ルアン・パバーンとワット・シェントーン
托鉢(パバーンの朝)
パバーンとは黄金の仏像を意味するらしい。ルアンは偉大なると言う意味だからして、さしずめパバーンとは「偉大な仏様の町」というぐらいのものだ。
まだ夜が明けきらないうちから、女達は家の前を掃除していた。日本の竹箒木と全く同じものを使っている。日本ではお寺か、神社でしか見られないような代物である。パバーンの一日はこの女達の掃除より始まると言って差し支えない。
朝4時頃ルアン・パバーンのホテルの近くの寺院から突然ドラムやタイコの大きな音が響いて寺の一日が始まった。霧が立ち込める中、裸足の僧たちが一列に縦隊を組んで、あちこちの寺か現れ、ルアン・パバーンの街角を練り歩いて行く。僧衣は鮮やかなオレンジ色で、夜明けの靄に揺れるその袈裟が、仏像に灯された灯明のようにゆらゆらと揺れているようで、だんだんと、ゆっくりと、こちらに向かって大きくなってくる。静寂そのものだ。一言も声を発しない。道ばたではパービアン(肩掛け)を肩に掛けた女たちが、炊き立てのもち米を手にひざまずき、恭しく捧げては丁寧に合掌する。僧は何も言わずにそれを受け取り、鉢を胸に抱えたまましずしずと歩いていく。前から順番に喜捨を受けていく。おそらく先頭は一番の長老であり、最後尾は見習いの小坊主に違いない。
この小さな町には80もの寺院があり、信仰の厚い人々が多いそうで、社会主義国になっても人々の信仰は衰えなかったという。革命政府は仏教を敵視し、僧侶の托鉢を禁止したこともあったが、民衆の強い反対に合いすぐに禁止を解いたそうである。今では積極的に仏教と積極的に協調する姿勢に変わっている。街中がいっときの冷気に包まれる早朝のひととき、毎日毎日、永遠に繰りかえされるこの厳かな儀式は、民族や宗教を越えて見るものを魅了してしまう。
仏教の宗派は小乗仏教で、ラオスでは8〜9割の人々が小乗仏教の信者であるといわれている。この小乗の特色は出家者と在家者の生活形態が全く異なることで、出家者は生産活動を全く行わない。あえていうなら、寺院の清掃ぐらいだ。僧侶はすべて在家者の寄進喜捨によって生活していまる。このところが社会主義の理念と合わなかったのだと思われるが、しかし、政府高官の多くも仏教徒である。これだけ土着しているのをみれば、この国から仏教を消し去ることは永遠に出来ないだろう。小乗仏教の建物は黄色を基調とした装飾で大変カラフルで、タイやビルマのお寺によく似ていた。
早朝の女たちの掃除は、僧を迎えるための準備だったのだ。一日の始まりを、新しい、厳かな気持ちで、感謝をもってする毎日の儀礼だったのだ。