8月28日 (日)  今日も32℃。猛暑のなか、いつも病院の窓から眺めている山に向かいました。

「相生と書いて、おう、と読ませるこの町は、瀬戸内海の小さな港のひとつであった。一里ばかり出て行けば、山陽本線の那波という停車場へ出る。それは神戸と岡山の中間にある小駅だった」。少女時代の一時期、「この町」に住んだ佐多稲子が書いた小説「素足の娘」(1940年発表)の一節です。なお、「那波駅」は1942年に「相生駅」と改称されました。その相生市での、ほぼ2か月にわたる入院生活は、あと3日で終わります。明石市生まれの私にとっては、懐かしい播州弁で話しかけられる心安まるまちでした。
治療の待ち時間にたくさん読んだ藤沢周平の作品のひとつ「小川の辺」に、「海坂領は三方を山に、一方を海に囲まれている」という下りがあります。方角は異なるといえ、相生市街の地形状況(入り江のため四方に山)も同様です。作家自身の心が安らかになる故郷のまちが、多くの藤沢作品の舞台(海坂藩)となったのではないかと、勝手に想像しています。
どこに居ても山が見える相生の風景も、心を癒やしてくれます。病室の窓から毎日見ている「宮山」に、いちど登ってみたいと思っていました。退院まで最後の日曜日となって実行。標高は174mですが、やはり休み休みの登山でした。麓にある那波八幡の境内で登り口を教えてくれた地元の人の話では、「頂上近くに水晶があって、子どもたちが探しに行く」とのこと。帰院後、「おかわりないですか?」と様子を見に来てくれたナースも、「小学生のときに登り、採ってきた水晶を今も持っている」そうです。水晶探しをするまでの元気はありませんでしたが、頂上や付近の岩場からの眺望を堪能して下山。帰り道で、大島山の山頂も確かめました。
午後は、ずっと病室で過ごし、議員活動の再開に備えて資料の読み込み。夕方図書館へ。

▼写真左=那波港から見た宮山。那波八幡は港からすぐの那波本町にあり、境内の左手が登山口です。
▼写真中=宮山山頂からの眺望。奥深い相生湾の出口の向こうに、家島諸島の島影も望めます。
▼写真右=大島山の左上の建物がIHI播磨病院。駐車場も6階病室の窓も、拡大すれば写っています。

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