cordoba コルドバ


スペインの代表的な詩人、ガルシア・ロルカが『騎士の恋唄』の中で「遥かなる孤独のコルドバよ!」とうたいあげた町。同時に「静かなるコルドバ」の異名も与えられた気品にあふれた貴族的な町だ。かつてイベリア半島がイスラム教徒に征服されていた時分にイスラム教寺院として建造された建物を、レコンキスタによってキリスト教徒が半島を奪回後に教会として転用したもの(もともと「メスキータ」とはスペイン語でモスクの意味)。内部にはキリスト教の聖人像なども飾られているが、イスラム教の面影も随所に残されており、通常の教会とは違った独特の雰囲気を醸し出している。余談だが、これとは全く逆に、キリスト教の教会をモスクに改造した有名な建物がイスタンブールにある(そう、アヤ・ソフィアのこと)。 アッラフマーン一世の命で建設されたメスキータは、コルドバ王国を築いたアブド・アッラフマーン1世の命で、785年から建設が開始された。その後、歴代の王により増築され、現在の総面積2万2400平方メートル(南北175メートル、東西128メートル)、馬蹄形アーチ850本を持つ華麗な神殿が誕生した。さらに、848年、961年、987年と3回に渡って拡張された。モスクのミナレット(尖塔)として建てられた塔は、キリスト教徒により鐘がつけられ、鐘楼にされた。

コルドバ王国は11世紀から衰退し始め、1236年にはレコンキスタにより、キリスト教徒に征服される。グラナダが陥落するより250年以上も前のことであった。しかし、メスキータは多少の修正は加えられたものの、当初はそのまま残されていた。大きな変化は16世紀半ばに起きた。
神聖ローマ帝国皇帝カール5世はスペイン統一の王も兼ねており、このメスキータの改修を許可したからであった。コルドバ市議会はメスキータの芸術性と歴史的遺産の価値を認めて,改修しないことを決めていた。それを覆すために皇帝を動かしたのである。
それは「改修」と呼べないものになった。メスキータの中心部を突き抜けるキリスト教会の大聖堂が建設された。レコンキスタによりイスラムを征服したという、勝利者のおごりから生まれた大聖堂の建設であったと言われる。馬蹄形アーチを持つ柱列と美しい配列を見せるアラベスク幾何学模様とは
全く相反する建築が、同じ敷地内に突然、出現したのであった。最初にキリスト教の聖堂があり、8世紀にイスラム王国に支配され、大モスク、メスキータになり、当時同地を支配したモスクの中心となった。

1236年にレコンキスタで、キリスト教に戻ると、国王カール5世がキリスト教の聖堂へ改築した。このために、メスキータの屋根にはキリスト教の大聖堂の屋根が突き出してしまった。ただ国王は改築後 「もし、前もってメスキータのことを知っていたなら、決して許可を与えなかっただろう。どこにでもある建物の為に、世界にひとつしかない建物を壊してしまった」と嘆いたという。


古代ローマ時代には、多くの学者や詩人を輩出し、アンダルシアの中心地として栄えました。661年ダマスカス(シリア)にウマイア王朝が誕生して、繁栄していた。(711年イスラム教徒がイベリア半島に侵攻)。750年に政変が起こり、アッパーズ王朝に取って代わられたうえ、ウマイヤ一族は全員虐殺されてしまいます。奇跡的に1人だけ生き延びた王子(アブドラマーン1世)が、北アフリカ経由でスペインに逃れ、756年にコルドバで、後ウマイヤ王朝を作り、その後スペインに続くイスラム王朝の基礎となりました。
一方、宿敵アッバース王朝は、ダマスカス(シリア)からにバグダード(イラク)に首都を遷し、繁栄していった。そのバクダードをしのぐ都を造ろうと、コルドバは繁栄します。コウ・ウマイヤ王朝は、前から居たキリスト教徒、ユダヤ教徒に、改宗を強制しなかったので、文化が融合して街が栄え、世界の中心になって行きました。10世紀に全盛期を迎え、中世ヨーロッパでは人口1万人で大都市と言われた時代、人口30万とも100万とも言われています。東ローマ帝国の首都コンスタンティノープル(トルコ・イスタンブール)と繁栄を競いました。

コルドバは、世界中の知識人の憧れの地でした。イスラムの人々は、「知恵の宝庫」と呼ぶギリシャ文明、ペルシャ文明(イラン)、インド文明を、アラビア語に直し、積極的に取入れました。それを、さらにラテン語に訳し、学問をしに来た人によって、最先端の学問をヨーロッパ中に広めることとなりました。例えば、この地では12世紀には、白内障の手術をしていました。コルドバは、1236年フェルナンド3世によって、キリスト軍に奪還され、衰退の道をたどって行きました。1248年 同王が、セビリヤを奪還1492年 グラナダでレコンキスタ(キリスト教再征服活動)が完了同年 コロンブスが新大陸を発見  →セビーリャは発展しました






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