Velazquez Diego
風俗画を描いていたが、1623年、宮廷画家となる。フェリペ4世は、政治的には無能であったが、美術のパトロンとしては見識のある人物であった。国政はオリパレス公に任せていた。
ベラスケスは野心家であった。しかし、王や宮廷を単に称揚しようとはしなかった。美術愛好家であったフェリペ4世は、ベラスケスを厚遇し、画家のアトリエにもしばしば出入りしていたという。当時、画家という職業には「職人」としての地位しか認められなかったが、フェリペ4世は晩年のベラスケスに宮廷装飾の責任者を命じ、貴族、王の側近としての地位を与えていた。
ブレタの開城
『ブレダの開城』は、王の離宮の「諸王国の間」という大ホールを飾るために描かれた戦勝画。1625年ネーデルランド南部の要塞ブレダにおけるスペイン軍の戦勝を記念して制作されたもので、敗れたブレダ守備隊の指揮官ユスティヌス・ファン・ナッサウ(オラニエ公ウイレム1世の庶子)が、勝者であるスペイン側の総司令官アンノジオ・スピノラに城門の鍵を渡そうとする場面が描かれている。
この種の戦勝画では敗軍の将は地面に膝をつき、勝者はそれを馬上から見下ろすという構図が普通であったが、この『ブレダの開城』では、敗軍の将ユスティヌスと勝者スピノラは同じ地面に対等の位置で立っている。温和な表情のスピノラは、まるで長年の友人に対するように敗者ユスティヌスの肩に手を置いている(ちなみに両者は1601年にニューポールトで対戦したこともある)。スピノラの傍らに大きく描かれた馬は、彼が敗者に敬意を表するためにわざわざ馬から下りたことを示している。このような、勝者側の寛大さを二重三重に強調した表現は、敗者に名誉ある撤退を許したスペインの騎士道精神の勝利を表したものといわれている。
ラフ・メニーナス
17世紀スペインバロック期に最も活躍した宮廷画家。セビーリャでパチェ―コに師事した後、1623年国王フェリペ4世付の画家となり、以後生涯の大半を宮廷画家として首都マドリッドで過ごす。1628年から続いたルーベンスとの交流や、1629〜1631年、1649〜1650年と2度に渡ったイタリア旅行は画家の作品形成に大きく影響し、それまでの無骨な写実描写と厳しい明暗対比から古典主義と空間表現を取り入れ、
視覚効果を重要視したスペイン絵画独自の写実主義的陰影法を発展させた。またベラスケスは、『ラス・メニーナス(女官たち)』に代表されるよう、国王一家を始め、多くの宮廷人、知識人を描いた肖像画家としても有名。没後、一時期、その評価は落ちていたが、19世紀の写実主義の台頭により再評価されるようになる。確実に帰属が判明している作品数は約120点、素描が数点残されているのみ。
スペインバロック絵画の巨匠ディエゴ・ベラスケス最大にして不朽の名作『ラス・メニーナス(女官たち)』。当時のスペイン国王フェリペ4世の娘である皇女マルガリータを中心に、数人の女官たちを描いた集団肖像画である本作は19世紀頃に、描かれる内容から≪ラス・メニーナス(女官たちの意)≫と呼称されるようになったが、制作された当初は≪家族の絵≫もしくは≪王家一族≫と呼ばれていた。画面中央には豪奢な衣服に身を包んだ皇女マルガリータとその女官であるドーニャ・マリア・アウグスティーニャ・デ・サルミエントが描かれている。その周囲には左からドーニャ・イザベラ・ベラスコ、矮人マリア・バルボラ、一匹の犬を踏みつける矮人ニコラシート・ペルトゥサートが配され、後ろには王妃侍女であるドーニャ・マルセーラ・ウリョーアと、顔に影がかかるドン・ディエゴ・ルイス・デアスコーナが控えている。そして画面最奥の鏡には国王フェリペ4世と女王マリアーナが映っており、この情景を温かく見つめていることが示されている。さらに画面左側へはベラスケス本人と推測される画家が筆を手にしながら、大画面の画布(カンバス)へ(おそらくは)国王夫妻の肖像画を描いている姿が配されている。これは一般的に、王室に仕えるという画家の自負と、真実的な自画像の意味合いを、あたかも(本作を)観る者へ視線を向けるような姿で表現したものであるとの説が有力視されている。スペイン独自の厳しい明暗対比(陰影法)による写実性豊かな描写手法を用いながら、当時の王室の生活の情景を、見事に計算された構図でありありと表現した本作は、多くの批評家や美術愛好家が古典絵画の傑作として認めてきた作品でもあり、今なお人々を魅了し続けている。なお本作とほぼ同時期にベラスケスによって制作された『白い服の皇女マルガリータ・テレーサ
』の単身肖像画が嫁ぎ先であるウィーンの美術史美術館に所蔵されている。

(文中敬称略)
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