ベトナム紀行(目次) 工事中
H23/12/15設置(カウンター)
久し振りの正月旅行だ。お正月に家を留守にするのはほんとに久しぶりなのだ。来たかったベトナム訪問は暑い時期を避けて、年末年始にかけてツアー(西遊旅行社)で申し込んだ。ベトナムは道路事情が大変改善されて立派になったというが、北部はなお大変な悪路だろうか。それも時代が変わったので楽になっただろうか。今なほ悪路に悩まされるだろうか。今回は約1週間の予定で北部べトナムハジャン・ドンパン(ハノイの北方)を訪ねてきた。
友人の情報によると昔陸路ドンパンで陸路中越国境こえで追剥が出たそうだ。一人旅は危険だそうだ。その点団体旅行は安心だ。足の確保が十分だ。最近では現地に学校等教育施設を寄附する運動が盛んなようだ。僅かばかりの寄進で学校が建てらりしたら嬉しいものだ。観光化の問題としては、観光客による少数民族の伝統的な衣装などの買い漁りや、現地の子供達への飴配りなどにより、物質面と精神面の両面で伝統文化を破壊していることだと思う。観光客が飴を与え続けてそれが習慣となり、子供達が進んで飴をねだるようになった観光地を過去にたくさん見てきた。その時子供達は誇りを失い浅ましい物乞いになっている。飴をねだる子供が悪いのか、与える観光客が悪いのか。土産物として販売されているものを購入するのはどうだろうか。彼らにとっては生活設定の一部かもしれない。観光客にしても悪気があってのことで無いにしても、その行為が幼児や現地人に与える影響は大きい。でも少しの菓子類が相互の垣根を越えて交わりのきっかけとなるやも知れない.目くじらを立てて言うべきことではないが心して行動せねばなるまい。戦後進駐してきた米兵にキャンディを強請った少年のころと重なり想いは複雑だ。観光化による伝統文化の破壊は、近代化による伝統文化の破壊よりもはるかに残酷なものだとも思う。よくよく自覚して行動せねばなるまい。観光化が進めば、土地の土産物も沢山作られるだろう、それを売って生活の楯にする者も現れるであろう。数か月あるいは数年かけて造られた、丹精込めて造られた民族衣装を手放す者も現れるだろう。伝統文化の破壊だと決めつける前に自分の行動を反省してみるのも良いことだ。高圧的に近代文化を押し付けるのは問題だ。伝統文化と近代化文化とは二律背反である。でもこの調和が問題とされるのであろう。何処までが正しいのか、最後の一線が解らない。
少数民族の生活(言語)習慣の保存はどうだろうか。やがて大多数のキン族に同化され、あるいはいわゆる外人(ベトナム人以外)と結婚してしまうケースも多々見られるようだ。道路事情が良くなり、交通手段の発展した今となってはそれこそ時代の趨勢であるだろう。混血が進むと云わずとも文化は衰退破壊するだろう。それも自然の成り行きだ。致し方無いことなのだ。より強大となったベトナムの国家権力で少数民族(資料)の保存に努めるべきだ。単にノスタルジーだけを追い求め少数民族に強制するのは慎まねばなるまい。彼らの幸福度(GNH
bu-tann)の判定は外の我々がするのだはなく彼らの自身による判断を求められる。あくまでも我々は第三者である。
少数民族の村々を訪れて来た。どの村でも歓迎してくれた。まあ、言って見れば民族衣装なんてものは日本の12人衣のようなもので実用的でない。細かい刺繍を丹念に縫い数年間の手間暇をかけ作られた物で、少数民族と云えども日常の生活には無関係な代物、特別の祭りでもない限り普段の使用は見当たらないようだ。普通使用されているのは中国製の安物のプリント(工業製品)で見た目には鮮やかに写るようだ。村中の売店で売られているものは一応刺繍はされているものの簡易な製品ばかりで、購入するに何の遠慮もいらない。伝統文化の破壊とか言ったものでは決してないようだ。寧ろ生活応援手段かも知れない。
ケシの実の栽培も広く行われているようだ(ガイド説明)。政府は禁止しているがアヘンの栽培は極一般的だという。家庭内使用は公然の秘密だという。キンマもまだまだ使用されている。犬食も盛んなようだ。我々の食するクジラとどこが違うだろうか。犬の丸焼なんて日常茶飯事だ。家の太郎も花子も釘刺しだ。イギリスの動物愛護協会の人たちが見たら気絶するだろう。文化の差なんてこの程度のものだろう。まことブータンは素晴らしき国である。GNP(国民総生産 ブータン)は低くてもGNH(国民総幸福度)を追及していくという。若き王様の情熱だ。文化(向上)を求めるのを頭から抑え込むのは良いことではない。他人が強いることなく自ら進んでやって行くべきだ。
(文中敬称略)