プラハの春(続編)
機会があって、プラハを再訪した。今年はどこも異常気象で此処プラハも土地の人の言うには7月の終わりだというのに9月末から10月の気象だという。小雨交じりで肌寒い。最高気温は16℃位だそうだ。連日30〜34℃を越す真夏のハンガリーからオーストリアをえてチェコえやってきたので、余計に寒いようだ。でも観光するには丁度良い加減だった。
これも例の通り。聖ビート教会の巨大なカテドラルの大きさには何度見てもドキモをぬかれる思いがした。僕にはパリのノートルダム寺院を凌ぐように思えた。タダ残念なことに正面は半分工事中だったので全景が見られなかった。でもプラハ城からの足下の風景は何度見ても飽かない。勿論、町並み保存されているに違いないが、住民一人一人の文化財保存への意気込みが違うようだ。戦争ばかりに巻き込まれた過去、現在の平和な街(国)はどうしても死守していかねばならない、平和のありがたさを身をもって感じる国民の願いなのだ。
カレル橋の上からプラハ城をバックに記念撮影する。いつもの同じパターンだ。観光客の多いプラハの賑わいは例の如し。物価もそう安価でもないのに、この国はいつも観光客で一杯だ。旧市役所前はカラクリ時計を見ようとする環境客で立錐の余地もないようだ。
ヤンフス広場も賑わっていた。ルターより200年も前に起こした宗教改革フスの精神が、プラハの春に流れた革命の気質が感じられるようだ。
友人と二人で銀ブラじゃなく、プラハのパリブラに出かけた。旧市街から北に抜けるParzska(パリ通り)は高級ブランドの有名店ばかり軒を連ねていた。その中の一軒ヘルメスの店をひやかしてみたが、手ごろな物がなく何にも購入しなかった。値段は日本と変わりなく、やや高めだった。ドイツ語の片言で十分用をたしたようだ。昔の学校のお浚いになった。このあとユダヤ人地区に入った。例のこの世を痛烈にアピールした逆さ周りのギリシャ文字の時計も健在だった。以前来たときはこの時計故障中だったのに、今回は無事時を刻んでいた。墓地の周辺は、これまた観光客で押すな押すなの賑わいだった。ヨーロッパで一番古いシナゴークも健在だった。10数年前とちっとも変わらない様子だった。

2005/7/22