Picasso Guerunika
1937年の作品は縦3.5m、横7.8mの大作である。内戦時代のスペイン(ゲルニカ地方)の様子を描いたと言われている。キャンバスに工業用絵具ペンキによって描かれた。これが後に絵画としての傷みの要因となるが、大作にしては短時間(1ヶ月弱)で描ききれた(油彩よりも乾きが速く、作業効率も高い上にコストも安い)のである。当時の絵画としては珍しくモノクロームで描かれている。あえて血の色を見せなかったことが格別の効果を与えている。各部分の習作や、後のタベストリー作品は彩色が施されている。
スペイン内乱中の1937年4月26日フランコ側を支援するナチス・ドイツ軍が バスク地方の自治と統一を象徴する町ゲルニカを爆撃しました。
ピカソはこの事件に強く反応し、5月1日に構想を練り、6月4日に349.3p×7 76.6pの大作「ゲルニカ」を完成しました。
ピカソはこの愛する祖国の惨禍を闘牛に象徴し、黒・白・灰という色調で描き 「ゲルニカ」に人道的なメッセージを与え、不条理と悲劇を訴えました。
闘牛については牡牛をファシズム、馬を抑圧された人民とするアングロサク ソン系の解釈と前者を人民戦線、後者をフランコ主義ととるスペイン系の解
釈がある。
死んだ子を抱き泣き叫ぶ母親、天に救いを求める人、狂ったようにいななく馬などが戦争の悲惨さを訴えている。全体の構成はキリストの磔刑図図をイメージさせる。人間の目をした牛の顔や窓から室内に首を突き出す人物など奇妙な像もあり、さまざまに解釈されている。ピカソが好んで描いてきた闘牛やミノタウロスの神話などとの関連も指摘できる。なお兵士、動物以外の人物はすべて女として描かれている。
『ゲルニカ』制作の裏には2人の女、ドラ・マールとフランソワーズ・ジローの争いがあったと言われている。『ゲルニカ』の制作過程をドラが写真に記録したことは有名であるが、そこにフランソワーズが嫉妬心を抱き、『ゲルニカ』制作中、ピカソが工業用のペンキまみれで描いている背後で、2人の取っ組み合いがあったという訳である。この2人は『ゲルニカ』にも描かれており、右上の手を挙げて泣き叫ぶ女はドラ・マール、ランプを持ち覗き込むようにして絵の中心にある女がフランソワーズ・ジローだと言われている。ちなみに、左下に倒れている兵士はピカソ自身であるという。
内戦の戦場と化したゲルニカ、『ゲルニカ』完成以降、平和運動の象徴とされたピカソは、それ故に朝鮮戦争をテーマとした作品を引き受けた。ちなみに、この作品内の泣き叫ぶ女だけを独立した作品にした『泣く女』という絵がある。(岡本太郎にも同様の障壁画がある)

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岡本太郎
(文中敬称略)