支配していったようだ。それにしてもアンコールワットを造営したと言われるスーリアバルマン2世の絶大な権力に驚嘆せざるをえない。スーリアバルマン2世の勢力は現在のタイにも及び、ピマーイやバノム・ルンにその跡を窺い知ることできる。あれほど隆盛を誇ったアンコール王朝も、あいつぐ寺院の建設で経済は破錠し、あまつさえ、寺院の建設に伴う潅漑事業の失敗によって滅び行く運命であった。


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