12月21日 (月)  昨夜からの雨が午後まで続きました。昼間より夜の気温が高く、異常。

午後、第5回北区区民評議会を傍聴。まちづくりビジョンの改定をめぐって、「教育と福祉の縦割りでなく、子ども包括支援センターが必要」など、活発な議論が聞かれました。

●福岡県飯塚市で、政治倫理条例のとんでもない改悪
区民評議会の開会前と閉会後事務所に戻ってから、某紙東京本社の記者から取材を受けました。この取材で初めて知ったのですが、福岡県飯塚市議会で、12月18日に政治倫理条例の改正案が提案され、賛成多数で可決。議員の資産公開が廃止さたそうです。マスコミからの批判も大きく、毎日新聞北九州版には次のような記事が掲載されています。
「報告書を出したくないのは何か後ろめたいことがあるから…普通の感覚ならそう考える。公職者の不正に目を光らせる制度を、その決まりに縛られる側が勝手にやめてしまう。これがお手盛りでなくて何だろう」

●28年前、徳島県鳴門市でも条例廃止
私に取材した記者は、「過去にこんなにも身勝手な条例改正があったのか」と質問。「徳島県鳴門市で、条例廃止に至ったケースがある」と、私は答えました。実はそのことを、私は自著の『市政と政治がこんなに変わる』(1990年・学陽書房刊)に書いています。
堺市の条例が市民の直接請求によって制定された直後、鳴門市議会での議長選ををめぐる贈収賄事件などに市民が怒りの声を上げ、直接請求運動に発展しました。市議会はこれに先手を打って議員提出の政治倫理条例を制定。骨抜きながら、1984年に「資産公開」の制度が生まれました。ところが、資産報告書の公表によって鳴門税務署から所得税を加算された議員が13人も出て、議員たちは3年後に条例を廃止してしまいました。

●飯塚市では、28年前にも「廃止」の動き
改めて著書を読み返していたら、飯塚市で最初の資産公開が行われた1987年、議員の税金滞納が判明して大騒ぎになり、保守系議員たちが資産公開部分の削除を企てた事件があったことも書いていました。その折は、別の滞納議員の報告書不記載が露見するなどしたため、企ては頓挫。それから28年経った今、議員たちは執念を実らせたことになります。
飯塚市の政治倫理条例を制定させたのも市民の皆さんでした。1983年7月、3人の市民が堺市の条例を調べに来られ、私も何度か現地に赴いて協力しました。最近の事情は知らなかったのですが、やや関心の薄らいだ間隙が議員たちの本音で突破されたのかも知れません。しかし、このような暴挙ともいえる事態を受けて、市民の間に「もっと理想的な政治倫理条例を制定させよう」との声が高まると、私は期待しています。

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