11月3日 (火)  文化の日。穏やかで、さわやかな秋晴れです。気温は10.1℃〜18.6℃。

桃山学院大学名誉教授で、被差別民と被差別部落の研究家でもあった沖浦和光さんが今年7月8日に逝去され、今日、偲ぶ会が催されました。沖浦先生には、学生時代からお世話になり、桃大に就職後もいろいろとご指導いただきました。ときにはお互いの立場から見解を異にして対立することもありましたが、堺市議となって以来、ずっと温かい目で私の活動を見守って下さった方で、折々のお便りもいただいて来ました。
急逝を信じられなかったのですが、追悼冊子にお連れ合いの恵子(やすこ)さんが書かれているところによると、前夜、「『おいしい!』と子どものように喜んで夕食をすまし、お風呂。食後の果物を食べ、ちょっと私と話して、『おやすみ』とそれぞれの寝室へ。7月8日朝、朝食の用意をして(中略)起こしに行ったら、眠っているように事切れていたのです」とのこと。患っておられた腎臓病が死因のようですが、あまりにも突然のお別れに、ご家族のお悲しみはいかばかりかとお察しします。
●偲ぶ会には約300人が参加
私も呼びかけ人の隅に名前を連ねさせていただいた偲ぶ会には、たくさんの参加者がありました。お陰で、学生時代以来の旧友、旧職場(桃山学院)の教員・職員・卒業生、かつて堺支局でお世話になった新聞記者、沖浦先生がかかわった各種の運動メンバーなど、懐かしい方々との久しぶりの再会の場となりました。また、追悼の言葉を述べて自席に戻ると、堺市北区にお住まいで、「応援してます」とおっしゃる女性も。
閉会前には、ご遺族の皆さまが揃って壇上へ。私たち夫婦が47年前に大学の会議室で挙げた会費制の結婚式に参列して下さった沖浦先生がお連れになった娘の葉子さんも、「自慢できるのは父の友人たち」と話されました。57年連れ添われたという恵子さんは、「結婚前、『俺の人生は波瀾万丈になるが、いいか?』と聞かれ、はっきりは覚えていないけど『平々凡々よりいいわ』と答えた。これほどたくさんの皆さんと関われて、楽しい人生を送らせていただいたと思う」とご挨拶。きっとご当人も「そうや!」とおっしゃることでしょう。改めて、哀悼の誠を捧げます。

1762-1.jpg