6月14日 (火)  一時、曇り空があったものの、ほぼ一日晴れ。気温は21.4℃〜29.0℃。

●調査のため、旧「埋蔵文化財センター」へ
昨日の大綱質疑で使った『高野街道』(府教委)の「道標一覧表」を見ていて、気になる石碑があったので、移転先の「堺市埋蔵文化財センター」(現=堺市文化財課分室)へ確かめに行きました。建物脇で野ざらしになっている石柱群の中に見つけた古い石碑には、予想どおり、「左竹之内街道」「右西高野街道」と刻まれています。現在は「竹内街道」の石柱しかない分岐点に立っていたことは、「道標一覧表」や「附属地図」の記載から明らかです。

●発見!!…玉置商店前(福田65番地)の旧道標
また、この道標の近くに置かれていた石柱を見ると、「左西高野街道」「右天野山」の文字。なんと、昨日も議論した福田の分かれ道の旧道標でした。市役所に戻って文化財課の保管資料を閲覧したら、撤去直前と推定される写真も出てきました。裾を鉄枠で補強し、側の電柱にロープでくくりつけられた姿は、玉置商店の方から聞いた話と符合します。また、1988年の府教委調査では「道の左脇に倒れ」ていたのに、1994年の『道ばたの文化遺産』では「玉置商店の横に立って」いたという記述から、転倒・再建を繰り返して損傷が進んだ様子が窺えます。まさに満身創痍。「復元」の必要性を示す文書も綴られていました。

●建設局長らに、復元と作り替えを提言
これらの石柱の行方を質した際、建設局職員は「何年も前のことで分からない」と言っていました。そこで、そのまま建設局長室に足を運んで、今日の調査結果を報告。竹内街道と西高野街道の分岐に旧石碑を再建し、「右が旧街道」と確定した福田分岐は石碑の作り替えを提言しました。ちなみに、双方の旧石碑には「明治三十八年/大阪府」と刻まれおり、道路整備も同時期だったと推定されます。


▼左=榎元町分岐の旧石碑 ▼中=福田分岐の旧石碑 ▼右=同撤去前

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