1月16日 (水)  朝は−1℃と冷え込みましたが、午後は7℃〜8℃。終日晴れていました。

昨日、映画監督の大島渚さんが亡くなりました。大島さんに直接お目にかかったことが3度あります。最初は1975年1月19日、当時、私が発行責任者だった団地新聞「こんにちは!」の発刊5周年記念講演の講師として来ていただいたとき。講演テーマは「女・妻・母…かわりゆく主婦像」でした。その様子は、「今冬最高の寒さの中で開かれた講演会には、三百人が参加。暖房のない体育館兼講堂の底冷えに耐えて聞き入る聴衆に、講師の大島渚さんも鼻水をすすりながらの熱弁」と、「こんにちは!」新聞に報じられています。その折、大島さんが我が家に残した色紙の言葉は、「深海に生きる魚族のように自ら燃えなければ何処にも光はない」。
大島さんが新金岡小学校までやって来て講演する機会を作ってくださったのは、元・桃山学院大学教授の三辺光夫さんで、私にとっては大学の先輩です。大島さんとの2度目の会話は、その三辺さんの還暦を祝う会、3度目は葬儀の日です。お二人は、京都府学連の委員長、書記長という学生時代から相当に深い友情で結ばれているようでした。いまごろ、何年ぶりかの旧交を温めておられるかもしれません。謹んで哀悼の意を表します。
さて今日は、午前中から夕方にかけて「議員活動報告」の地域配布。新堀町1丁の残り、奥本町1丁、東浅香山町1丁でボランティアにお願いしている地域のほかを丹念にまわりました。玄関で受け取ってくださった男性に、「退職した3年前まで北花田駅で演説を聴いていた。頑張ってください」と激励を受けて大発奮。
また、事務所に戻ると、桃山学院への就職が同期だったKさんの訃報が届いており、岸和田市の通夜式式場に急ぎました。