8月15日 (木)  朝27℃。午後の最高気温34℃。幾分収まり気味…ならいいのですが。

68年目の終戦記念日です。1939年9月1日、ドイツ軍のポーランド侵攻で始まった第2次世界大戦。1941年12月8日、日本はマレー作戦と真珠湾攻撃によって、米英に宣戦布告しました。この戦争で命を落とした日本人は310万人。うち海外での死者は240万人。戦死した兵員は210万人と言われています。戦争末期の1943年には、兵力不足を補うために、高等教育機関に在籍する20歳以上の文科系学生が「学徒出陣」で徴兵・出征させられました。
そのひとり、龍谷大学文学部第一期生だった中川智幢さんの遺言状が「日本戦没学生の遺書」(1970年・読売新聞社刊)に収録されています。中川さんは、昭和18年(1943年)12月1日福岡西部四六部隊に入隊、20年(1945年)3月23日午前10時30分ルソン島北部セルパンテス南高地で戦死されたそうです。23歳、陸軍少尉。
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御両親様 
長い間色々と大変なお世話になりました。考えてみますと、生まれおちてから今日此の日迄、特にお膝下を離れて京都の学生々活(や軍隊生活)に於て御両親様の心からなる御配慮を給わり本当に私は世界一の幸福者でした。此の度は又晴れの赤子として第一線に御奉公させて頂きますが、之れ全く御両親様のお蔭だと深く深く感謝致しております。それに引返(ママ)え自己の孝養のたらなかった事が今更ながら悔いられて仕方がありません。
お父様お母様、何卒お許し下さいませ。
今将に壮途につかんとしていますが、私は微力ながらも全力を尽くして御奉公さして頂く覚悟です。幸いにも来世は約束づけられている私です。生死何ぞ論ずるに足らんの意気を以て皇土を狙う夷狄に当る決心、腕はなり胸は高鳴っています。御安心下さい。智幢は笑って散ってゆきます。遥か西の彼方に御両親様の御多幸を祈って居ります。但し屍を戦場に曝すばかりが武人の栄誉とはなりません。散るべき時にこそ潔く散り果てるでしょう。
家には後に信行、洋子が居ります。信行は又間もなく召されてゆく事と思います。決して決して人に負けぬ体力、気力の持主として下さい。洋子は或は西蓮寺の後継者とならぬとも限りません。洋子の順調な成長を切に切に念願致します。
他に何も思い残す事も御座いません。
お父様お母様、長い間本当に有難うございました。呉々も御体を御大事に頼みます。
では元気に征きます。
  我既に法の御親に抱かれけりすめらみ楯といざ散りゆかむ
御門徒の方々に呉々もよろしくお伝え下さい。
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遺言状の「西蓮寺」は妻の実家の菩提寺で、下は義父の七回忌法要(7月6日)の写真。智幢さんの戦死で、九大の医学生だった信行さんがお寺を継ぎ、現住職・正法さん(写真中央)はそのご長男です。
20年ほど前、義兄の50回忌にお参りしていただいた信行さんから、妻が「遺言状」のことを伺っていました。堺市立北図書館のレファレンスサービスで、上記図書に収められていることが判明。所蔵する大阪府立中央図書館から他館借受してもらいました。


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