岡本太郎


父・一平が朝日新聞社の特派員として、ロンドン海軍軍縮会議の取材に行くことになり、太郎も東京美術学校を休学し、親子三人にかの子の愛人の青年二人を加えた一行5人で渡欧。一行を乗せた日光丸は1929年(昭和4年)神戸港を出港、1930年(昭和5年)1月にパリに到着。太郎は以後約10年間をここで過ごすことになる。フランス語を勉強するため、パリ郊外の中学の宿舎で生活。語学の習得は早く、半年後にはソルボンヌ大学で学ぶようになる。太郎は「何のために絵を描くのか」という疑問に対する答えを得るため、マルセル・モースのもとで絵とは関係のない哲学・社会学・精神病理学・民俗学を学んだ。

1932年(昭和7年)、両親が先に帰国することになり、パリで見送る。かの子は1939年(昭和14年)に太郎の帰国を待たずに逝去し、これが今生の別れとなった。芸術への迷いが続いていたある日、たまたま立ち寄った画廊でピカソの作品(『水差しと果物鉢』(Pichet et coupe de fruits))を見て、太郎は強い衝撃を受ける。そして「ピカソを超える」ことを目標に絵画制作に打ち込むようになる。

太郎の障壁画

題名が思い出せないが、太郎には反戦の叫びを訴えた障壁画あったと思う。東京の新宿か渋谷辺りの歩道に飾られていたが詳細は忘れてしまった。どなたかご存じの方はお教えください。

太陽の塔

1970年(昭和45年)に大阪で万国博覧会が開催されることが決まり、主催者(国)は紆余曲折の末、シンボル・タワーの制作を岡本太郎に依頼した。太郎は承諾し、「とにかくべらぼうなものを作ってやる」とひたすら構想を練った。そうして出来上がったのが巨大なシンボル・タワー『太陽の塔』である。これは、当時の知識人たちから「牛乳瓶のお化け」「日本の恥辱」などと痛烈な批判を浴びた。しかし太郎は、「文明の進歩に反比例し、人の心がどんどん貧しくなっていく現代に対するアンチテーゼとしてこの塔を作ったのだ」と反論した。「国の金を使って好き勝手なものを造った」という批判に対しては、「個性的なものの方がむしろ普遍性がある」と反論した。主催者が塔の内部に歴史上の偉人の写真を並べるつもりだったのに対し、太郎は「世界を支えているのは無名の人たちである」として、無名の人々の写真や民具を並べるよう提言し、実現させた。

塔の目の部分をヘルメット姿の男が占拠し、万博中止を訴えたアイジャック事件の際には狂喜して、居合わせたマスコミに対し「イカスねぇ。ダンスでも踊ったらよかろうに。自分の作品がこういう形で汚されてもかまわない。聖なるものは、常に汚されるという前提をもっているからね」と言った。日本万国博覧会は成功のもとに終了。1975年(昭和50年)、『太陽の塔』は永久保存が決定。現在も大阪(吹田市)のシンボルとして愛されている。


明日の神話

岡本の絵画では最も大きな作品とされる。太郎が制作した縦5.5メートル、横30メートルの巨大壁画。渋谷マークシティの京王井の頭線渋谷駅とJR渋谷駅を結ぶ連絡通路にある。第5福竜丸が被曝したした際の水爆(フランス)の炸裂の瞬間をテーマにしている。アスベスト製の板に一部コンクリートを盛り付けてアクリル系塗料で描かれている。悲惨な体験を乗り越え、再生する人々のたくましさを描いたとされる。太郎はメキシコに建設されるホテルのために制作したが、依頼主の経済的事情で作品の所在は不明となっていた。2003年9月、メキシコ国内の倉庫で発見、岡本のパートナーである岡本敏子が確認作業を行った。2004年10月、岡本太郎記念現代芸術振興財団などが、再生プロジェクトを立ち上げた。修復のため、100個以上に分かれた壁画の断片を日本に船で移送、2005年7月から愛媛県東温市で絵画修復の専門家、吉村絵美瑠らが作業を行い、2006年6月に完了、報道陣に公開された。修された壁画は2006年7月8日から8月末まで、東京汐留の日本テレビで一般公開された。展示後、岡本太郎記念現代芸術振興財団は永久保存を望んでおり、「太陽の塔」がある大阪府吹田市をはじめ、被爆地である広島市、長崎市の市民団体、及び東京都渋谷区が、それぞれ誘致運動を行っていたが、2008年3月18日財団は東京都渋谷区への恒久設置を決め、同年10月17日、壁画の渋谷マークシティの連絡通路への取り付け作業が完了。同年11月月17日より一般公開されている。僕はこの明日の神話はピカソのゲルニカが下式になったと思う。構想は全く同じだ。

猛烈な破壊力を持つ凶悪なきのこ雲はむくむくと増殖し、その下で骸骨が燃えあがっている。悲惨な残酷な瞬間。逃げまどう無辜の生きものたち。虫も魚も動物も、わらわらと画面の外に逃げ出そうと、健気に力をふりしぼっている。第五福竜丸は何も知らずに、死の灰を浴びながら鮪を引っ張っている。
中心に燃えあがる骸骨の背後にも、シルエットになって、亡者の行列が小さな炎を噴きあげながら無限に続いてゆく。その上に更に襲いかかる凶々しい黒い雲。悲劇の世界だ。だがこれはいわゆる原爆図のように、ただ惨めな、酷い、被害者の絵ではない。燃えあがる骸骨の、何という美しさ、高貴さ。
巨大画面を圧してひろがる炎の舞の、優美とさえ言いたくなる鮮烈な赤。にょきにょき増殖してゆくきのこ雲も、末端の方は生まれたばかりの赤ちゃんだから、無邪気な顔で、びっくりしたように下界を見つめている。外に向かって激しく放射する構図。強烈な原色。画面全体が哄笑している。悲劇に負けていない。あの凶々しい破壊の力が炸裂した瞬間に、それと拮抗する激しさ、力強さで人間の誇り、純粋な憤りが燃えあがる。タイトル『明日の神話』は象徴的だ。その瞬間は、死と、破壊と、不毛だけをまき散らしたのではない。残酷な悲劇を内包しながら、その瞬間、誇らかに『明日の神話』が生まれるのだ。岡本太郎はそう信じた。この絵は彼の痛切なメッセージだ。絵でなければ表現できない、伝えられない、純一・透明な叫びだ。この純粋さ。リリカルと言いたいほど切々と激しい。二十一世紀は行方の見えない不安定な時代だ。テロ、報復、果てしない殺戮、核、ウィルスは不気味にひろがり、地球は回復不能な破滅の道につき進んでいるように見える。こういう時代に、この絵が発するメッセージは強く、鋭い。負けないぞ。絵全体が高らかに哄笑し、誇り高く炸裂している。描かれているのは原爆が炸裂する悲劇の瞬間です。
しかしこの作品は単なる被害者の絵ではありません。人は残酷な惨劇さえも誇らかに乗り越えることができる、そしてその先にこそ「明日の神話」が生まれるのだ、という岡本太郎の強いメッセージが込められているのです。(岡本敏子)

2008.11.17

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(文中敬称略)


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