Flamenco ole
スペインといえばフラメンコ。スペインのアンダルシア地方、とりわけセビーリャが本場である。フラメンコはスペイン南部、アンダルシア地方のジプシー起源の音楽および舞踊。バイレ(踊り)とカンテ(歌)とトケ(ギターの伴奏)からなり、手を打ち足を踏み鳴らす激しい動きの踊りが特徴的であるが、歌だけやギターだけなど多様なスタイルがある。フラメンコの歴史と発展にはヒターノ(スペインジプシー)が重要な役割を果たしている。スペインでは、フラメンコは一般的にタブラオと呼ばれる舞台付ショークラブまたはレストランで楽しめる
放浪の民、ロマ人(jジプシー)の哀歌である。フラメンコとはジプシーによってもたらされ、南スペインで開花した芸能だ。歌と踊りとギターの構成が最もポピュラーですが、フラメンコの花形は意外と踊りではないのです。始めに歌があったとされている。これにギターがつき、踊りは一番最後に発展したというのが通説です。まず歌があり、無伴奏の歌はリズムをとります。馬、馬車、牛車が大きく関わってきます。放浪の、あるいは労働の使役に耐えた動物とひづめ、馬車の刻むリズムというものが私達の脳裏にくっきりと鮮やかに印象できますよねあるいはまた、多くのジプシー達が従事した鍛冶の音。ここにフラメンコの決定的な基本、絶対に忘れてならない、一つの重要な要素としてのコンパス=リズムが生まれます。このリズムが多くのフラメンコの曲の約束事として守られて行きます。フラメンコは無伴奏で歌われ、踊られた時に、より原始の不思議な霊感が這い上がってきます。よく日本で言われるところの三位一体、というのとはその起源は大分違います。(フラメンコ解説本参照)
悲しみが大きかれば喜びも又大きい。悲しみを打ち抜いた後の大きな喜びだ。ロマ人は感情の起伏の激しい人たちだ。ハンガリーの酒場でジプシーの踊りを見たことがあった。腰をくねらせ激しい踊りだった。額から汗が流れ落ちていた。
フラメンコの歴史には不明な点も多い。その祖型の成立は18世紀末と考えられているが、この時期にはまだフラメンコという名称は与えられていなかった。この芸能の成立に大きな影響を与えたのはヒターノといわゆるモーロ人(ムーア人)、すなわちイベリア半島や北アフリカに住んでいたイスラム教徒という、2つのエスニック・グループであった。この2つのエスニック・グループから発生した理由として現在考えられているのは、イベリア半島におけるモスリコ(改宗イスラム教徒)追放令である。1499年のカトリック王よるモーロ人追放後も一部のイスラム教徒はキリスト教徒に改宗してイベリア半島に留まったが、1609年に改めてモリスコの追放令が出される。しかしモリスコの中にはヒターノのコミュニティに潜伏してなおもイベリア半島に留まる者が少なくなかった。この時期にアンダルシアのヒターノのコミュニティがモリスコの歌舞音曲を大胆に取り入れ、その結果として生まれたのが、現在フラメンコと呼ばれる芸能なのである。
フラメンコを生み出したヒターノのコミュニティにも低地(グラナダなど)のものと高地(ロンダなど)のものがあり、前者はヒターノの音楽であるロマンセの要素を、後者はファンダンゴの要素をフラメンコにもたらしたと考えられている。フラメンコ(フランドル地方の音楽という意味)という語が、今日知られる意味でのフラメンコに対して用いられるようになった時期は、文献から判断する限り19世紀半ばのことである。
フラメンコが演奏される場は、当初は個人の家などプライベートな空間が中心であったが、19世紀後半にカフェ・カンタンテと呼ばれる定期的にフラメンコが上演される飲食店が出現し、フラメンコの普及を後押しする。カフェ・カンタンテは20世紀初頭には姿を消すが、20世紀後半になると同様の飲食店であるタブラオが出現し、現在までフラメンコの上演の場の大きな部分を占めている。この時期からは劇場公演やフェスティバルもフラメンコ上演の重要な場となっていった。演じ手の方に目を向けると、20世紀後半にギター、カンテ、舞踊の各分野で技術革新を行う人物が次々に登場した。ギターの分野では1960年代末に登場したパコ・デ・ルシが最も重要な革新者とされる。フラメンコの演奏家として出発したギタリストであるパコ・デ・ルシアがジャズやクラシック・ギターの要素を大胆に取り入れ、ギターの奏法に革命的な変化をもたらす。彼の奏法には賛否両論あるが、ベセンテ・アミーゴやトマティートなどその系譜を嗣ぐ若手・中堅のギタリストは現在非常に多い。カンテの分野ではパコ・デ・ルシアやトマティートとともに活動した男性歌手カロマン・デ・イスラが名高い。
フラメンコとはジプシー(ヒターノ)によってもたらされ、南スペインで開花した芸能です。歌と踊りとギターの構成が最もポピュラーですが、フラメンコの花形は意外と踊りではないので、始めに歌があったとされている。これにギターがつき、踊りは一番最後に発展したというのが通説です。まず歌があり、無伴奏の歌はリズムをとります。馬、馬車、牛車が大きく関わってきます。放浪の、あるいは労働の使役に耐えた動物とひづめ、馬車の刻むリズムというものが私達の脳裏にくっきりと鮮やかに印象できますよね。あるいはまた、多くのジプシー達が従事した鍛冶の音。ここにフラメンコの決定的な基本、絶対に忘れてならない、一つの重要な要素としてのコンパス=リズムが生まれる。このリズムが多くのフラメンコの曲の約束事として守られて行きます。フラメンコは無伴奏で歌われ、踊られた時に、より原始の不思議な霊感が這い上がってきます。よく日本で言われるところの三位一体、というのとはその起源は大分違うようだ。ブダペストやウィーン(オーストリア)のタブラオ風の店で聞いたことがあるが、確かにこの地(アンダルシア)のヒターノ(ジプシー)も同様の雰囲気を醸し出すし、カンテとトケは同様のものだった。
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(文中敬称略)